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5話 屋根の上の

ロザンナ歴1550年5月27日、土の曜日。先程まで降っていた大雨が嘘のように晴れ上がり、オレンジ色に変わりつつある光が窓から降り注いでいる。


ついに勤務実習も残すところ一時間程となった。実習が終わればしばらくはこの王国立図書館ともさよならをしなければならない。卒業までの残り2ヶ月半は実習レポート作成やら最後の学科試験、成果発表会などで忙しくなるのだ。最短でもここに戻って来れるのは卒業後になるのでそれまで我慢しなければならない。本を借りに来るのは自由ではあるけれど、多分そんな余裕はないだろう。



中央ホール近くにある管理室で本の修復をおこなっていると、司書長に声をかけられた。

司書長マルクス・ゼンゼ。茶髪を刈り上げた、軍人のような体格の人。左眉尻についた傷跡、鋭い焦げ茶の瞳から"その筋の人"とよく誤解されるそうだ。

「シュベルトさん、この前はすまなかった」

何のことかわからずにいると、あだ名のことだと言われた。

「事実ですので、お気になさらず」

「あの後、君の3人の兄上達から抗議されてしまってね。終いには妻にも怒られたよ。お前みたいな男がいるから女性が働きにくいんだろって」

私は手に持っていた本のとじ針を落とした。お兄様達の行動力に目玉が飛び出そうになった。どうか私のことなど気にせず、自分の昇進のことを考えてほしい。奥様にも余計な家庭不和をもたらしてしまい申し訳なく思った。


「どうか、第一希望を変えないでほしい。君とグレイグ君にはぜひこのままここに就職してもらいたいんだ」

グレイグとは同期の勤務実習生の男子のことで、私達二人はそのまま第一希望を王国立図書館にする予定である。


「変えません。そんな風に言ってもらえるのは光栄です」

「それはよかった。卒業後を楽しみにしてるよ」

「がんばります」

そんな会話をしていると、例のグレイグが急ぎ足でこちらに向かってきた。その表情は切羽詰まるものがあり、普段あまり表情を崩さない彼にしては珍しいことだった。


「司書長、お話のところすみません。また西館の奥で雨漏りしているようでして。前回より酷くて、王国史関連の本が何冊か濡れてしまって」



西館の奥と聞き、私は内心でため息をついた。



「それはまずい。この前ちゃんと業者が直してくれたはずなのにな。急いで本を動かして被害を抑えなければ」

「では、私はこの前のように屋根を見てまいります」

「すまないね、シュベルトさん。本当は女性に危ない作業をさせたくないんだが」

「いいえ。多分この前のように落ち葉か何かが詰まっているだけだと思いますので」

私は掃除用具入れから雑巾を取り出し、管理室を後にした。



雨漏りしている西館は中央ホールと同じように吹き抜け構造であるものの、中央よりは天井が低く、普通の建物2階分の高さほどである。中央ホールと西館は短い通路でつながっており、そこから伸びる職員専用の通路と階段を上がれば、西館の屋根につながる扉がある。


"今回はどうしたのかしら"

私は扉の鍵を開けながらそんなことを思った。




外は初夏らしい温かな風が吹いていた。ほんのりと雨の匂いが混じっているのが雨上がりらしくて好きだったりする。図書館は他の王宮関連施設と同じく、白い壁に青藍の屋根をしており、足元に広がる青藍は夕陽に照らされて一層の輝きを放っている。

ドーム状の屋根の縁には心許ないけれども柵がついており、すぐに落ちてしまうようなことはない。

その柵の外側には50センチ程の白いガーゴイルが一定の間隔で設置されている。ガーゴイルとは雨樋の機能を持つ彫刻で、屋根に伝ってきた水を建物の外に流す仕組みを担っている。図書館のガーゴイルはドラゴンをモチーフにしており、眼の赤い宝石がギラギラと光り、デザインが少しばかりグロテスクである。耳を澄ませばチョロチョロと水の流れる音がするので、どうやら正常に機能しているようだった。

私は柵を伝って雨漏り箇所の真上へと急いだ。


「あ」

私は思わず小さく声を漏らしてしまった。



そこにあるのは、一体のガーゴイル。

なんの変哲もない、と言いたかったけれど、それは異質そのものだった。

そのガーゴイルは一体だけ内側を向き、口から雨水を吐き出し続けている。前回業者が直した屋根のヒビはその雨水によりまた広がってしまっており、悲惨な状況だった。


私は下を見渡し誰もいないことを確認すると、しゃがんでガーゴイルに小声で話しかけた。

「ガリオンさん、もとの位置に戻ってもらえませんか?大切な本たちが悲惨なことになってるんです」


へそを曲げたガーゴイル、ガリオンさんは私の呼びかけにフンっと鼻を鳴らした。


『今回はリリーの嬢ちゃんの頼みでも聞けねぇな。アイツ、またやりやがったんだ。もう俺はガーゴイルをやめる。仕事をしない』


ガリオンさんは緋石という魔石でできた瞳を持ったマギファクトである。


「そんなことおっしゃらずに。今回は何をされたんです?」

『あのクソガキ、今度は石をぶつけてきやがったんだ!見てくれよ嬢ちゃん、右の翼に傷がついちまったんだよ!「やーい!悪魔なんてやっつけてやるー」って言いながらスリングショットだかなんだかってやつで思いっきり飛ばしてきやがって!俺は悪魔じゃないし、好きで屋根にいるわけじゃないのに』

「またアルバート様が?少し見せてくださいな」

私は慌てて彼の翼を確かめた。大きな欠けやヒビはないものの、石があたったような白い跡があり、近くに2センチほどの小石が落ちていた。

私は安堵のため息をつくとともに頭を抱えた。

そのクソガキとは、第一王子ランディ殿下の息子アルバート様のことである。彼はヒンメル学園の初等部に通っており、ガリオンさん曰く、時々学園帰りにこっそりとここに寄っては様々な悪さをしていくのだという。

ちなみに、1ヶ月程前の雨漏りもガリオンさんの仕業であり、その原因もアルバート様の飛ばした泥団子だった。その時は私がガリオンさんをきれいに掃除してどうにか機嫌を直してもらったが、今回はそうもいかなそうである。

「痛かったですよね。家にヤスリがありますので、それで修繕します。それではどうですか?」

『アイツに直接謝らせないと気が済まねえ』

「とりあえず、水は止めてもらえませんか?このままだとたくさんの本が駄目になってしまいます」

『うーん』

「申し訳ないですが、私ごときではアルバート様にご指導などできないのです」

『そりゃわかってるんだけどよぉ、クソ』

そう言いながら、ガリオンさんはピタリと水を吐き出すのをやめた。

「ありがとうございます」

『なんだよ、人間は。俺らのこと勝手に作り出して役割与えてさ。あのクソガキも、勉強のストレスを俺にぶつけるなっていうの』

「すみません、私からアルバート様に注意できればいいのですが」

『アイツ、隠れるのと逃げ足は速いんだ。それに現行犯で捕まえても、嬢ちゃんは目をつけられたくないだろ?』

「すみません」

ガリオンさんは私の事情もよくわかってくれているのがありがたい。


『俺も、嬢ちゃんが捕縛されて話し相手がいなくなっちまうのは寂しいからさ』

「ふふ、ありがとうございます」

『嬢ちゃんも笑ってないで動かすの手伝ってくれよ』

「わかりました。力は節約しなくちゃ、ですしね」

『ほんとだぜ。しばらくはあのクソガキに何かされても動けないだろうな』

アーチファクトが自分で動くには"エネルギー"が必要である。密度が高い物質でできているほど、そして体積が大きいほど消費エネルギーが高く、一定量を超えると再度動くのに時間がかかる。

「動けるようになっても自重してくださいね。今日で勤務実習終了なので、しばらくお手伝いできなくなりますし」

『そうか、もうそんなに経ったのか。早えなぁ。また寂しくなるなぁ』

「専門学校を卒業したらまた来ます。そしたら皆さんのことも一緒にお掃除しますから」

『そりゃありがてえ。もう俺以外誰もしゃべれないけどよ、アイツらも喜ぶと思うぜ』

ガリオンさんいわく、ここの建物のガーゴイルたちはみなアーチファクトだったらしい。しかし、彼以外のガーゴイルたちの瞳はただの宝石(ガーネット)でできており、経年劣化により魔素が抜けていったのだという。魔素が抜けきった瞬間、アーチファクトたちの意思は消滅する。つまりそれは、彼らの死を意味する。


ガリオンさんは一人また一人と消えていく仲間を看送りながら、そして、自分の存在価値を見つめながら永い時を過ごしてきた。

最初にそれを聞いたときは涙が止まらず、今も思い返しただけで鼻がツンとしてしまう。



私はガリオンさんをどうにかこうにかして動かし、持ってきた雑巾できれいに拭き上げた。


『ありがとよ、リリーの嬢ちゃん。あのクソガキに嬢ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてやりてえな』

「何言ってるんですか。アルバート様ももう少し大人になられればこんなことはしなくなると思いますが」

『どうだかな。あんなガキがゆくゆくは国王になるんだろ?世も末だな』

「こら、ガリオンさん。それは言いすぎですよ」

私は油断していた。

屋根での小声の会話など誰も聞いていないだろうと。



「アルバートに灸をすえるなら、私に任せてくれないか」



その声は、私の後方から聞こえた。



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