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4話 図書館に来たあの人

ロザンナ歴1550年5月15日、氷の曜日。

ミアという新しい友人ができ、休暇日を満喫してリフレッシュした私は、今日も目立たないように実習を終える予定だった。



予定だった。それなのに。




私は今、西館奥の本棚の袋小路で、グレーの文官服に身を包んだ絶世の美男子に"壁ドン"されている。

狼に捕食される寸前の野うさぎの気持ちが、今ならわかる気がした。

こんなときに限って周りに人はいない。いや、いないからこそ絡んできているのだ。彼はどうやらそういう人間らしい。


「で、今日はどうされたんです?クラウス様」

私は彼の空色の瞳を力強く見上げ、平然を装って言った。動揺すると面白がるのがこの男クラウス・シルトの習性だと知ってからは、毅然とした態度で接することに決めている。

彼はきれいな瞳を細め、クスクスと小さく笑った。そうするとオレンジゴールドの真っ直ぐな長髪が揺れ、かすかに柑橘の香りがした。

「嫌だなぁ、リリー。本を借りに来たに決まってるじゃないか。と言うか、そろそろ普通にクラウスって呼んでくれないか?」

甘く囁く声が恐ろしい。何という色気なのだろうか。何人もの女子が骨抜きにされたのがわかる。いや、わかりたくない。

「"シルト様"から"クラウス様"にしましたでしょう?これ以上はご容赦ください。そもそも貸し出しは実習生ではなく本物の司書にお願いします」

「そんな堅いこといわずにさ。その澄ました顔も良いね」

そう言いながらウィンクなどしないでほしい。距離も近い。怖い。早くどいてほしい。

「羽根より軽いクラウス様に言われても、嬉しくともなんとも」

「それ、いくらなんでも軽すぎないか?」

「妥当な表現かと。貴方に声をかけられると、正直迷惑なんです。さぁ、貸し出し処理しますから早くどいてください」

そう言うと彼は名残惜しそうに離れ、手にしていた本を渡してきた。

以前借りていったものと同様の、難しそうな他国の本だった。

私達は歩きながら貸し出しのカウンターを目指した。


「ねぇ、こんな美男子に声をかけられて迷惑?将来有望な外交通訳官なのに?」

貸し出し作業中にそんなことを聞いてきた。少し不安そうにこちらを見ないでいただきたい。リストに書き間違うからやめてほしい。

美男子だとか将来有望とか、そういうことをさらっと口走ることもそうだけれど、彼の場合は事実であるのが少しばかり腹立たしい。

「ええ、迷惑です。貴方に声を掛けられると目立ちます。困ります」

腹いせに、少しツンと返してしまうのは許してほしい。本来ならば彼と私の家柄を鑑みれば、私がこんな態度を取ることは許されない。けれど、この定期的に彼が絡みにくる状況が2ヶ月も続いているし、彼がしつこいのが悪いと思う。何かにつけて私に絡みに来ないでほしい。周りに人がいない時を狙ってくるので実害こそまだないけれども。



本の貸し出し作業が終わり、彼はカウンター越しに飛びきりの笑顔を向けてきた。


そのへんの令嬢達より美しいって、どういうことなのだろうか。天は二物も三物もほいほいと与え過ぎな気がする。

「友人になりたいんだけどね。また来るよ」

「もう来ないでください」

「今度はデートしよう」

「しません!」



彼は小さく笑うと長い脚で颯爽と去っていった。


私は大きくため息をついた。


クラウス・シルト様。

シルトーリア侯爵家の嫡男で、ヒンメル学園で私の2学年上に在籍していた。その容姿の良さ、家柄の良さ、交友関係までどれも申し分ない、超のつくほどの人気者。オレンジゴールドのサラサラな長髪に、青空のような瞳をした、物語に出てくる王子様のような容姿。彼の家はコメートラント国内でも指折りの広さと豊かさを誇る領地を治め続けており、王族からの信頼も厚い。数代前の王女様が降嫁していることもあり、彼自身に王家の血が流れている。そして極めつけは、コメートラント王国第三王子であるジャン殿下と同窓で親友であるということ。硬派なジャン殿下と対極の位置にいるのがクラウス様であり、学園内外を問わず色恋の噂が絶えなかった。


今は外交局の通訳官として国内外を飛び回っているらしく、その高い能力からゆくゆくは外交長官になるのではと噂されている。

これはクラウス様本人からの申告と、私の一番上の兄であり、王宮務めの文官であるエルマーお兄様からの証言により明らかである。


おわかりいただけるだろうか。

つまり、彼は私の理想と真逆の位置にいるような人間である。

すごく目立つし、多くの人から好かれるし、それと同じくらい僻まれて嫌われてしまう存在。


そんな人が絡んでくるようになったのは約2ヶ月前、ちょうどここで勤務実習が始まった頃である。

彼が探していた他国の本を一緒に探したところから目をつけられてしまった。正確に言うと、思い出されてしまった。




ヒンメル学園に在学中、一度だけ彼と話したことがあった。あれは私が高等部一年生だった冬のこと。

学園内にある図書館で静かに本を読んでいたら騒がしい声が聞こえた。


ジャン殿下とクラウス様とその取り巻きの女子、いわゆる親衛隊たちが入ってきたのだ。



遠くからしか見たことがなかった憧れの姿に胸が高鳴った。


が、周りの女子たちの冷ややかな視線に耐えられず、

巻き込まれまいと帰宅する準備を進めた。

しかし間に合わず集団の横を通らなければならなくなった。


その後すぐ、クラウス様に声をかけられた。

取り巻きの女子たちは殿下に気を取られており、目をつけられなかったのが幸いだった。


他国の歴史書の場所を聞かれたので、それらしい場所だけ答えてすぐ帰ろうとしたら、一緒に探してほしいと頼まれた。

仕方がなく探すのに付き合ったけれど、その後「学園内のカフェでお茶でもどうか」とか「友人になろう」などと誘われ、慌ててすぐに断った。彼と友人になどなれば、親衛隊から半殺しに合う。そんなのは絶対に嫌だった。


その後彼とは何度か学園内で遭遇してしまい、その度に声をかけられそうになった。私は必死に逃げ、徹底的に彼と会わないように細心の注意をはらった。


それ以来は無事に会うこともなく、彼は高等部を卒業していった。

向こうがそんなことを知れば、地味な女が何を自意識過剰なことを、と思われるかも知れないけれど、こちらとしては文字通りの死活問題であった。彼にとっては少しばかりの戯れが、一般の人間に与える影響を考えてほしい。

彼が卒業してからは安心して学校生活を送れたのは言うまでもない。




そして忘れ去っていた頃に、彼は職場に現れた。

「本探しを手伝ってほしいんだ」

あの時と全く同じ言葉をかけてきたのは、きっと無意識だったのだろう。


探している過程で彼は私のことを思い出してしまったらしい。

「君、学生時代にも一緒に探してくれたよね」

その言葉を聞いて、私は固まった。彼はみるみるうちに笑顔になり、あの後何度も探したんだだの、今度こそデートしようだのと興奮気味に伝えてきた。


そんな超のつくほど目立つ人物が、好意的に話しかけてくるのだから警戒するなと言う方が無理である。

普通の感覚の女子であれば喜ぶのだろうけれど、あの人を好いている人から嫉妬されたり付きまとわれるのは本当に勘弁である。


幸いにも彼が私に絡みに来るときは周りに人がいないので噂になったりはしていない。

それでもファンが多い彼は正直、恐怖の対象でしかない。



◇◆◇

「実習後の就職先、変えようかな」


その夜、私は自室で小さく呟いた。


『あら、例の彼のせい?素敵な殿方なのでしょう?デートくらい行ってくればいいじゃない!』

『だよね、僕もそう思ってるのにさ、リリーったら聞く耳も持ってくれないんだ。尊敬するあの人なら嬉しいのにとか思ってるんだよ、きっと』

シルビアとドーちゃんが楽しそうにキャーキャー言っている。

『やだぁ、恋バナ?!ワタクシも混ぜてよ!』

ミアまで絡んでくる始末である。シルビアとドーちゃんは有る事無い事ミアに吹き込んでいく。


「ドーちゃん、そんなこと思ってないから。貴方達は当事者じゃないからそんなことが言えるのよ。一体どれくらいのファンがいると思ってるの?目立つことは絶対にしたくない」

『ふふ。理由が可愛いのよね、リリーは』

『ほんとね。ふふ、ワタクシ楽しくなっちゃう』

「どういうこと?」

『クラウス様が嫌いだから、じゃないのねってことよ』

嬉しそうなシルビアの言葉に、一気に室温が上がった気がした。



「っ!嫌いよ、あんな人!シルビアのバカ!」



ドーちゃんとシルビアに"目"はないけれど、温かい視線がいつまでも注がれている気がした。

ミアは美しい空色の瞳をいつも以上に輝かせているように見える。その表情があの人に重なる気もする。

『ワタクシ、この家に来てよかったわ!』

いつになく上機嫌である。


"同じ空色の瞳だ。キライ"

と思ったのは言うまでもない。



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