3話 白い友人
「リリー、今日は小市場を見に行くぞ〜」
このお祖父様の一言で、私の休暇日は色めくものに変化する。
未だ見ぬアーチファクトに出会える気がして、自然と顔がほころんでしまう。
5月14日、陽の曜日。
私はお祖父様と王都フォルモントーナの小市場に繰り出した。
◇
「お祖父様、やっぱり乗合馬車を使ったほうが」
「これくらいは動かないと体が鈍ってしまうよ。リリーは本当に優しい子だなぁ」
人気の少ない道の途中、お祖父様に優しく頭を撫でられた。素直に嬉しい。その掌の温かさが心に染み渡る気がした。
少し癖のある白髪を後ろにちょこんと結んでいるのも、笑うと深緑色の瞳がふにゃんとなくなるのも最高に可愛いお祖父様である。
前シュベルタイン男爵、ジーク・シュベルト。
若い頃は王族の近衛兵を務めており、当時の国王様から勲章を授与されたこともある武闘派貴族。今ではテラスでのんびりとお茶をしているのが似合う老人だが、趣味は筋トレであり、肉体派を隠しきれない筋肉を持っているらしい。これは時々一緒に訓練するハインツ兄様の証言である。
そして、お祖父様は私の能力の師匠である。私が自分の能力をコントロールできているのは、彼のたゆまぬ努力と数々の研究と実験のおかげと言っても過言ではない。そう考えると、ずっと一人でこの能力と向かい合ってきた彼には本当に頭が上がらない。正確に言うと、彼の奥さんであるシンシアお祖母様は彼の能力を知っていて結婚したので"一人で"というのは語弊があるのだけれども。
『ねぇ、ジーク。あんたもう歳なんだから素直に甘えたら?』
「ナーちゃんは手厳しいねぇ。筋肉は使わないと衰えてしまうんだよ。長生きをするにはね、大腿四頭筋が大切なんだ」
『出たよ、筋肉ヲタク』
ジークお祖父様が会話しているのは、手帳のナーちゃんである。私の手帳ドーちゃんよりも少し高い少女のような聲をしている。黒い布製の表紙や柄はドーちゃんとほぼ同じだけれど、彼女には金糸が使われているところが違う。性格は結構キツめ。
『リリー、聴こえてるわ。キツいんじゃなくてハキハキしてるだけだから。あと、小薔薇の柄もちょっとだけ私のほうが豪華なの』
そう、ナーちゃんは心を読んでくる。ちなみにドーちゃんもである。
『呼んだ?』
「ドーちゃん、呼んでない」
『ねぇ、ナーちゃん。言っておくけど僕の柄の方が品があると思うよ』
『うっさいわね、ポンコツ手帳』
『なんだって、このガミガミ手帳』
こんな感じで収拾がつかなくなる。
この手帳たちは、双子のような存在である。
若き日のお祖父様が、家にあった魔石を2つに砕き、それぞれを手帳に埋め込んで加工したのだ。
お祖父様は他にもアーチファクトを自作しようとしたけれど、結局うまくできたのはこの手帳たちしかないらしい。
こうして、2人と2冊ののんびりとした、、、とは言えない散歩は続いていった。
◇
コメートラントの王都、フォルモントーナ。コメートラント王家が直轄する王国最大の都市であり、特に中心街であるルトゥーナは多くの貴族と生活水準の高い平民が住まう地域である。私達の家はルトゥーナの西外れのほうにあり、中心街を挟んで逆側、徒歩でいうと20分くらいの所に小市場がある。少し物のグレードが下がることもあってか、貴族よりも一般の市民が利用するような市場であり、中心街よりも"掘り出し物"が見つかることが多い。
中心街から小市場に抜けると、客層の違いがよく分かる。私達貧乏男爵家にはこっちの方が間違いなく合っている。なんと言っても落ち着く。
私達が向かっているのは、いつも贔屓にしてもらっている雑貨店。
そこで扱いきれない古い物をお祖父様が買い取っているのだ。雑貨屋の主人は売れ残りが減り、お祖父様はアーチファクトに出会える。これぞウィンウィンの関係である。
「実はな、雑貨屋の主人から手紙が来てな。気味が悪いから引き取って欲しいものがあるんだと」
お祖父様は語尾に音符が付きそうな声色で言った。思わず目を見開いてしまう。
「それって、もしかして」
十中八九アーチファクトである。もしくは、気味が悪いということはマギファクトやフルーファクトかもしれない。
「うちの子たちとも、仲良くなれるといいんだけどねぇ」
お祖父様はいつもの穏やかな笑みを浮かべながら言った。
うちの子たちというのは、シュベルト家で保管しているアーチファクトたちのことで、ドーちゃんたちやシルビア、その他大小を合わせると15個ほどになる。
うちにいるアーチファクト同士はケンカしたりもするけれど、概ね仲良くやっている。
「どんな方かしら」
私は、新しいアーチファクトとの出会いが大好きである。
どんな発見に出会えるのか、どんなことを語ってくれるのかが楽しみでしょうがない。時に違う国から来ていたり、造り主とのエピソードがあったりと、本当に考えさせられる。
私達は雑貨屋の扉を開けた。
◇
「ジーク、よく来てくれた。リリーの嬢ちゃんもこんにちは。早速見てほしいんだ」
「ヘルムート、よろしく頼むよ」
雑貨屋の主人ヘルムートさんは、いつもより元気がなさそうで、目の下にうっすらとクマができていた。
彼はお祖父様と同い年で元近衛兵仲間である。貴族出身だけれど、大恋愛の末、平民の雑貨屋に婿入りしたのだという。お祖父様が美術商を始める後押しをしてくれたのも商売のノウハウを教えてくれたのもこのヘルムートさんである。
この雑貨屋は来るたびに物が少しずつ増えている。しかし、清潔感があり、なんと言っても物たちが生き生きとしているように見える。ヘルムートさんが仕入れた物を大切に扱っているのがよくわかる、気持ちのいい空間である。
店の奥、倉庫の中にそれは仕舞われていた。
ホコリを被らないように丁寧に白布で覆われたそれは、叫んでいた。
『ニャー!いい加減出しなさいよー!!』
その聲に私とお祖父様は顔を見合わせた。
「ヘルムート、中を確認しても?」
「あぁ。ほんと、よろしく頼む」
テーブルに丁寧に置き直された白布の塊から出てきたのは、陶器でできた猫の置き物だった。高さは15センチほど、艷やかな白磁の肌と青空のような美しい瞳が特徴の可愛らしい仔猫である。
話せているところをみるとアーチファクトであることは間違いない。
白磁器の特徴から、この仔猫はおそらく数百年前にノルデンベルギシアで創られたものであり、瞳に使われているのはもしかしたら"天石"という魔石の一種かもしれない。つまり、マギファクトの可能性がある。
「見た目は可愛らしいんだが、コイツはいわくつきでな。買い主が気持ち悪がって手放していくんだ。俺も半ば強引に押し付けられて困ってるんだ」
この仔猫の置き物がこの店に来たのはちょうど一ヶ月ほど前。その頃から、夜中になると倉庫からガタガタという音やニャーニャーと小さな鳴き声が聞こえるのだという。倉庫の扉を開けて確認すると何事もないのがさらに不気味なのだとヘルムートさんはため息をついた。この国の住民は不可思議を嫌う性質があり、非科学的なものを信じようとしない。ヘルムートさんも例外ではない。
お祖父様と目が合い、一つ頷いてくれた。
私が交渉していいという合図である。
「別嬪さんね」
私は仔猫の目を覗き込むように見つめた。キラキラとした空色に吸い込まれそうになる。やはり、使われているのは天石のようである。
仔猫は私を見るなり上機嫌になった。
『あら、お嬢さんお目が高いわね。さぁ、早くワタクシを買い取りなさいな。早くここから連れ出してちょうだい』
猫なで声、先程の5割増し。可憐で高貴な雰囲気の聲である。
『こんにちは、仔猫さん。私はリリー。少しお話しましょう?』
『え?!私に話しかけてきた?!嘘だろおい』
最後の言葉に少し笑いを堪えきれなかった。高貴なのかそうじゃないのかよくわからない猫である。
『ちょっと特殊な能力持ちなの。仔猫さん、お名前は?』
私は仔猫をなでながら念話を続けた。念話にはかなりのエネルギーを持っていかれるのであまり長時間は使えない。連続して使えるのはせいぜい5分が限界である。
『ワタクシはミア。故郷に、ノルデンベルギシアに帰りたいの。こんな堅苦しい国とは早くおさらばしたいのよ!とにかく、リリー。私のことを買いなさい。たくさん愚痴を聞いてもらいたいのよ!』
『わかったわ』
その必死な訴えに、私は思わず返事してしまった。
『ほんと?!いいのね?!取り消しは効かないわよ!』
ミアさんは瞳を輝かせたのだった。
「お祖父様、私この子が欲しいです」
「いいだろう。リリーが気に入ったならね」
「本当かい、リリー?!本当にいいのかい?!」
ヘルムートさんは目が飛び出しそうになっていた。
私は笑顔で頷いた。
こうして私達はミアを買い上げた。
5トランという破格の値段である。5トランといえばカフェのコーヒー代程度なので、本来の彼女の価値には到底至らないのだけれど、ヘルムートさんが「こちらがお金を払ってでも引き取ってもらいたい」と泣きついてきたので交渉してこの値段になった。ミアさんにはこんなに安くて申し訳ないと謝ったけれど、「布を被った生活をするよりずっといいわ。早く家に連れてって」と上機嫌だったので良しとする。
ヘルムートさんと奥さんにお礼にと昼食までご馳走になり、私達は帰路に着いた。
◇
家に着くなり、お祖父様のコレクション部屋がある離れに移動した。
ここには他の家族はあまり来ないので気兼ねなくアーチファクトたちと話すことができる。
私は紅茶を淹れ、お祖父様とテーブルを囲った。テーブルの真ん中にはもちろんミアさんがいる。
『驚いたわ。まさかおじいさんの方までワタクシと喋れるなんて。貴方達、さぞかしこの国で苦労しているでしょうね』
「そうですね」
『二人とも、ワタクシとノルデンベルギシアに行きましょう。それがいいわ!』
ミアさんは故郷がいかに素晴らしいところか語ってくれた。山々に囲まれた自然豊かな地。民族や思想の違いによって差別したりしない陽気な人々。
前々からノルデンベルギシアには興味があり、行ってみたいなと思っていたけれど、国境を越えるにはお金がかかるので今の私には難しい。5年位働けば、小旅行くらいはできるかもしれないと淡い希望を持った。
彼女は話を続けた。それによると、彼女は300年ほど前にノルデンベルギシアの有名な職人によって創られ、王家に納品される予定だったそうだ。しかし、その道の途中で盗難に遭い、流れに流れ着いてここに至ったのだという。このコメートラントにたどり着いたのは約100年前で、ノルデンベルギシアとの扱いの違いにうんざりしていたのだという。というのも、皆、雑貨屋の主人のような反応をし、物置に隠されたり売り飛ばされたり壊されそうになったりと散々だったそうだ。
『それは大変でしたね。今でも故郷に帰りたいんですね』
『ええ。ワタクシには幸福のまじないが掛けられているのに、この国ではそんなもの認めないでしょう?宝の持ち腐れよ、ほんとに』
「幸福のまじない?」
『そうよ。クルトが掛けてくれたの。この瞳、水の魔石でできているのよ。持ち主や家を水害や干ばつから守れるようにって』
「クルトって、まさか、クルト・アルバトロスか?!なんとなく彼の作品かもしれないとは思っていたが!」
『あら、こっちの国でも知られているのね?私の創造主よ』
ミアさんは誇らしく言ってのけた。
それはすごい!と言いながら、お祖父様は興奮した様子で本棚から一冊の本を取り出した。
ノルデンベルギシアの美術史らしく、そのページが私達に見えるように置いてくれた。
そこに載っていたのは、様々な白磁器やクルト・アルバトロスの肖像画の模写だった。そのページによると、クルト・アルバトロスは"白磁器の父"と呼ばれ、彼の作品は現在もノルデンベルギシア王家に多数納品されているという。
『クルト、、こんなにカッコよく描かれちゃって。ただの呑んだくれおじさんだったのに』
そう言うミアさんの声はどこか優しく、そして悲しげだった。
親元を離れて、数百年もの間ずっとさまよい続けたミアさんを思ったら、なんだかやるせない気持ちになった。
淡かった私の決意が決まった。
「私、お金を貯めたらノルデンベルギシアに行くわ。ミアさんのことを故郷に返しに」
『本当に?いいの?』
「ええ。ジークお祖父様も、それでいい?」
『リリーの好きにしなさい。そうだ、ミアはリリーの部屋に置けばいい。シルビアやドーちゃんともきっとうまくやれるだろう』
「ありがとう、ジークお祖父様」
『リリー、本当にありがとう!大好きよ!そうだわ、あっちの国でワタクシを売りなさい。結構な値段になるはずよ。足の裏を見て、クルトが作った証があるから』
彼女に言われたとおりに裏を見ると、そこには独特なサインがあった。
「でも、それは申し訳ないというか、何と言うか」
『しばらくお世話になるお礼よ。ふふ、ちゃんと陽のあたる場所に置いてね。あと、敬語はなしよ。仲良くしましょう』
「わかりま、わかった。よろしくね、ミア」
こうして私に新しい友人ができた。