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④二人の時間


領地にある本邸は主人と使用人の距離が、他の貴族と比べて近いらしい。それは気取らないレスターの人柄や、外とあまり交流する事なく、使用人に囲まれて暮らしているというトリーの事情によるものらしかった。


 まとめ役でもある家令が主導してささやかですが、と顔合わせを兼ねて歓迎会のような場を設けてくれた。とても美味しい料理の他、竪琴(ハープ)洋琵琶(リュート)などの珍しい楽器の演奏や、あの大人しそうなアリスという侍女がエディ少年と一緒に、本職に匹敵するのではないかと思う程、見事な手品を披露してくれた。金のコインがガラス瓶や彼女の不思議な手の平を貫通したり、観客のポケットにいつの間にか移動している出し物のタネはさっぱりわからず、ただただ称賛の拍手を送るほかなかった。トリーが教えてくれたところによると、屋敷からあまり出歩けない主人のため、彼女が練習を重ねた結果であるらしい。



 そんな風にして、ティルダは少しずつでいい、と言ってくれたレスターの下、屋敷で働いている人間の顔と名前はおおよそ一致させた。細かい為人も、そばについてくれる女性使用人を中心に覚え、後はトリーと一緒に行儀作法の先生に、こちらのやり方を、という名目で習っている。それが終われば読書に刺繍に、と一般的に上流階級の女性に広く親しまれている事を共有して、少しずつ交流を図った。


 また、トリーがせがむので、国王の命令でレスターが北の地で何をしていたのかを説明した。そのおかげで飢える心配をせず、皆が冬を越す事ができたのだと。神殿を拠点としてきびきびと指示を出していた様子を話すと、屋敷ではそんな風ではなく、のんびりしている姿しか知らないと妹君が言うので、思わず苦笑してしまった。

 きっとトリーは、仕事で屋敷に戻らない兄君を心配して、そして寂しかったのだろうと思った。

 ぽつりぽつりと教えてくれたのは、友達が欲しいとお願いして企画したお茶会も、連れて行って欲しいとお願いしたお出かけも、自分が熱を出して取りやめにしてしまった話だった。家の事は兄に任せっきりになってしまっている事に本当は感謝をしていて、申し訳ない気持ちであるとも口にした。

 彼女の心の内を聞き終えて、自分も似たような気持ちであるとティルダも打ち明けた。そうするとトリーは優しいので、こちらに来たばかりなのでわからない事、やり方の違いがあって当たり前だと言ってくれる。一緒に頑張りましょうと言って、また話に花を咲かせるのであった。



 レスターは視察なのか件の放浪癖なのか、屋敷を空けている時間も多かったが、ある時一緒に来て欲しいというので、ティルダは出かける準備をした。 平日の午後の時間帯に向かった先は、侯爵邸に近い街にある神殿である。馬車から下りてみると、領主の訪問という事で人払いがされているらしく、閑散としていた。


 初めて訪れる場所ではあるけれど、神殿という特別な場所の空気にだけ漂う独特の空気は、故郷で慣れ親しんでいた場所と時間を懐かしく思い出させた。さあ、と促され、ティルダはレスターの腕をぎこちなく借り、中へと進んだ。


侯爵領の神殿全体をまとめる立場にあるという位の高い祭司が出て来て、結婚に祝福の言葉を丁寧に述べた後、神殿の中を案内してくれた。北部も少しずつ落ち着いて来ているようで何より、というような話もしながら中を一通り見て回り、何か相談事があればいつでも、と確認して用件は済んだらしい。


 用件も終わってもう帰るのかと思いきや、レスターはティルダを伴って礼拝堂にもう一度向かった。先ほども思わず感嘆した、色付きのガラスが繊細に組み合わされた見事な飾り窓を眺めた。しばらく二人でそうした後、ティルダはこっそりと隣の、自分の夫となった人物を見やった。

 彼は表情や佇まいに感情を出さないために心の内を読み取るのは難しいけれど、同じ時間を過ごすようになったおかげか、少しわかるようになった。どうやら現在滞在している領地の本邸こそが、彼が最もくつろげる場所のようだ。妹君や、長くいる年配の使用人であるとか、彼らと言葉を交わしている時は明らかに表情はやわらかいように感じる。


 少し話がしたくて、と切り出したレスターに、ティルダは目を丸くしながらも素直に応じた。


「……少しは、こちらの生活に慣れたか?」

「はい、とてもよくして頂いて。充分過ぎる程です」

「あなたは神殿に着いてからの方が少し、嬉しそうに見えるな」

「……母が生きていた頃、神殿に熱心に通っていまして。とにかく長い時間過ごした場所ではありますから、どこか安心するような、そんな気がします」


 こちらに来る前に何度も考え、覚悟していたような受け入れてもらえないのではないかという不安を、ティルダはもう抱いてはいなかった。けれどそれはつまり、屋敷の人々がティルダに期待しているであろう、夫人として屋敷や領地を支えていく役目の重みを、改めて認識させられる事でもあった。


「子供だった頃、貴族の結婚は家という仕組みを維持するためだけだと教えられた。けれどこちらの求めに応じて来てくれたあなたと顔を合わせた時から、色々と考えてしまって」


 不手際ばかりだった、とレスターは言う。その声も表情も今まで見た中で一番硬いように見えた。


「ティルダが母君とよく神殿に通っていた話と、上役の補佐のような仕事を熱心にというのを、神殿の知り合い、先ほど顔合わせをしたあの祭司から聞いた。それで、結婚を決めた。あなたにとっては、……自分で決めた道を無理やり捻じ曲げられた事になったのかと思うと」

「いえ、そのような事は決して……」


 そうだったのか、とティルダは思わず目を瞠った。結婚の話を父と上役から告げられた時、まるで神殿で過ごした時間は無意味であったかのように扱われたのだと思っていた。けれど、実はそうではなかったのかもしれない。ティルダの行いを好意的に捉えて伝えてくれた人が、そして何より、受け取った相手が目の前にいたのだ。

 そう認識した時、飾り窓を通して礼拝堂へ降り注ぐ光の道として、確かに見えたような気がした。


「レスター様も、『輝きの楽園』の話を、ご存じだと思います。祭司様が故郷を離れる私に、きっとたどり着けるはずだと教えて下さいました。けれどその時は、素直に頷く事ができなかった。行った事のない場所、知り合いもおらず、今まで自分が学んで来た事はきっと通用しないのだと、そう思うと怖ろしかった。それは本当です」


 ですが、とティルダは言葉を切った。心の中に秘めていたのは、決して不満ばかりではない。新しく出会った人々、何より自分の結婚した人に対して生まれた、期待や憧れという温かな思いは既に自覚している。まだ短い時間だが、結婚して侯爵の妻という立場となり、夫に対する様々な声、本当に近しい人々とどう接しているのかを目の当たりにしたのだから。

 確かに自分はずっと祭司になるつもりでいた。母を亡くし、生家に居場所がない悲しみと息苦しさと寂しさ。だからせめて、人々の暮らしの穏やかさを守る存在でありたかった。その未来に思い描いていた道と、これから自分に求められている役割に、大きな違いはないはずなのだ。

 そして、とティルダは自分の結婚した相手を改めて見上げた。この人と手を取り合い、共に作る素敵な未来の事を思った。

 

「今は、自分のできる事を尽くそうと思っています。領地のための結婚をしたあなたの妻で、けれど、……どうしようもなく、あなたには好かれたいとも思っています。今はその気持ちを大事にしたいのです。それはいけない事でしょうか、旦那様」


 少しでもこの決意が、自分の気持ちが相手に伝わるように、できるだけ真っすぐに見つめた。侯爵はしばらく瞬きを繰り返して不意に目を逸らしたが、代わりにティルダの手を取ってくれた。 


「……いけない事とは言わないが」

「言わないが、何でしょう?」

「場所を考えろと天使様に怒られそうだから、屋敷に戻ってから」


 侯爵は咳ばらいをした。ティルダも身分に見合った発言かは疑わしい事を口にした自覚はあった。気まずい空気を誤魔化すべく、夫の真似をしておいた。



 そろそろ帰る、とレスターに促されて礼拝堂を出た。従僕達と合流した後も馬車の中でも、二人だけに聞こえる声で、彼は話を続ける。


「侯爵邸において、少なくとも私が当主でいる間、一番大切な事を話をするから聞いて欲しい」


 はい、とティルダが返事をし、外ではベテランの御者がゆっくりと馬車を走らせた。領地も王都も、ご要望があればどこへでも、と申し出てくれた年配の使用人からお菓子を差し入れられ、座り心地の良い座席に背を預けながら、二人は言葉のやり取りを止める事はなかった。


「かつて領地で、私の父は絶対の存在だった。誰も逆らえなかった。けれどある時私にとってどうしても許せない事を、道理の通らない事を強要しようとして言い争いになった。その時、病身だと隠していたのがわかった」


 彼が教えてくれたのは以前、北部からこちらに向かう馬車の中で聞かされた、おそらくは何もかも侯爵の、国王陛下の手柄になるのを嫌がった者達が流したであろう噂の話である。


「もう時間が残されていないとわかったのに溝は埋められないまま、そして決裂して許せないままになった。だが父も誰にも弱みを見せる事ができずに、病の苦しみも、死ぬ事の不安もやり残した事も何一つ打ち明けられないまま、それは哀れだったと思う。私はそうはなりたくはない。だから妹にしろ使用人にしろ屋敷にいるからには、当主がおかしい事を言ったら迷わず指摘するように言い聞かせてある。ティルダ、それはあなたにも」

「はい、心得ておきます。けれどそれは、旦那様が必ず聞き入れて下さると思うからです」


 レスターがティルダに対して、妹と仲良くする事ともう一つ、頼まれた事になる。引き受けると、彼はどこか安堵したような表情で、自分もお菓子の包み紙を解いた。

 それからもう一つだけ、とどこか懐かしむように昔の事を話してくれた。


「昔、子供の使用人を屋敷においた事がある。これもあれこれ言われたが、当時は行くあてもない可哀想な子供を、と思った。彼らが朝早くから鶏小屋を掃除したり、庭園や厨房で頼まれた仕事をせっせと覚えてこなしているのをずっと見ていた。今となっては、彼らがいるといないでは大きく違う」


 エディとアリスという使用人がそれだ、と聞くと、あの気の利く従僕の少年と、トリーに静かに付き従う侍女の事であるらしい。確かにどちらも彼のお気に入りではあるようだが、他の使用人と同じようにそれなりの良家から来ていると思ったので少し驚いた。素直にそう伝えると、本人達を褒めておく、と侯爵は言った。


「あなたとこれから生きていく道の先に、そんな出来事がたくさんあるように願うばかりでなく、行動する事を忘れないようにしたいと思う。……そういうわけだから、形式だけにしてしまった、神殿での婚姻の儀式。皆に当主夫妻は安泰である、と示す口実で、もう一度執り行いたいたいと思う」

「……はい、嬉しく思います」


 レスターからの思わぬ提案に、ティルダは頷いた。祭司見習いだった頃に目にしてきた、多くの幸せそうな人々の姿が浮かんだ。つまり、これからの日々に素敵な楽しみが、また一つできたのである。


「この結婚に浮かれているのは我々二人共である、という事実を明確にしておく目的も十二分に含まれている」


 この時のレスターの表情を、多くの人は普段と変わらないと言うに違いない。けれどティルダは彼の眼差しや口調に自分と同じ、微かな高揚を抑え切れない気配を確かに感じ取った。気持ちは確かに通い合ったのだと、そしてそれは何にも代え難い幸せな事だった。

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