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短編 客を待ちわびる

作者: 間の開く男

 今日もあの子が買いに来てくれた。

 こんな萎びた店に、週3回も来てくれるのだからこれほど嬉しいことはない。追加のきんつばをガラス棚に並べる。奥からカミさんが「また来てくれたの?」なんて白々しく声をかけやがる。

 

 

 最初に来た時にはおっかなびっくり……初めて外に出た家猫のように、見るもの全てを丸い目でみつめているようで、つい声をかけてしまった。

 

「お嬢ちゃん。和菓子、好きかい?」

 なぜ話しかけられたのかと悩むような素振りの後、元気よく「はいっ!」と返事をされた。

 奥のカミさんにはナイショでな、と言いながらまんじゅうを一つ渡してやると、勿体ぶる……いや、あれは大事そうに食べていたというのが正しいな。

 両手で包みをもって遠慮がちに食べる様子を見て、久しぶりに嬉しくなってしまった。

 

 おばあちゃんが好きな和菓子、というのが思い出せないらしい。店内飲食用の狭い座敷へとお茶を出しながら、買いに来た理由を聞いたときだった。

 

 丸い、甘い餡の入ったもの。

 お嬢ちゃん、ここのはほとんど甘いんだよ、とは言わない。

「一緒に考えてみようか。食べたことはあるのかい?」

「うん、一回だけ。つぶあんで丸くて少し甘かった」

 もしやと思い、きんつばを取り出して食べさせてあげたら、味はこれだったと言う。

 

 丸いきんつば、か。

「お嬢ちゃん、他にも食べたいのがあったら言ってごらん。その間に作ってくるから」

「うーん、虫歯になるから食べ過ぎちゃだめだって言われてるの」

「そうかぁ、じゃあ次に来たらおばあちゃんの好きなものを出してあげよう。それでいいかな?」

「うん! ありがとう、おかしのおじいちゃん」

 そうだよなぁ、この子からしたらおじいちゃんの歳だよなぁ。元気の良い声はカミさんの方にも届いていたようで、口に手を当てながら笑う声が聞こえる。

 

「じゃあ、またおいで」

「またね!」


 大量に作るもんでもないが、うちは四角いきんつばを出し続けてきた。六面をぱりっと焼き上げて餡の風味を閉じ込める。

 しかし……何代か前までは丸かった。手間暇と売れ行きを考えて形を変えてしまったのだろう。

 

「おい、きんつばの餡はまだまだあるだろう」

「無ければ作りましょうかねえ」

 小さなお客さんの為に、古い手帳を戸棚の奥から引っ張り出す。知りたい事が詰まった辞書であり、嬉しさを伝える秘訣が載った手紙。その中から、今必要な部分を探し出して開く。

 

「なるほど、ここで水を……これはなんて書いてあるんだっけ?」

 老眼というものはイヤになるが、眼鏡をかけたら負けを認めるようなもんだと意地をはる。

 あたしゃ便利な方がいい、と遠近両用を早速買ったカミさんへ向かって、手帳を広げる。

「……(グラム)、じゃないかねえ。なんでまたこんな古いものを」

「あのお客さんは"きんつば"を買いに来たけれど、うちに無かったからだ」

 きんつばなら……と言いかけて、その口の端がやや釣り上がる。

 

「……そういうことかい、昔っからアンタは女に弱いけど……いくつになっても変わってくれないねぇ」

「うるせえ。鉄板、頼む」

「あいよ、火は入れてある」

 照れ隠しなんてする必要も無い。隠し事なんざ顔を見られたらすぐに見破られるだろう。

 夫婦に境界線なんざない、歳をとってようやく分かってきた。こうやって考えごとをして手が止まっているのも、きっと分かってやがる。

 

 手早く小麦粉に水を入れて混ぜ、餡を包む生地にしていく。手で取っても垂れない程度の粘りが丁度良いと書いてあった。 

 書き残されたものを頼りに出来る限り皮を薄くする。包み上げる時の力加減はなんとなく掴めてきた。

 

「今度のは、どうだ?」

「甘い。餡の風味が外身(そとみ)に負けてるよ、こりゃ。薄くした分、餡をもっと磨かないと負けちまうんじゃないかい?」

「……そんなこたぁ、言われなくても……」

 小豆を煮る際の茹でこぼす回数を増やして苦味と渋さをもっと抜く。砂糖はいつもよりほんの少し減らして、ひとつまみ多く塩を入れる。引きちぎれる限界まで薄く皮を伸ばしてやり、透ける膜へと焼き目をつける。

 

「……どうだ?」

 焼き立てを一つ渡して感想を待つ。毎日食っている俺よりも、あまり食わないカミさんの意見を頼りにする。自分の味が出来ちまったから自分で分からないってのは、皮肉なもんだ。

「うん、これなら上出来じゃないかねぇ」

 シワだらけになっちまっても、笑うと可愛い。面と向かって言ったのは数十年も前だが、もう言わなくたって通じ合うだろう。

「……食べてるところを見てて楽しいのかい?」

「うまそうに食ってくれるのを見るのが、楽しい」

「ほんと、変わらないねぇ」

「うるせえ、お前が食うところなんて見飽きた」

 目をそらし手元に集中しながら、明日も同じものを作れるよう感覚を叩き込む。作り慣れたものは目をつむってても作れるが、これはそう簡単じゃない。他にも作るのが難しいのはいくつもあるがこれは別格だ。

 こんなものを作るなんて、よっぽど腕を見せつけたい若造か、自信のある和菓子屋くらいだろう。


 店の表でカミさんが数組のお客さんへと作りすぎた"きんつば"を手渡しながら、サービスだよなんて言いやがる。

 茶をくれ、と言っても出てこないから自分で淹れていると、「セルフサービス」と言いながら横を通り、作り終えた分の他の菓子を持って行きやがった。

 いつになっても読めない天気だが、よっぽどじゃない限り、もう雷は落ちないはずだ。


 

 と、思っていた。

 

 店先で見た顔に驚いて、思わず「あっ」と声を漏らした。何年、何十年経ってもこの顔を忘れるはずがない。

「い、いらっしゃい。お嬢ちゃん……と……」

「……お久しぶりです、大次郎さん。お元気ですか?」

 着物姿がしっかりと似合う、良い歳のとり方をしたなぁと感心するような、幼馴染がそこに立っていた。

 

「おかしのおじいちゃん、うちのおばあちゃんを連れてきたの!」

「うーん、おじいちゃんね、ちょっと具合が悪くなっちゃって。うちのカミさんが代わりに……」

 逃げようとすると、そのカミさんが通路を塞ぐように立っている。にやにやと成り行きを見守るように。

 仕方なく、2人の方へと振り向いた。

 

「ええと……お嬢ちゃん、きんつば、できたから」

「丸い?」

「ああ、丸いよ。今日からうちのは丸くなった」

 後ろからこそっと「アンタも丸くなったねぇ」なんて聞こえた気がするが、腹が立つだけだから相手にはしない。

 

「それでは、きんつばを2ついただけますか?」

 ヒサちゃん、久子さんが白い指でケースの中を指差す。

「ええ、少々お待ち下さい……お持ち帰りで?」

 持ち帰ると言ってくれ。たのむ、ヒサちゃん。

 

「いいえ。作ってくれた人を見ながら食べようって、この子と話してたんです。やさしいおじいちゃんだからって」

「すっごくおいしいんだよ!」


 急にみみたぶをつままれて、裏へと引っ張られる。

「いてて、何しやがる……?」

「気が利かないねぇ。ほれ、お茶淹れてあるから。あたしゃ回覧板回してこないとならないから、代わりに出してあげてくださいな」「おめえ、回覧板は昨日……」

 ひょい、と湯呑みの乗った盆を手渡すと、手ぶらのまんまで勝手口から出て行こうとする。

「ああ、忘れてた」

 くるりと、もう一度こっちを見て。

「もし晩飯が無かったら、何か適当に済ませてくださいな。」

 何も言い返さないと確信しながら、ぴしゃりと戸を閉めて出ていった。

 

 緑茶の香りに満たされたこの3つの湯呑みを、運ぶしかない。

 覚悟を決めて、座敷へと近づいた。

 

「お待たせしました、きんつばでございます」

 先に置いた緑茶は手つかずのままで、ケースから出すところもしっかりと見られていた。久しぶりに緊張したのか、ガラス戸にかけた手がぷるぷると震えて、小さくがたがたと音を立てた。

 

 ゆっくり丁寧に、2人の前へと皿を置く。

 ごくり、とつばを飲む音が聞こえたが、どうやら俺が立てた音らしい。

 

「では、いただきます」

「いただきます!」

 昔より張りが無くなった、俺とおんなじような指で持ち上げて、ひとくちかじる。

「どう? おいしいよね、おばあちゃん!」

「……優しいお味ね。作ってくれた人が優しいから、この味なのよ」

 

 和菓子屋を継ぐから、色恋に構ってる暇なんてねぇんだ。

 俺は確かにそう言った。ヒサちゃんに憧れてるやつぁそこら中に居たし、誰が先かと話していたのも耳にした。

 誰か別のやつとくっついちまいな、と言うなり背中を向けたから、向けちまったから顔は見てない。

 

 それきり、店になんて来なかったのに。

 

「すみません、大次郎さん。あともう2ついただけますか。ひとつは包んで、もうひとつはこちらへ」

「……ええ、もちろんです。少々お待ち下さい……」

「よろしければ、一緒にいかがですか?」

 一緒に、食えってのか。

 俺は一度断ったというのに。

 

「すみませんが、家内が回覧板を届けに出たっきりでして。店番が……」

「おじいちゃん! たべよ!」

 有無を言わさぬこの言葉は、若い頃のヒサちゃんそっくりだ。

 ここいらで、観念するか。

 

「じゃあ……ひとつだけ。よく来てくれるお客さんの頼みだから、仕方ねえんだ」

 誰に対しての言い訳か、アイツが聞いてたんなら腹かかえて笑うだろうなぁ。

 少し冷めた茶を飲みながらくだらねえ話をいくつかして、客人に茶を出しただけだからお代はいらねえ、と追い返した。

 

「おかしのおじいちゃん、またね!」

「おう、待ってるから……待って、ます……」

 ヒサちゃんに言った訳じゃないってのに、声が尻すぼみになる。

 

 手を振るお嬢ちゃんと初恋の相手に背を向けて、なぜか流れた涙を拭う。

 この塩味は、甘さが引き立っちまう。甘さの加減を間違えるなんて職人としては半人前だ。

 まだまだ半人前で、皮の分厚い、あのいびつな形のきんつばを、嬉しそうに食ってくれた。

 ちゃんとしたのを作るから、また食ってくれと言ったのを覚えていてくれたんだ。

 一人前にはまだまだ遠い。この腕が動く限り、作って食わせてやる。

 

 

 今日もあの子が買いに来てくれる。

 こんな萎びた店に、週3回も来てくれるのだからこれほど嬉しいことはない。追加のきんつばをガラス棚に並べる。奥からカミさんが「また来てくれたの?」なんて白々しく声をかけやがる。

お題:和菓子・愛するもの・境界線

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