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廃鉱山

作者: 清水健日

 とある縁で私は鉱山資料館の館長を務めることになった。館長といっても立派なのは名前だけで、少ない従業員と一緒に受付業務や館内の掃除もしなければならないというかなり骨の折れる業務であった。しかしそんな中にも気に入っていた仕事があった。それは廃坑道の点検作業である。坑道は一年を通して涼しく保たれていて、あたりは静寂に包まれている。聞こえるのは自分の足音だけで、その岩を打つ音が岩壁に反響して幾重にもこだまして聞こえた。今までの都会暮らしに慣れていた私にとってこのような環境は心にゆとりを与える大切な存在であった。

 この資料館のある町はかつては銅山として栄え、町中には子供も多くいて活気づいていたそうだ。しかし銅の産出が止まると、坑夫とその家族たちは瞬く間に町の外へ出て行ってしまい、かつての町の活気は夢のように過ぎ去ってしまった。山の中腹にある空虚な穴ぼこを除けば何の変哲もないただの山あいの寒村にすぎなくなってしまったのだ。

 

 ある時、一人の男が資料館を訪ねた。その男は展示品の写真や模型を順に見たあと、坑道の見学を申し出た。少ない来館者であるので私はひとつずつ丁寧に説明をした。男は何も言わず興味深そうに私の説明を聞いていた。

 坑道を出てから「申し遅れました」と言って名刺を手渡した。名刺には『日本産業研究会・新渡戸雄一』と書いていた。聞くところではこの新渡戸という男はこの研究会とやらで近現代の日本の産業の発展を調査しているらしい。

 「鉱山というものは不思議なものです。」

新渡戸はそう言った。

「鉱物を取り尽くしてしまった鉱山は魂が抜けたようになってしまうのです。」

「山の魂というと…?」

私は思わず聞き返した。

「簡単には説明しづらいものですが、生気がなくなってしまうのです。」

「つまり鉱山の開発によって捻じ曲げられた生態系は二度と戻らないということですか。」

「まあそんなところで良いでしょう。」

新渡戸は難儀そうに顎を掻きながらそう言った。そしてこう続けた。

「魂が抜けるのは山だけではありません。坑夫たちが魂を鉱山に置き忘れているかのように坑道には人の気配が感じられるのです。」

話は思わずオカルトチックな方向へ転がっていったので私は少し返答に困った。すると新渡戸はすかさずこう付け足した。

「実際、鉱山を出て魂が抜けた坑夫たちの中には突然の病気や不慮の交通事故などにより不遇の死を遂げた者も少なくないのです。これはまさしく魂を失っているからなのです。」

話がますます胡散臭くなってきたので私はさらりと聞き流した。最後に新渡戸は「いいものを見せてもらいました」と言って深々と頭を下げて資料館を去った。


 資料館の閉館の知らせが入ったのはちょうど帰り支度をしている時だった。この頃は来館者の減少が顕著であったため、私はその事実を受け入れざるを得なかった。

 とは言っても完全な閉館までには少し期間があるので私の坑道点検の仕事はまだ残されていた。坑道は岩ばかりの細い通路なので非常に殺風景であるが、見慣れてくるとやはり愛着が湧いてくるもので、ここを去ることに名残惜しさも感じていた。錆び落ちた看板や小さな岩の窪みにすら哀愁を感じるのである。

 その時である。一瞬周りが明るくなり、あまりの眩しさに目を伏せた。すると男たちの声とけたたましい金属音が聞こえ始めたのである。そして足元にはトロッコのレールが浮かび上がってきたのであった。まぎれもなく私のいる空間は『生きた』鉱山になったのである。

「危ない!道をあけろ!」

そう怒鳴りつける声に驚いて声のした方を振り向くとトロッコが猛スピードで迫ってきていたのである。私は坑道の脇に尻もちをついてそれをよけるとトロッコは目の前を通り過ぎて行った。その時にはトロッコがレールと激しく摩擦する音や、乗っている男の泥と汗の混じったにおいも鮮明に感じられた。坑夫たちの顔は誇りに満ち溢れ、活力が滾々と湧き出てくるようであった。

 私はしばらくその風景に気を取られてその場に尻もちをついたまま動けずにいた。そして何時間も経ってからベルが鳴った。

「やっと終わった。今日は給料日だから、息子に約束のおもちゃを買ってやるんだ。」

「いいですね。息子さんが好きなのは鉄腕アトムでしたっけ。」

「そうだ。よく覚えていたな。」

ある坑夫たちはそう話している。彼らにも家庭があるようだ。坑夫たちがはけた坑道は一気に静かになった。そして再びあの光に包まれたかと思うとあたりはいつも通りの寂びれた風景に戻った。

 坑道から出ようとしたとき、従業員たちと出くわした。帰りが遅い私を心配したようだ。心配を取り除くために私はこの体験を事細かに話したが誰もまともに話を聞こうとしなかった。それどころか頭でも打ったのではないかと余計な心配をするものもいた。私はそれ以上何も言う気にはならなかったが、決して自分の目を疑う気にはならなかった。

 次の坑道点検の時にもあの不可解な現象は起こった。あたりが閃光に包まれると、私は再び『生きた』鉱山に迷い込んだのだ。しかし坑夫たちから感じ取られたものは誇りや活気ではなかった。

「こっちはもう掘っても何も出ませんぜ。」

「向こうの穴はどうだ。」

「馬鹿野郎。そっちは古い穴ばかりだ!」

坑夫たちはしきりにそのような話をしている。そして誰かの「今日は終わりだ。」という一声によって彼らの作業は終わった。そして私も現実世界に戻った。

 どうしたのであろうか。以前とは打って変わってしまったではないか。私はその後坑夫たちがどうなったのかを知りたくて、幾度も坑道を訪れたが『生きた』鉱山に行くことはできなかった。

 そしてとうとう資料館の閉館の日がやって来た。私は閉館の式典を終えると真っ直ぐに坑道へ向かった。最後に坑道に別れを告げたかったのである。私が坑道に足を踏み入れると、それを待ち構えていたかのようにあたりは前のような煌々とした光に包まれた。そして私のいる空間は再び『生きた』鉱山になったのである。しかし坑夫の顔にあったのは誇りでも苛立ちでもなかった。目の前を通りすぎるトロッコも苦しそうなもがき声をあげながら車輪を回していた。もう誰も何もしゃべることはなくなりつるはしの鋭い音が鳴り響いては岩に静かに吸い込まれていくようだった。

 私はその光景に唖然として傍観していた。この前までの活力はどこへ消えたのだろうか。私は彼らが仕事を終えて帰って行くまでその姿をじっと見守った。そして仕事を終えた彼らの背中から漂う悲愴感は私に閉山を悟らせた。そして閃光が『生きた』鉱山との別れを知らせた。


 私はあれから鉱山へ行くことはなくなった。噂によると坑道は安全面の観点から封鎖されているようだ。

 しかし、私はあの日鉱山が見せた光景が頭から離れなくなった。鉱山自身の走馬灯に思えてならなかったのである。いや、それどころか私の山を思う気持ちは日を追うごとに強まるようになっていくのであった。


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