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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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筑後川の戦い

正平一四年/延文四年(一三五九年)七月に筑後川の戦いが起きる。懐良親王・菊池武光らの南朝方四万の軍勢が北に軍を進めた。林田隠岐守も参陣した。少弐頼尚らの北朝方六万人の軍勢は南に軍を進めた。南朝と北朝の軍勢が筑後川を挟んで対峙し、雲が立ち込めた。


「九州の命運がこの戦いにかかっている。林田隠岐守、我ら征西府を導いてくれ」

護良親王が言った。

「心して臨みます。征西府のために、そして九州のために!」

林田隠岐守は答えた。


筑後川の戦いは南朝方の奇襲で始まった。菊池武光は死角に潜めていた軍に指示を出し、三方向から北朝方の本陣へ向けて夜襲をかけた。北朝方は不意を衝かれて後退するも、次第に立て直しで対抗し、激戦の場は筑後川以北になった。多数の戦死傷者を出す激戦であった。


林田隠岐守は矢継ぎ早に敵を倒しながら突進した。その姿はまさに疾風の如くであり、敵を一瞬にして薙ぎ倒していく。林田隠岐守の刀が空気を裂く音が鮮烈に響き渡る。そこここで金属同士がぶつかる音が響き渡り、矢が空を駆け抜ける。血しぶきと煙が戦場を覆い、まるで地獄絵図のような光景である。人々の絶叫が風に乗って響く。


太刀や薙刀がきらめき、生暖かい血潮が風に乗って飛び散った。兵士達は入り乱れて切り結び、つかみ合って転げ回った。彼らの勇猛な戦いぶりはまさに壮絶であり、その姿には生死を賭けた覚悟があった。戦場は熱気に包まれ、死闘の轟音が響き渡る。


菊池武光が戦いの後に血まみれの刀を川で洗うと、川の水が赤く染まった。その川は「大刀洗川」と呼ばれることになる。


筑後川の戦いは激戦地の地名から、大保原の戦い(大原合戦)とも呼ばれる。九州の合戦史上最大の戦いであり、九州の天下分け目の決戦である。関が原や川中島と共に日本三大合戦となっている。しかし、関ヶ原や川中島と比べると知名度が低い。日本人には中央志向の偏りがある。


筑後川の戦いに勝利した南朝は九州で優勢になる。やがて太宰府も制圧し、康安元年/正平一六年(一三六一年)には征西府を太宰府に移した。林田隠岐守は戦争の先を見ていた。懐良親王の家政機関として出発した征西府を政府として整備することである。鎌倉幕府の政所も源頼朝の家政機関から出発している。

「我らの勝利は九州に新たな風をもたらすのだ。征西府を整え、この地の政治を牽引せねばならぬ」


征西府は急速に整備され、九州の政治の中心になった。林田隠岐守は自分の力を誇示しなければ気が済まない人物ではなかった。単なる補佐役に回っているように見えても、自分に価値があることをきちんと分かっている。林田隠岐守にとっては誰が仕事をしたかよりも、仕事がきちんと遂行される方が大事であった。この征西府が太宰府にあった時期が最も充実していた時期であった。

「太宰府は、ただの場所ではなく、私の希望が詰まった場所なのだ」



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