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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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足利尊氏は裏切者にも同情したい

多々良浜の戦い以降、南北朝の覇権はコロコロと入れ替わった。多々良浜の戦いに勝利した足利尊氏は、その勢いで京に向けて進軍した。四国からは細川一族が地盤固めをした勢いで水軍を率いて本州に再上陸して合流した。

一度敗北して、遠く九州まで落ち延びながら多々良浜の戦いで勝利し、京を奪う大逆転劇を実現する。尊氏には戦に強いという印象が乏しいが、結局は勝利してしまう。それが恐ろしいところである。源頼朝や徳川家康より地味であるが、歴史に残る怪物である。


新田義貞は赤松円心が籠城する播磨国の白旗城を攻めていたが、足利勢の東上が伝わると大量の寝返りや脱走が発生し、兵庫まで撤退した。円心は新田勢を追撃し、播磨国の室泊で足利勢と合流した。円心は義貞の軍勢が捨て去った旗を持参した。

「敵は旗を捨てて逃げていきました」

「この中には過去に味方だった武将の旗もいくつかある。自分が九州に落ち延びたために仕方なく義貞の軍門に下ったのだろう。気の毒なことである。再び味方になって欲しい」

旗を見て尊氏が言った。裏切者にも同情する尊氏の度量の大きさを物語っている。これは多くの武士から支持されて、尊氏の味方は増えていった。


尊氏は戦に強いが、敵を根絶やしにしてしまう強さではない。これが室町時代に騒乱が続いた要因になる。源頼朝や徳川家康のように無実でも災いの根になりそうな人物を殺してしまうことはしない。これは頼朝や家康と比べると天下人としての不徹底さと評されるかもしれない。逆に一度負けてもいつでも取り戻せるという自信と実力があるからこそ根絶やしにしないという見方も成り立つ。


楠木正成は朝廷から新田義貞と協力して足利勢を迎撃し、京を守ることを命じられた。正成は後醍醐天皇に謁見し、和議を提案した。

「多くの武士が尊氏を支持しています。これは帝に徳がないことを示すものです。義貞を追放し、尊氏と講和すべきです。講和の使者には某が行きます」

「尊氏と講和するとは、とんでもない。臆病風に吹かれたか」

「帝を侮辱することは許さん」

正成の提言は居並ぶ公家達から否定され、それに御醍醐も同調した。

「あくまで尊氏と戦うならば、尊氏の勢いは大きく、京の防衛は不可能です。帝に比叡山にお移りいただき、足利勢を一旦京に引き入れ、苦しめることが策になります」

これも「京を捨てるとはとんでもない」と否定された。公家には京でなければ住む場所でないくらいの感覚があった。正成は死を覚悟して湊川の戦いに赴いた。


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