林田隠岐守は紙幣発行を批判したい
建武の新政では紙幣「楮幣」を発行しようとした。大内裏の造営などの無駄な公共事業の財源は民衆への増税であるが、それで足りない分を紙幣の発行で補おうとした。
「これはどうしても理解できん。楮幣とやら、通貨発行権を小槌のように使って、何とかしようという発想自体が問題だ」
林田隠岐守は顔をしかめた。
「帝は大内裏造営と同じく、楮幣を通じて国家の権威を示そうとしているのかもしれません」
一門衆の林田力泰が答えた。
「それが問題なんだ。通貨発行権を乱用すれば、結局は国の信用が崩れる一途だ。我ら武士や民衆が手にする通貨が信頼をなくせば、経済は破綻しかねん。大内裏の造営だけじゃ足りず、無理やり楮幣を通して財政を支えようとするその発想がまずかろう」
「このままでは、増税による負担がますます重くなります。民衆の反発が拭いきれません」
「それは承知しておる。だが、通貨の信頼を失えば、もっと大きな混乱が待っている。経済は信頼に基づいて成り立つもの。これでは国を興すどころか、ますます混迷を招くだけだ」
林田隠岐守は、経済において信頼が重要であることを強調し、楮幣の発行が逆に混乱を招く危険を指摘した。林田隠岐守は武士の誇りだけでなく、健全な経済基盤を築くことにも重きをおいていた。楮幣発行は通貨発行権を打ち出の小槌として使おうとして失敗した例である。
建武の新政が公家政治の復活ではないことは、摂関政治という公家政治の伝統にも反し、伝統的公家勢力からも支持されないことになる。朝廷には「新儀非法」という言葉あった。新しいことが悪いことという感覚があった。
持明院統を無視して皇位を独占することは公家からも反感があった。建武の新政の失敗は理想と現実のギャップと描かれがちである。しかし、皇位を子孫に独占させることが根本動機になっている後醍醐天皇の新政が社会各層の期待に応えられないことは当然であった。
以下は後醍醐天皇の動機を端的に指摘している。
「万民のために地上の幸福を実現することではなく、帝がこの国の主だということを万民の脳裏に刻み込むこと」(安部龍太郎『義貞の旗』集英社、2015年、291頁)。
「不屈の闘志を持つ帝王だとも言えますが、原動力はあくまで自身の権力への欲望」(本郷和人『「失敗」の日本史』中央公論新社、2021年、86頁)
ここに後醍醐天皇や南朝史観の矛盾がある。後醍醐天皇は宋学のイデオロギーの下に倒幕を進めた。鎌倉幕府末期は得宗専制の悪政があり、それを倒すことは天命思想、易姓革命の思想を持つ宋学とマッチした。この天命思想、易姓革命の思想は天子に徳がなければ、徳を持った人物が代わることを正当化する。天皇の支配も絶対ではない。万世一系ということに価値はなく、徳のある政治をしたかが問題である。
建武の新政を風刺する二条河原落書が出された。落書は以下で始まる七五調の文書である。茶寄合など当時の風俗も盛り込まれている。
此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨
召人 早馬 虚騒動
生頸 還俗 自由出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍
本領ハナルル訴訟人 文書入タル細葛
追従 讒人 禅律僧 下克上スル成出者




