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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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安達泰盛と平頼綱は対立したい

元寇と前後して鎌倉幕府の中に二つの政治勢力が対立するようになる。御家人を中心とする勢力と得宗家被官である御内人を中心とする勢力である。有力御家人の安達泰盛と、御内人の長である内管領・平頼綱の対立となり、弘安八年(一二八五年)の霜月騒動で泰盛が滅ぼされた。


この対立は政治路線の対立を内包していた。御家人の既得権を守ろうとする守旧派と、非御家人も取り込み、その上に君臨しようとする改革派である。

前者の典型が永仁五年(一二九七年)の永仁の徳政令である。御家人が非御家人に売却した領地を元の御家人に返還するという御家人の利益を優先した法令である。

これに対して後者は貨幣経済の発展という現実を踏まえ、その中で力をつけてきた非御家人も幕府体制に取り込もうとした。


「お前達は何を企んでいる!我々御家人を軽視するつもりか!」

「違う。私達は幕府の未来を考えているだけだ。貴殿もその一部として幕府の発展に貢献すべきだ」

「我々御家人は幕府の礎となり、その功績を積み重ねてきた。我々の利益を守るのが幕府の役目であるべきだ。我々御家人の既得権を脅かすような改革を続けるつもりか」

「時代は変わりました。貨幣経済が発展し、我々はそれに対応する必要があります。非御家人も幕府の一員として取り込むべきです。彼らを取り込むことで、幕府はより強固な体制を築けるのです」

「それが我々の利益を損なうのだ!永仁の徳政令を忘れたか?我々の利益を優先すべきだ!」

「徳政令も重要ですが、時代の流れを無視してはなりません。我々は変化に対応し、幕府を強化しなければなりません」


この守旧派と改革派の対立と泰盛と頼綱の対立をどう結び付けるかは議論がある。

第一に泰盛は有力御家人であり、御家人代表として守旧派と位置付ける。逆に身内人は商工業を基盤とする非御家人を取り込もうとしていた。楠木正成は経済活動で力を得て、悪党として名を馳せることになるが、身内人だったとする説がある。

第二に泰盛を改革派と位置付ける。「将軍権力を再建し、全国の武士を幕府機構に御家人と迎え入れる。泰盛の目的はそこにあった」(本郷和人『新・中世王権論』文藝春秋、2017年、222頁)

ここでは逆に頼綱が従来の御家人の地位と既得権を守ろうとしていた。身内人が御家人を擁護することは一見すると変に聞こえるが、得宗専制を維持するために旧来の御家人からの支持を強固にしようとした。

泰盛が非御家人を取り組む先進性を持っていた理由として守護国の上野国や隣接する武蔵国の武士団を統合し、室町幕府の守護大名に近い性格を持っていたためとする。

「霜月騒動以前の安達氏は室町幕府の支配者となった大守護に通じる性格を有しており、これが弘安徳政で見せた安達泰盛の先進性の背景の一つであったのではないかと推測される」(細川重男『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館、2011年、116頁)



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