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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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林田氏は肥後から肥前に進出したい

林田泰範は肥後国で豊かな領地を治め、勇猛な兵士たちに囲まれて、その名は遠く近くに轟いていた。とりわけ、泰範の長男である林田宗泰と次男の林田長泰は、父に劣らず勇敢で賢明な若武者であり、多くの人々から期待されていた。その中で有明海を挟んだ向こう岸、肥前の地で起こった一大事件が、林田氏の運命を大きく変えることになった。


肥前と肥後は地続きではないが、有明海を挟み、関係が深い。元々は火国(肥国)という一つの国で統一されていた。その後に火国が分割され、肥後と肥前が別々の地域として成立した。特に肥前の島原半島は有明海を挟み、一衣帯水の関係にある。


二つの地域は深い関わりを持っており、両地域の住民は互いに行き来していた。文化や経済の交流が行われたことで、共通の歴史的背景や習慣、伝統を持つようになった。海を挟んでいるため、交通手段は船が主であり、航海技術の発展や船舶交易の活発化が肥前と肥後の結びつきをさらに強めた。


有明海は豊かな漁場であり、両地域の漁業や海産物の交易にも影響を与えた。漁業を通じての交流や物々交換は、文化や習慣の交流にもつながった。また、有明海に面した港町や交易拠点が形成され、商業や文化の発展に寄与した。言語、料理、衣装、伝統行事など、様々な文化要素が交流を通じて共有され、融合していった。


後の江戸時代に島原・天草の乱が起きるが、肥前の島原と肥後の天草が一体性を持った地域だから起きたことである。また、島原大変肥後迷惑との言葉がある。島原の雲仙・普賢岳が噴火すると、有明海で火山性津波が起き、肥後にも被害が発生する。


その肥前で紛争が勃発し、血の戦が繰り広げられた。この乱の影響で肥後と肥前の交流は制約を受けることとなった。林田泰範は、息子達に肥前の動向を気にかけるように言いつけた。宗泰と長泰は父の命を受け、有明海を渡り、肥前の地を訪れる決意を固めた。彼らの目的は、肥前の情勢を探り、林田氏の安全と両地域の絆を取り戻すことであった。


有明海を船で渡り、島原半島に辿り着いた宗泰と長泰は、肥前の民衆との交流を重ねました。二人は両地域の繋がりの大切さを語った。宗泰と長泰の誠実さと勇気に触れ、肥前の人々は信頼を寄せ始めた。


乱が収束した後も、宗泰と長泰は肥前にとどまり、その地に根を張ることに決めた。彼らは林田氏の名を広め、肥前の人々と肥後の人々の和解と共栄を築くことに尽力した。林田氏の名声と肥前の支持によって、両地域の交流は再び盛んになり、豊かな文化と繁栄が花開いた。


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