北条義時は冤罪に関与したい
重忠の冤罪は北条時政が作り、義時は蚊帳の外であったが、時政の陰謀を知った後は積極的に関与したとする描き方もある。「かくなる今は重忠に申し開きの機会を与えてはならない」(遠山景布子『義時 運命の輪』集英社、2021年、155頁)。
これは現代日本の組織人の駄目なところに通じる。袴田事件を冤罪と分かっていても、隠蔽や正当化に加担する捜査関係者と重なるメンタリティである。彼らは組織の一部として、自らの地位や名誉を守るために真実を無視し、冤罪を許してしまう。彼らは組織の中での立場や自身の都合を優先し、真実を見ないふりを続ける。日本型組織の不正義や倫理の欠如が浮き彫りになる。
義時は時政の命令に渋々従ったのではなく、逆に義時にとって重忠が目障りであったとする説がある。重忠は時政の娘婿であったが、北条の後継者を主張したい義時にとって時政の娘婿は脅威であった。
後に重忠の冤罪の責任追及で稲毛重成が殺されたが、重成も時政の娘婿であった。重成の殺害は三浦義村が主導したが、裏で義時が指示したものと考えられている。やはり後の牧氏事件では義時は時政の娘婿の平賀朝雅を殺害した。
『吾妻鏡』は鎌倉幕府の歴史書である。物語として創作が多く含まれる軍記物よりは史料価値が高い。鎌倉時代後期に編纂されたものであり、同時代人の記録ではない。この点で同時代の貴族の日記の方が一次資料として価値がある。一方で鎌倉から遠く離れた京の貴族の情報は伝聞であり、正確性はどっちもどっちになる。
『吾妻鏡』を読む注意点は、当時の権力者である執権北条氏を正当化する目的で編纂されたと考えられていることである。このために史料批判が必要である。古事記や日本書紀も天皇家に都合よく書かれており、史料批判が必要である。史料批判によって天皇家に不都合な事実を暴くことになりかねない古事記や日本書紀と異なり、執権北条氏は遠慮なく批判できるため、戦前から研究が進んでいた。
一方で北条氏を持ち上げるための曲筆は多くないとする見解もある。「和田合戦関係の記事に『明月記』からの引き写しがあるように、『吾妻鏡』は編纂された鎌倉時代後期に伝わっていた伝承を含めた史料をできる限り集め、それをそのまま書いただけだろう」(細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年、291頁)。
とはいえ、どのような伝承を取り入れるかというところにも編纂者の主観は入る。『吾妻鏡』は単に集めたという以上に編纂者の意図が感じられる。一方で古事記や日本書紀と比べると、武士の時代・鎌倉幕府の時代という歴史観を持っているものの、歴史書として誠実に歴史に向き合っていると評価できる。古事記や日本書紀は天皇家の話と遠慮するのに吾妻鏡の「曲筆」を遠慮なく批判することは公正ではない。




