表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
26/187

源頼家暗殺

源頼家は危篤に陥っている間に妻と息子と妻の実家が滅ぼされるという悲劇に見舞われた。奇跡的に回復した頼家が真相を知って怒ることは当然であった。しかし、頼家は逆に出家を強要され、暗殺されてしまう。頼家の殺害は北条氏にとって都合が悪いからである。美化しようがないものである。源頼朝が生きていたら許さないだろう。

比企氏は源頼朝が信頼し、重視した一族であった。比企尼は流人時代の頼朝を援助した。源義経の正室は河越重頼と比企尼の次女との娘である。源範頼の正室は安達盛長と比企尼の長女との娘である。比企氏を中心に頼家と義経、範頼はつながっていた。

頼朝が弟達を殺したことは頼家のライバルを消す政治家としての冷徹さと評価されがちである。しかし、頼家にとっては義経や範頼が生きていた方が源氏の長老として将軍家を盛り立てる方向に働いただろう。


ここでは御家人の仁田忠常の悲劇も起きた。忠常は比企能員の変では比企への攻撃に参加した。頼家の回復後に真相を知った頼家から時政殺害を命じられた。どうするか迷った結果、とりあえず時政邸に出かけて比企能員追討の褒賞として酒宴を楽しんだ。ところが、郎党は主人が中々帰ってこないため、時政に討ち取られたと早合点して襲撃し、討伐されてしまった。


千幡が第三代の鎌倉殿になる。千幡に征夷大将軍が宣下され、後鳥羽院が実朝の名を定めた。後鳥羽上皇は若年の将軍を朝廷の影響下に置こうとした。


幕府の実権は時政が握った。時政は大江広元と並んで政所別当に就任した。同じ政所別当と言っても広元より上位であり、区別するために執権とする。これが初代執権である。


時政は自分の影響力を増すために、東国の諸勢力に対する締め付けを強めた。重忠と時政は武蔵国の支配権をめぐって対立するようになる。比企氏滅亡によって比企氏の領地や家人を誰が支配するかが課題になった。

時政は武蔵守の平賀朝雅を通じて、武蔵国の支配を進めようとした。朝雅は北条時政と牧の方の娘婿である。これは武蔵国留守所惣検校職の重忠と対立する。逆に重忠の威勢は時政や朝雅にとって都合が悪かった。武蔵守が支配する上で惣検校職が邪魔であった。

時政は武蔵守任官を仄めかして、重忠に武蔵国留守所惣検校職を返上させようとする。重忠は武蔵守となるとしても惣検校職を返上することには抵抗する。ここには律令制の官位の武蔵守よりも惣検校職に価値があることを示す。源頼朝が鎌倉幕府を開く前から律令制の支配体制は形がい化しており、武士の時代が来ていた。その象徴が惣検校職だった。


重忠と時政の関係は悪化するが、両者の間に溝ができるほどではない。時政は重忠に対して一定の配慮をする。それは時政が重忠を恐れている証左でもあった。時政は三浦一族と組むことで対抗しようとした。


幕府は建仁三年(一二〇三年)一〇月二七日に武蔵国の武士達に北条時政に二心を持たないように命じた。時政が惣検校職の重忠の上に立つことを明らかにした。幕府は、この命令を和田義盛に執行させた。義盛は侍所の別当であり、義盛が武蔵国の武士達に命じることは不自然ではない。

一方で義盛は三浦一族であり、重忠には由比ガ浜の戦いや衣笠城の戦いの遺恨があった。ここから三浦氏は畠山重忠の冤罪に加担するが、次は自分達ということは理解していなかった。後に和田義盛は和田合戦、三浦氏も宝治合戦で滅ぼされた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ