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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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比企能員の変

梶原景時が滅ぼされた後は北条氏と比企氏が対立する。北条と比企の対立は担ぐ神輿を千幡(源実朝)とするか頼家にするかの対立である。時政の娘の阿波局は頼朝の弟の阿野全成の妻であり、頼朝の次男の千幡(源実朝)の乳母であった。頼家が廃されれば権力が得られる立場である。

頼家を盛り立てるという点では比企能員が正しい。しかし、比企氏も頼家本人を盛り立てようとした訳ではなかった。能員は娘の若狭局を頼家に嫁がせ、一幡を産む。一幡は嫡男とされた。

頼家には辻殿という正室が存在した。一幡を嫡男としたことは比企氏の強引な横車があった。外戚として権力を振るうために、頼家本人よりも一幡を大切にし、早期の権力移行を目指したかもしれない。


重忠は北条時政の婿であり、比企能員の変まで北条氏側で行動していた。比企能員の変は二代将軍の源頼家が危篤に陥ったことで起きた。頼家は回復の見込みがないと判断され、頼家の跡目が問題になる。

比企能員は頼家の息子の一幡、北条時政は頼家の弟の千幡を後継者に推して対立する。一幡は頼家と比企氏の若狭局の息子である。千幡は北条氏の阿波局が乳母になっている。どちらも自家の勢力伸長のために主張している。

妥協案として一幡が惣守護職と関東二十八ヵ国の地頭職、千幡が関西三十八ヵ国の地頭職を分割相続する案が出されました。この分割相続を認めず遺産を独り占めしようとする比企の強欲が比企能員の変をもたらした。

東西の地頭職を分割する案は、実は源頼朝の構想に忠実であった。頼朝は長生きしていたら娘の入内など朝廷へのプレゼンスを強めただろう。頼家は二代目鎌倉殿として東国を支配させ、千幡は上洛して朝廷と西国を支配する構想である。この時代に東国と西国を共に支配する中央集権体制を確立することは非現実的である。後の室町幕府も東国には鎌倉公方を置いている。

実は分割相続を認めず遺産を独り占めしようとする強欲は比企氏の中にもあった。比企氏が頼朝に重用された理由は比企尼が頼朝の乳母であることである。比企尼あっての比企氏であるが、実子の朝宗は亡くなり、能員を猶子にして惣領とした。朝宗の娘が姫の前です。姫の前からすれば自分や自分と義時の子どもが比企家の財産を相続してもおかしくないくらいの感覚があったかもしれない。

姫の前は比企能員の変後に離縁したが、姫の前にとって比企能員の変は必ずしも不幸とは言えないかもしれない。義時の姫の前の子どもは名越流と極楽寺流という北条氏一門として存続する。


比企能員の変では北条時政が比企能員を自邸に招いて謀殺した。北条義時を大将とする軍勢が小御所を襲撃した。比企側は徹底的に防戦したため、攻め手は多数の負傷者を出し、退却を余儀なくされた。そこで重忠が攻め手となり、打ち破った。このように重忠は北条氏の権力争いに協力し、多大の貢献をしている。

『吾妻鏡』では比企一族襲撃時に一幡と若狭局が焼死したとする。『愚管抄』では一幡は逃げ延びたが、北条義時が差し向けた刺客に殺されたとされる。『愚管抄』の方が義時の悪辣さが出ている。


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