殉教の影響
レオ林田一家らの殉教はイエズス会士による報告書(年報)でも伝えられ、ヨーロッパにも知られた。セルケイラ司教は「島原半島のキリスト教徒たちのあかしは、日本の至るところで福音のすばらしい宣教になるでしょう」と報告した。
ローマ教皇ウルバヌス八世Urbanus VIIIはセルケイラ司教の書簡とマグダレナ林田の遺骨の一部を受け取って涙した。ウルバヌス八世はフィレンツェの貴族バルベリーニ家の出身で、ローマとピサで神学を学んだ。本名はマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニである。
「マグダレナ林田の信仰は優れています。私は全ての教会にマグダレナ林田の信仰について話します」
ウルバヌス八世はフィレンツェのカルメル会修道院への手紙でマグダレナ林田に言及した。カトリックでは中国と日本の布教をイエズス会が独占していたが、ウルバヌス八世はイエズス会の独占を撤廃し、あらゆる修道会の宣教師が伝導できるようにした。
キリスト教徒が焼き殺されたという残酷極まりない事実は大きな衝撃を与えた。ヨーロッパでは異端審問が行われていたが、それはそれとして衝撃であった。
「日本は恐ろしい国だな」
「キリスト教徒をあんなふうに殺すとは……」
「何とむごいことをするのか!」
ヨーロッパの人々は日本の残虐行為を非難した。
「日本人は悪魔のような奴らだ」
「あの国は悪魔の国だ」
ローマ教皇庁は日本に使者を送り、禁教令の廃止を求めた。
「ローマ教皇の要求など聞く必要はない」
「キリスト教を認めれば切支丹が増えて厄介なことになってしまうぞ」
「切支丹どもめ! 許せん!」
「あいつらは皆殺しにしてやる!」
江戸幕府は黙殺し、禁教を続けた。
多くの信徒がマカオやマニラなど海外に逃れた。
「これでやっと自由に生きられるぞ」
「ああ、良かった」
「これからは好きなように生きていこうぜ」
彼らは喜び合った。そこで現地人と結婚し、現地の言葉を覚え、生活習慣を身に付けて、現地で死んだ。
「俺はもう日本には帰らない。ここで死んでいくんだ。だが悔いはない。なぜなら、俺は自由な人間だからだ。俺は自分の意思でここに来たのだから、後悔なんてしない」
「そうだとも。お前さんが言った通り、ここは天国だよ。だって、こんなにも美しい景色が広がっているじゃないか。それに、ここには切支丹の迫害もない。みんなが仲良く暮らしている。これこそ、本当の極楽ってやつだろうよ」
「ハハッ……違いねえや」
彼らの顔には笑みが広がっていた。そこには悲壮感はなかった。ただ自由があった。そして希望もあった。
「さあ、今日も元気よく働くか!」
「おう!」
彼らは幸せだった。この国の土となり、骨となって、永遠にこの地で生きるのだ。
ローマ教皇庁は二一世紀に入り、レオ林田助右衛門らの殉教者を「ペトロ岐部と一八七殉教者」として福者に列した。列福式を二〇〇八年一一月二四日に長崎で開催した。日本国内初の列福式であった。近世日本の切支丹弾圧はグローバルな関心事である。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界遺産に登録された。レオ林田一家らの殉教はキリスト教史において極めて重要な事件である。レオ林田助右衛門は世界的に見れば最も著名な林田氏になる。




