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徳川家康は大丈夫に不信感を抱きたい

オランダ船リーフデ号が慶長五年(一六〇〇年)三月一六日に豊後に漂着した。漁師達は、見たこともない巨大な船が波に揺れる様子に驚き、その消息を速やかに伝えた。船の中には、異国の船員達が立ちすくむ様子が見られた。彼らの出身国、オランダという地は日本人にとって遠く、謎めいた国であった。


この情報はすぐに徳川家康のもとにもたらされた。家康が大阪城西の丸で豊臣家大老として執政の立場にあった。スペイン人の宣教師達はリーフデ号を海賊と讒言したが、家康は南蛮人(スペイン、ポルトガル)と紅毛人(オランダ、イギリス)の相違を理解した。ここは家康の外交センスが優れているところである。誇大妄想で唐入りを進めた豊臣秀吉とは異なる。


江戸幕府は鎖国の印象が強く、江戸幕府を論じる場合は貿易重視の織豊政権と対照的に位置付けられる。平氏政権、室町幕府、織豊政権が西国基盤、商業、海運重視、鎌倉幕府と江戸幕府が東国基盤、農業、陸運重視というように。しかし、家康個人は貿易を重視していた。家康の時からキリスト教禁教の動きはあったが、後の鎖国政策が家康の外交政策の延長線上にあるのか、転換になるのかは議論がある。


家康は南蛮人よりも紅毛人を貿易相手として重視するようになる。それはキリスト教の布教と貿易をセットにするカトリックよりも、布教しないプロテスタントを重視したと説明される。しかし、キリスト教以前に安易に「大丈夫」と答えるスペイン人の無責任さに不満があった。


家康はスペインに浦賀に来航して貿易することを依頼した。家康は浦賀で大いなる貿易の可能性を見出そうとしていた。家康はルソンに使者を送り、豊かな交易の扉を開くことを望んでいた。


浦賀の海は、新たな船がやがて現れる日を静かに待ち続けた。しかし、スペイン船は一向に来なかった。家康は心を痛め、海を見つめながら、不安と期待が交錯する思いに囚われていた。


ある日、宣教師らが家康のもとを訪れた。家康は厳格な目でスペイン船が浦賀に来ないことを問い詰めたが、誤魔化された。

「大丈夫。大丈夫。もうすぐ上手くいきます」(植松三十里『家康の海』PHP研究所、2022年、102頁)。

その言葉は家康にとってはもはや甘言にしか聞こえなかった。

「スペイン船はいつ来るのか」

家康は追及した。

「大丈夫です」

宣教師らは目を逸らし、同じ言葉を繰り返した。


家康の家臣の向井将監は呆れた。

「スペイン人でしたら、何を頼まれても大丈夫、大丈夫と、調子よく引き受けます」(『家康の海』39頁)。

「大丈夫」と語る無責任な姿勢に、家康は不満を感じた。南蛮人達はよく「大丈夫、大丈夫」と語り、その約束を果たさないことが多かった。家康は、外交の世界において、言葉だけではなく実行力と信頼性も重要であることを知っていた。これが南蛮人との関係を見直す一石となった。


大丈夫と語る無責任な対応は現代日本の公務員組織にも見られる。

「入管のドクターはいつも『大丈夫、大丈夫、問題ない』と言って、ちゃんと診療をしてくれませんでした。頭が痛いときも手が痛いときも同じ薬をくれるか、『薬はない』と言うかのどちらかでした」(「壁の涙」製作実行委員会『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』現代企画室、2007年、111頁)。

「収容所の医師に三回診察を受けましたが、『だいじょうぶ、だいじょうぶ』と言って終わりでした」(『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』124頁)


「我が日本には信頼できる貿易相手が必要だ。それは紅毛人との取引にある」

家康は外交政策において、信頼性と実現可能性を重視し、繁栄に向けて着実に歩みを進めた。



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