建部寿徳
観音寺城の戦いに敗北した六角氏は甲賀に逃走し、ゲリラ的な抵抗を続ける。建部氏の家督は長男の秀直が継ぎ、六角氏に仕え続けた。ところが、秀直は六角氏の家臣の駒井に殺されてしまう。駒井は六角義治の寵臣であり、お咎めなしという不公正な裁きが下される。
六角氏の不公正な裁きに激怒した寿徳は敵を討って出奔した。この敵討ちの功績により、織田信長に召し抱えられた。兄の敵討ちで名を馳せたとなると豪の者のイメージになるが、そのような単純な話ではない。むしろ、建部寿徳は物資の荷扱いや兵糧・弾薬などロジスティックス(兵站)で活躍した。
織田家では中川重政の配下になった。重政は織田一門に連なる家臣で、永禄一三年(一五七〇年)に安土城を任された。これは後に信長が築城する安土城とは別物である。寿徳は重政の領地の代官になった。
この領地は長光寺城の柴田勝家と隣接していた。複雑に入り組んでいた境界をめぐって、元亀二年(一五七一年)に勝家の代官とトラブルになった。この紛争に重政の弟の津田盛月が激怒して勝家側の代官を殺害してしまった。これが信長の怒りに触れ、重政と盛月は改易され、徳川家康の許に追放された。
信長は残虐なイメージがあるが、意外と命を大事にする。織田家では戦死者の右手小指を切断して遺族に持ち帰った。小指という一部であるが、遺体回収の発想は米軍に似ている。織田軍と米軍が強い所以だろう。織田軍も米軍も合理的な組織であるが、合理主義は人間に冷たいことを意味しない。むしろ、身内に甘い処理をするような非合理を排除する合理主義の公正さの方が生きやすい。逆に日本型組織や家族経営を謳う方が特定人に甘い差別を正当化し、生き辛くなる。
寿徳は代官殺害には無関係であり、重政の改易後は丹羽長秀の配下になった。長秀は「木綿藤吉、米五郎左、懸かれ柴田に、退き佐久間」と呼ばれた重臣である。天正元年(一五七三年)に若狭一国を与えられ、織田家臣で最初の国持大名となった。寿徳は若狭国の小浜郡代として小浜城に入り、北陸の陸路・海路の物資集散の中継地点の代官職をこなした。
若狭かれいなど若狭産の水産物は京都で人気であった。水産物を運搬する容器として若狭籠が発達した。若狭籠は平べったい籠である。小判型のものなどがある。若狭籠は後に茶道具の花入れにも使われるようになる。裏千家九代目の不見斎石翁が若狭籠を花入れとして好んだ。
不見斎は花を生けることで独創性を発揮した。不見斎の茶会デビューは宗旦百回忌である。ここで花を生けた。一一歳という若年ながら美術的感性を見せつけ周囲を驚かせた。千宗旦は千利休の孫であり、千家三代目である。この宗旦の息子三人が各々、武者小路千家(一翁宗守)、表千家(江岑宗左)、裏千家(仙叟宗室)を興し、現代に至る。茶道の理念的な祖は利休であるが、実質的な祖は宗旦と言ってよい。単独相続ではなく、分割相続によって茶道は発展した。
天正一〇年(一五八二年)は織田家中のほとんどが遠からず織田家の天下統一が実現すると予測していた。それは身分が固定化し、槍働きによる立身出世が望めない時代になることを意味する。そうなる前に武功をあげたいという焦りを抱く家臣達も少なくなかった。
九州や東北では、これから大きな戦が起きる。これから伊達政宗や島津が活躍する。豊臣秀吉の天下統一事業は歴史書ではあっさり書かれがちであるが、実際は際どい戦いの連続であった。この時点で太平の世が近いと想像することは、上方武士の気の緩み、地方軽視がある。
このような織田家中にとって青天の霹靂となる事件が起きた。本能寺の変である。信長の重臣の明智光秀は天正一〇年六月二日(一五八二年七月一日)、京都の本能寺で宿泊中の信長を襲った。信長は光秀の謀反を知ると「是非もない」と言っただけで感情をほとんど表に出さなかった。僅かに眉毛を上げ下げするだけで表情を変えていた。最後まで真意を秘め続けたままの不気味さを醸し出していた。
明智勢に攻撃された本能寺は炎上し、爆発した。本能寺は寺というものの堀と土塁に囲まれ、それなりの要塞であった。火薬も保管しており、それが引火した。信長の遺体も爆発で四散し、本能寺の焼け跡から見つからなかった。
本能寺の変が起きた時も寿徳は若狭国で代官をしていた。若狭国では武田元明が光秀を支持し、若狭の国人を糾合した。元明は旧若狭国守護であったが、長秀の与力の小領主になっていた。若狭国の大名に返り咲くことを目指して光秀に味方した。元明は近江へ侵攻して丹羽長秀の本拠の佐和山城を陥落させた。
その間、寿徳は潜伏していた。寿徳には玉砕趣味はなかった。しかし、一戦も戦わずに隠れていたことは主君の長秀からは評価されなかった。長秀は本能寺の変が起きた時は大阪で四国出陣の準備中であった。本能寺の変の衝撃で四国派遣軍は四散し、長秀は動けなかった。自身ができなかったことを家臣に要求されることは思うところがある。寿徳は長秀から去り、秀吉に引き抜かれて配下になる。




