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播州素麺

林田藩の領地は三〇数村に分かれていた。政長は領地を四つの大庄屋組に分割し、豪農を各組に一名ずつ大庄屋として任命した。その一つが三木家である。三木家は英賀城主・三木氏の末裔と称している。羽柴秀吉の播磨侵攻で、天正八年(1580年)に英賀城が落城した。各地に逃れた三木氏の一族が林田で帰農した。


大庄屋は農民ではあるが、名字帯刀を許し、特権を与えた。たとえ家老が来ても大庄屋の屋敷で勝手な真似はできなかった。新田開発によって林田藩は表高1万石以上の石高になった。林田藩では1万石の大名が五人存在する、藩主と大庄屋四人であるまでと言われた。豪農を世襲的に大庄屋として、委任行政事務を執行させる方式は他の小藩でも取り入れられた。


林田藩の江戸藩邸の上屋敷は外神田に置かれた。ここには上総久留里藩黒田上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、信濃上田藩松平家上屋敷が並んでいた。そのために神田五軒町と呼ばれることになる。


林田藩の下屋敷は染井村にあった。ここには染井という名の泉があった。水はけが良かったことから植木屋が多く、桜の染井吉野ソメイヨシノはここで品種改良されて生まれた。明治七年に都営霊園「染井霊園」になった。染井霊園は、岡倉天心、二葉亭四迷、高村光太郎・智恵子など多くの著名人が眠っている。


政長は播州素麺を名産品として振興した。播州平野では古くから播州素麺は名産品として知られていた。兵庫県揖保郡太子町の斑鳩寺の寺院日記「鵤庄引付」の応永二五年(1418年)九月一五日の条にサウメンが登場する。神社の社殿造営の祝言にサウメンを使ったと記録する。応永二五年は室町時代である。征夷大将軍の足利義持が異母弟の足利義嗣を殺害する。


素麺の起源は中国の菓子の索餅さくへいである。日本には奈良時代に遣唐使が伝えた。もち米をこねて細く延ばし、縄のようにねじり合わせた。索は太い縄、餅は小麦粉と米粉を混ぜ合わせたものを意味する。鎌倉時代になると麺を延ばす索麺が登場する。室町時代になると細長い麺になり、素麺と呼ばれるようになった。


素麺は夏の涼味である。暑い時期には食欲があまりなくてもスルスルと食べられる麺類が合っている。人間が生きていくためには食べなければならない。しかし、あまりに辛く苦しい目に遭うと、食べる気持ちも起きなくなる。そのような状態でも素麺は食べられる。食欲がない人でも食べられる。


播州素麺は播州平野で採れる小麦や赤穂の塩を原材料とする手延べ素麺である。コシを出すために、熟成を重ねながら麺を徐々に引き延ばして細くしていく。麺がツルツルしていて、喉越しが良い。


政長は需要と供給の両面から播州素麺を奨励した。これまで素麺は寺院や宮中の宴会などで食された高級品であったが、庶民が気軽に食べられるものにした。定番はネギとシイタケで食べることである。婚礼などの祝い事には鯛の塩焼きを盛り付けた鯛素麺を考案した。供給面では素麺の生産を農家の副業として奨励した。


播州素麺は江戸時代を通じて播州平野全体で盛んになった。播州素麺の人気が高まると、粗製乱造により産地の信用を落とす生産者も現れた。そのために林田藩と龍野藩、新宮藩の素麺屋仲間は慶応元年(1865年)に「素麺屋仲間取締方申合文書」を交わし、品質等について取り決めた。違反者には二両の罰金を科すとした。


新宮藩とあるが、この時代は三千石の旗本寄合である。新宮藩は1万石の藩であったが、寛文一〇年(1670年)に藩主が早世し、末期養子が認められずに断絶した。主家の備前岡山藩主・池田光政らの運動で藩主の弟が新宮に三千石の旗本となった。


林田藩の初代藩主の建部政長の母親は、本願寺僧侶・下間頼龍の娘である。新宮藩の初代藩主の池田重利は下間頼龍の息子である。林田藩と新宮藩は備前岡山藩・池田家を主家とする点でも共通する。建部政長の母親は池田輝政の養女である。下間頼龍の妻は池田恒興の養女である。これに対して龍野藩は老中を出す譜代大名であった。このような藩の事情を超えて、「素麺屋仲間取締方申合文書」が出たことには大きな意義がある。


「素麺屋仲間取締方申合文書」の後も、播州素麺は生産者組合の力が強く、それによって品質が守られている。明治時代になると「揖保乃糸」を商標登録し、「揖保乃糸」のブランドで販売するようになった。製造工程で上下に伸ばして乾燥される麺は純白の絹糸のようである。


揖保乃糸、三輪素麺、小豆島素麺が日本三大素麺である。不思議な偶然であるが、林田隠岐守が活躍した九州の島原半島も素麺の産地である。


素麺と冷や麦とうどんの違いは太さである。素麺は長径1.3mm未満、冷や麦は長径1.3mm以上1.7mm未満、うどんは長径1.7mm以上のものになる。素麺は細いために麺つゆがよく絡み、独特な食感になる。


素麺の他の麺類と比べた弱点は、スープやソースを変えて様々なバリエーションを楽しめず、単調になることである。トマトソースで食べるトマトそうめんやイタリアン素麺、フルーツを載せた素麺、コンソメスープ素麺など様々なバリエーションを生み出している。


政長は寛文元年(1661年)12月28日に丹波守に叙任する。寛文七年(1667年)8月28日、家督を三男の建部政明に譲って隠居した。寛文一二年(1672年)4月18日に没した。



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