後亀山院はアルハラに怒りたい
南北朝の合一で後亀山は天皇ではなくなり、京で暮らすことになった。大覚寺を仙洞御所としたため、大覚寺殿と称された。大覚寺は幕府の厳しい監視下に置かれ、後亀山の行動の自由は制限された。足利義満は自己の権威を更に高めるために後亀山との接触を狙っていた。
後亀山は一大の決断を迫られていた。彼は明徳五年(一三九四年)二月六日、天竜寺に足を踏み入れ、その地で義満と初めて面会することとなった。初対面の瞬間、後亀山は義満の目に自分の決意を映し出そうとした。この出会いが、彼の運命を大きく動かすことになるということを彼自身も感じていた。二三日になって朝廷の詔書が届いた。太上天皇の尊号が贈られるという知らせだった。
しかし、その贈られた尊号にもかかわらず、後亀山院は不登極帝(即位しなかった天皇)として扱われた。北朝は南朝の存在自体を認めない方針であった。後亀山院は自らの存在が、南朝の遺志と正統性を示すものであることを証明しようと努力したが、その道のりは険しく、多くの困難が立ちはだかることとなる。後亀山天皇の即位は明治四四年(一九一一年)になって南朝が正統とされてからようやく認められた。
ある日、宮廷で宴会が行われた。贅沢な酒器が優雅に行き交う中、義満は後亀山院に向き合って酒を注いだ。宴会には多くの貴族が出席していた。宴席の雰囲気は歓談と楽しみの中に、微妙な緊張が漂っていた。この宴会はただの歓談ではなかった。それは一種の心理戦であり、義満は後亀山院に自分が注いだ酒を飲ませることで、自分が格上と印象付けようとした。
後亀山天皇は気品溢れる表情で杯を手に取り、その中身を味わう瞬間、彼は何かを感じ取った。義満の陰謀に気付いた。
「こちらの酒、ご賞味いただけましたか?」
義満の微笑みには、傲慢さと挑戦的な意志が込められていた。後亀山院は心の中で、この男の策略を見破ったが、同時に人々が力の差を感じる瞬間があることを思い出した。力関係が酒杯の中に凝縮されているような気がした。
他の貴族たちも静かにそのやりとりを見守っていた。誰もがこの微妙な駆け引きに注目していた。後亀山院は、自身の品位と風格を保ちながらも、相手の挑戦に応じる姿勢を示した。
この種の醜い宴会文化は現代日本にも残っている。現代風に言えばアルハラである。人々は表向き華やかな笑顔で交わりながらも、その内には様々な思惑や利害が渦巻いている。陰謀と野望の入り組んだ人々の真実の姿を見極めることは容易ではない。
後亀山院は義満の挑戦に対して、冷静で賢明な対応を模索していた。彼は杯を持ち上げ、中の酒を一口味わった後、微笑んで義満に応えた。
「確かに、こちらの酒は素晴らしいものですね。ただし、この宴の真の価値は酒にあるのではなく、心の中での駆け引きにあるのかもしれませんね」
後亀山院の言葉は微妙な皮肉を含んでおり、宴会の参加者らにはその真意が理解できた。義満は内心で瞬時に後亀山院の策略に気づいていたが、それを公然と認めることはできなかった。彼もまた心の中で微笑みながら、挑発的な返答を返した。
「確かに、酒の中にも心の駆け引きが含まれています。ですが、その結末はわかりません。私たちは両者の実力を試すのです」
宴会の雰囲気はますます緊張し、興奮が高まっていった。宴席の他の参加者たちも、後亀山院と義満の間で繰り広げられる心理戦に注目し、そのやりとりの行方を見守っていた。
「義満よ、我が心の中には、国と人々への熱い願いがある。その為ならば、どんな試練も乗り越えん」
後亀山院は怒りを胸にした。




