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南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います  作者: 林田力
南北朝時代の林田隠岐守に転生して南朝で戦います
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畠山重忠は由比ヶ浜の戦いを回避したい

重忠は一族郎党を率いて出陣した。重忠にとって初陣であった。河越重頼ら武蔵国の他の有力武士は動いていない。武蔵国では畠山氏が突出した形になるが、当主の重能が京にいることが大きかった。


重忠は畠山荘を南下して相模国を目指した。重忠の軍勢は迫力に満ち溢れ、その威容は周囲の人々に大きな印象を与えた。軍勢は平家の紅旗を掲げた。

「この者は坂東武者か」

重忠の軍勢を見た人々は噂した。

「さすが坂東武者だ」

道を歩む人々が畠山重忠の軍勢を見ると、彼らは口々に歓声を上げた。坂東武者の威風に圧倒された。彼らの勇猛さに敬意を払う者もいれば、ただただ感心しきりでその姿を見送る者もいた。


重忠は道中で出会った農民らに食料や薬草を分け与えた。重忠は自らの軍勢が通る地域の人々に対して優しさと配慮を示し、彼らの心を打つこととなった。


進軍中には予期せぬ障害に遭遇する場面もあった。急な雨や道の崩れなど、さまざまな困難が彼らを待ち受けていた。しかし、重忠は冷静な判断力と果断な指揮で困難を乗り越え、軍勢を安全に進めることに成功した。このような行軍中の出来事が、畠山重忠と一族郎党の武勇と勇気をさらに讃えるものとなり、彼らの名声はますます高まっていった。


重忠の軍勢は八月二四日に鎌倉の由比ヶ浜に到着した。彼らの威容と勢いは周囲に衝撃を与え、彼らの目的を果たすために待ち受ける未来への希望を感じさせた。ところが、頼朝は前日の二三日に石橋山の合戦で敗北し、行方知れずになっていた。代わりに本拠地に撤退中の三浦一族と遭遇した。


重忠の軍勢と三浦義明の軍勢が由比ヶ浜で睨み合った。

「我が軍勢は戦いを望んでおらぬ。降伏を求める」

重忠が前に出て三浦勢に呼び掛けた。既に頼朝が敗北して行方不明となっており、三浦一族に戦う意味はないと考えた。


「馬鹿な!我が一族を侮辱するつもりか」

ところが、重忠の呼びかけに三浦一族の和田義茂が激昂した。義茂は和田義盛の弟である。和田氏は三浦義明の長男の系譜であり、三浦郡和田郷を本拠地としたため、和田氏を名乗る。


「ここで降伏すれば双方にとって有益な結果が得られる。武力衝突は避けるべきだ」

しかし、義茂は憤激し、重忠の説得に耳を貸さない。突然、和田義茂の軍勢が畠山勢に向けて突撃を開始し、由比ヶ浜の戦い(小坪坂の合戦)となった。

「無駄な戦いだ!」

重忠は叫んだが、戦は避けられなかった。畠山勢は和田義茂の攻撃に応戦し、激しい戦闘が始まる。

「武蔵国の住人秩父の末流、畠山庄司重能が一男次郎重忠」

重忠は名乗りを上げた。双方の武士が激しくぶつかり合い、刃が交わる音が戦場に響く。

戦いの中、畠山勢と三浦勢は命をかけて戦い、多くの犠牲者が出る。しかし、両軍ともに優勢が分からず、戦闘は長時間に渡って続く。


やがて戦いの激しさが双方に疲労をもたらし、重忠は戦闘を停止する決断を下した。

「停戦だ。戦う理由はない」

「…了解した。」

三浦義明も同意した。双方の軍勢は停戦し、戦場は静寂に包まれる。武士達は傷つき、疲労困憊した姿で立ち尽くし、死者を悼んだ。双方の軍勢は撤兵することとなった。


由比ヶ浜の戦いは痛み分けとする説と畠山勢の敗北とする説がある。三浦勢は畠山勢の郎従五〇余人を梟首したとする説がある。戦を避けたい重忠と本拠地に戻らなければ後がない三浦一族では切実さが異なり、三浦勢の奮闘に目が行きやすくなるだろう。



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