1.解放の意を唱うるモノ
「外に出てみてェよな」
呟き嘆くは多目的教室の窓際の机に腰掛ける少年____
苗字は斗枡、名をカイリと言う。
私立鯨尺高等学校所属の1年A組、目元の大きなクマで携帯端末の画面を見ながらそうぼやく。
彼もまた、地上への憧れを抱く一人である。
彼の興味を引いたのは、古文書学者の父親…斗枡貫の持っていた一つの天文学の文献にあった。
現在のシェルターに包まれた世界では、"星"は存在しない。
擬似太陽は照明の役割であって星ではなく、機械的な物にしか過ぎない。青空や月を描くのも、シェルターに貼り付けた媒体から映し出す擬似的なホログラムであり、そのホログラムに星は存在しない。数が多すぎるからだ。
カイリはその"星"にたまらなく興味を惹かれ、地上への脱出を夢見ている。
「そんな事言ってるとケーサツに捕まるッスよ〜」
そんなカイリに注意を促す青年は、薄桃色のヘアバンドを付けた同級生の反町千戸畝。
多目的教室の教卓でPCのディスプレイを注視しながら言い放ち、ペットボトルの紅茶を一口。
新亜の法律では、度を超えた地表脱出意欲を持つ者を取り締まる制度があり、国家警察もそれに準じ民間人を逮捕するようになっている。
当然、カイリもその範疇を超えるようなら対象となる訳だが…
「うるさいですね……ここだけの話だから別にいいだろ。どうせこんな子供相手なら警察も夢みがちなガキだって相手にしないだろ?」
実際、警察は案外この件に関しては学者程の異論を唱える人間以外を相手にしなかったりする。
厳重な警備を掻い潜り、地の果てに行きシェルターを破壊……とてもじゃないが知識や人脈、また他を圧倒するような力でも無い限りそれは不可能だからだ。
近頃の警察は意図的に自身をサイボーグ化し、屈強になった者も少なくない…民間人がそれに打ち勝つなど到底出来たものではない。だから不可能なのだ。
「……て言っても、カイリくんがここに来るようになってから一日一回は絶対聞いてるッスよその台詞」
んなバカな、と言うような嘲笑めいた笑みを浮かべ携帯端末をいじるカイリ。
彼らが多目的教室に居る理由____
それは、ここが千戸畝のカイリの部活動用の部室だということ…正確にはクソゲー文化クリエイト部という名で、人は全く寄り付かず、部員はたったの二名である。
千戸畝はゲーム廃人であり、特に好きなのは俗に言う『クソゲー』。ゲームを好んで嗜むカイリですら引くほどのクソゲー愛好家である。その千戸畝が創立したのがクソゲー文化クリエイト部…通称「クブクリ(九分九厘をもじったもの)」である。
カイリがこの部活に入ったのには、彼の自宅に居着く"ある居候"との接触をなるべく減らしたいという理由がある。
所属していると言ってもカイリは千戸畝の作成するゲームのデモプレイを行うだけであり、部活動らしい動きはあまりしない。
夕方までの暇潰しにもこの部活は最適、という理由でこの教室に居着いている。
「……よーし、今日の分のプログラミングはこれで終わり!自分は帰るッス」
教卓に置いているPCを落とし、自分のリュックを背負い帰宅の準備に入る千戸畝。ディスプレイに突っ伏していたのはゲームの制作をしていた為である。
「ああ、俺も帰るかな…」
携帯端末を制服のブレザーのポケットに入れ、帰宅する千戸畝の後を着いて行くカイリ。
廊下を歩き窓際を見やるカイリを照らす暮れの擬似太陽は、地平線に埋もれかけている。
「…標的を確認、補導して連行を」
校舎を出たカイリ達を待ち伏せていたかのように現れたのは、白い防護服を着た謎の集団。
「は?誰だよお前ら」
カイリは彼らの意図が分からず問いかける。
「斗枡カイリと言ったね、こちらに来てもらおう…大人しく言う事を聞いてくれれば」
カイリの言葉に聞く耳を持たずじりじりと詰め寄る白防護服の集団。しかしカイリは相手の話を遮り言い放つ。
「うっせーよ、こっちの話も聞かないような怪しい奴等にへいへいと着いていくバカがいるか?おい逃げんぞ!!」
カイリは千戸畝に逃走を呼びかける。千戸畝もそれに頷き、二人は集団のいない校舎側へと駆けた。
防護服の集団は、意外にも彼らのあとを追おうとはしなかった。
しばらくして、二人は校舎内に戻り、多目的教室に舞い戻ってきた。外はすっかり日も暮れ、校庭を月の光と謎の集団の持つ車のライトが闇夜を照らす。
多目的教室の電気は付かない。刻限を過ぎたために省電力としてブレーカーが自動で落ちるからだ。
「暗ぇなぁ……」
千戸畝が灯りとして照明ランプを付け机に置いた携帯端末を見ながらボソリと呟くカイリ。彼の携帯端末は夕方までに使い過ぎて充電がゼロになっていた。
「…何者なんスかね、しかもカイリくんを狙ってるって」
防護服を着た集団を怪訝に思う千戸畝。
「知らんな。…けど思いつく限りなら親父の件じゃね」
椅子に寄りかかり、大きなクマのついた目を窄ませながら予想を呈するカイリ。
親父の件?と聞きたそうな視線を送る千戸畝に続けて言い放つ。
「親父は古文書学者で地上での歴史書も研究している。んでもって、その地上に関わる文献も同じように、要するに結構グレーな部分も調べてる訳だけど…もしかしたらそれが地上への脱出方法に繋がる何か、とかだったり。そこで目をつけられたりしてな」
カイリの父___貫は、公に出さないがカイリと同じく地上へ出てみたいという意欲を持つ者の一人。そのような資料が文献にあれば、興味を持って手を付けるだろうが、それは政府が許さない。
あくまで古文書学の名分として犯罪スレスレのゾーンを踏みかねていると言ったところだ。もしそれに踏み込んだというなら、即刻処分されるだろう。
「もしそうだったら、カイリくんのお父さんが危なくなるんじゃ……!」
カイリの父を心配する千戸畝。
そこにカイリは補足するように言及する。
「いや…俺もそうは思うが、親父は親父で対策してる。親父は自分と俺の為にも、自分とその周りの人間に同じように携帯端末に危機管理共有システムを組み込んでいる」
「もし異常事態なら自動的に連絡の一本ぐらいは送信される筈なんだが…今までそれがない。なら向こうは無事か、それかもしくは安全な場所に運ばれているかのどちらかじゃないか、と推測している」
危機管理共有システム____
貫が独自で開発した安否確認方法。自身や息子の安全を保つ為、異常があれば携帯端末から自動的に信用できる人間に連絡されるシークエンスを端末に組み込んでいる。
「んで、奴らが俺を狙う理由は多分、ひっ捕らえて父親を誘き出す人質にでもすんじゃねーの?と思っている。実の息子だから当然見捨てておけずに漕ぎつけるだろう?」
あくまで仮説だから可能性としてだけどな、と注釈を入れるカイリ。千戸畝はとっても納得したような表情をした。
「でもだとしたら、尚更捕まっちゃいけないってワケッスけど……」
先程から部屋や廊下側の周りの窓から校舎周辺を見回しているが、校舎側を見れば、防護服の集団は先程よりも増え校庭に佇んでいる。逆に廊下側の窓から校舎裏を見れば、校舎裏口にも奴等のものと思わしきワゴン車が数台。
「八方塞がりッスね…」
「まさしく四面楚歌。兵糧攻めみたく限界まで辛抱させて、降伏させるつもりとかかな」
うなだれる千戸畝に、追い討ちをかけるように返すカイリ。
「心配いらねェよ。さっき言った危機管理共有システムがこっちにはあるから親父を通して何かしらの助けが来る……はず………」
ホントッスか!?と希望の眼差しをカイリに向ける千戸畝。
しかし、その希望とは裏腹にカイリの瞳は光を失っていた。
「充電切れてた」
「えええええ!!!何やらかしてんスか!!そうだポータブル充電器とかは!?」
素っ頓狂な声を上げる千戸畝。
再充電のバッテリーさえあれば問題はなさそうだが……
「今日忘れた。貸して」
「自分は持ってないッス!!元々持たないんで!!」
この始末。
教室内のコンセントも電気が通っていないので言わずもがな。
二人の間になんとも言えない空気が流れる。
「……クソ。とりあえず何でもいい、お前の携帯で誰かに連絡しなきゃ」
灯りがわりに照明ランプをONにして机に置いていた千戸畝の携帯端末を見て言い放つカイリ。
「しょうがないッスね……うわ、充電残り10%」
照明ランプで消費したためか千戸畝の携帯端末の充電にも後がなく、少し焦りを見せる。
「こういうときは警察に…」
端末の液晶パネルに3桁の数字を打ち込もうとするが___
「待たんか。今の状況を警察が信じてくれるとは俺は到底思えんな、謎の防護服の集団とか言っても二つ返事でガキのおふざけ認定されるぞ」
そんなぁ、じゃあどうすれば…と眉を八の字にしながら路頭に迷う千戸畝に、カイリは言う。
「そんな奴相手に充電を無駄に使用するよりかは、確実にどうにかする奴を俺は知ってるぞ」
そういうと千戸畝の手から端末を取り上げ、すばやく画面をタップしある番号へ繋ぐ。
「おい"居候"!!起きてるか」
『この声カイリだ!!どしたの?』
「いま危機的状況だ。マッハでうちの学校2階の俺がいる所まで、40秒で迎えに来な!!」
『あいわかった!!』
通信は途絶える。
「い、居候って……?」
"居候"というキーワードに引っかかる千戸畝。
おどろおどろしくカイリに聞く。
「ん?んぁー、なんというか」
カイリを照らす窓からの月光には一つの影、
「うちに住んでて親父のラボでバイトの____」
影はしだいに大きくなり、窓に向かって接近……
「大喰らいの居候で結構バカっぽくて、」
窓ガラスはその大きな影によって、大きく音を立てて砕け散った。
「"多分なんとかしてくれる"奴だ」
「カイリ!!!大丈夫!!!????」
窓ガラスを突き破って現れたのは、オレンジがかった髪の、青い瞳の青年。彼はカイリに近寄り心配そうに肩を掴む。
「近い離れろ!!……えー今は何ともないが、お前はこういう時に役に立つだろうと思って呼んだんだ。ガラスぶち壊せとは一言も言ってないがな…これ弁償とか高くつくやつ?」
喉輪のように青年の顎を押し、肩を持つ青年を突っぱねながら割れたガラスを心配するカイリ。
「あの……カイリくんこの人は一体?」
おどおどとしつつカイリに窓ガラスを突き破った青年について問う千戸畝。
「ん。さっき言った居候の」
「グラムでーーーす!よろしく!!」
カイリの言葉を遮る彼の名はグラム。
斗枡家の居候で、普段は貫の研究ラボで雑務等のバイトをしている。
「グ、グラム君ね?よろしくッス、自分は千戸畝って言うッス!」
自己紹介を自己紹介で返す千戸畝。先程の緊張が少しほぐれたのか、顔に笑顔が綻んでいる。しかし、それとは裏腹に心の中でグラムに対して違和感を感じていた。
「ちょっと、待っててほしいッスグラムくん」
「はい!!!」
千戸畝の提案に二つ返事で了承したグラム。
千戸畝はカイリを教室の片隅に引き寄せた。
「カイリくん……どう考えてもおかしいことがあるッス」
千戸畝は質問をしたそうにカイリに詰め寄る。
「どうぞ」
カイリは承り、話を聞く。
「ここの窓ガラスって防弾ッスよね?」
そう。これは鯨尺高校のみにあらず、近年の高校はテロ対策なども考慮されほとんどが防弾ガラスで出来ている。
その防弾ガラスを体当たりで粉砕できる人間など、サイボーグ化によって強化でもしなければまずなし得ない。
「彼はサイボーグ化してるんスか?」
「俺も最初はそう思ってたけど、本人は違うってよ」
どうやら違うらしい。
連絡してから数分も待たずに駆けつけるのもおかしい、とも問うたが、それは俺も分からないから本人に聞けと言うカイリ。
二人は再びグラムの元に近寄り、千戸畝が発言する。
「えっとグラム君……カイリくんからの連絡はどこで聞いたのかな?」
「え?えっとーー、駅!んで飛んできた!」
「駅ィ!?」
駅。
おそらくこの高校より約2km南にある駅だろう。僅か数十秒で生身の人間がこの距離を詰めるのには無理がある。
「やっぱりサイボーグか何かじゃ……」
不思議そうにグラムを見ながらそう伺う千戸畝。
「違いますーー!!僕はなーんにも改造してない純粋な生身の人間だよっ!!」
グラムは反発する。
ナチュラルな人間に出来る所業ではないのだが、と千戸畝は
心の中で思ったが言葉には出さなかった。
「まあその件については後でゆっくりできる時にでも語りゃいい。とりあえずここから出たいんだが…グラム、なんとかできるか?」
カイリは、現状の打破が可能かどうかグラムに切り出す。四方をよく分からない怪しい集団に囲まれ、身動きの取れない状態からの解放は、グラムに委ねられている。
「ん!!とりあえず悪そうな奴らっぽいし倒して…」
「待て待て、お前はどうして昔から粗暴なんだ…暴力はやめとけ。それに、お前が暴れて向こうが危険だと察知したら強制的にどんな手を使ってでも捕縛に入るかもしれない、このやり方は賢くない」
グラムの粗暴な考えを理論で諭すカイリ。
グラムは不満そうだ。
「でも…どうするんスか?さっきより人数も多くなって、どんどん校舎に近づいてる気がするッスよ」
千戸畝の言う通り、外を見れば校庭や裏口にいた防護服集団の数は増え、校舎にますます近寄っている。
『斗枡カイリ、君は包囲されている。出てくるならば手出しはしない、身の安全は確保すると誓おう。さあ、来るんだ』
『そしてそれに関わる青年と、窓から侵入した者、君たちが斗枡カイリを説得し、連れ出すならこの件は警察にも知らせない。安心してくれていい。協力を要請する』
校庭から聞こえてくるのは拡声器ごしに伝わる30代程度の男性の声に乗る警告。カイリは心底嫌そうな顔つきになる。
「まあそりゃグラムの事ぁバレてるわな……あんだけ音出したし」
「自分のことも取り込もうとしてるッスね…自分はカイリくんの味方するッスけど…でもどうしたら?八方塞がりッスよ?」
突破口を見出せず悩みに悩む千戸畝。
しかし、カイリは突然言い放つ。
「"八方塞がり"でも空いてる方向はあるぞ」
カイリの言う事について、はて、と言った表情をする二人。
カイリは続けてこう言う。
「北も南も西も東もダメなら……」
「上と下があるじゃん」
ああ、と納得する二人。
「いや待ってッス!でも上とか下って……自分はモグラでも無いし鳥でも無いッスよ!?どういう……」
「ココになれそうな奴いるじゃん!!」
理解に苦しむ千戸畝に、グラムを指差しながら言及するカイリ。指されたグラムは、頭上に?マークを浮かべていそうな表情をしている。
「というわけでだグラム、俺らを抱えて鳥になれ」
「わかんないけどわかったーーー!!!」
カイリの無理難題を理解したのかしてないのか…グラムはイエスマンの如く肯定し二人を脇に抱える。
「へ!?何するんスか!!何やるつもりなんスかぁ!!?」
「いっくよーーーーーーーー!!!!!!!」
慌てふためく千戸畝と、大人しくしているカイリの二人を抱えたまま、グラムは開けておいた窓に向かって猛ダッシュ。
「俺もわからん。でも一つ言えそうなのは_____」
カイリは言葉に一呼吸置く。
「うりゃ!!!!!!!!!!!!!!!!」
グラムは窓のサッシを暴力的なパワーで一気に蹴り上げ、
思いっきり跳んだ。
その跳躍は謎の集団のいた校庭を超え、街の灯りが点に見えるくらいの高さだった。
防護服の集団は呆気に取られている。
「脱出は成功する。やったじゃーん」
街の灯りと月の光を同時に眺め、カイリは跳びながらボソリと呟いた。