戸惑いのコンツェルト4
「……と言うわけだ。この部屋との繋がりも見当たらない以上、アキが普通の幽霊とは一線を画しているって事からアキのルーツを探ろうと思ってる」
そう言って凪は話を締めくくった。あたしと出会ったところから今までのことを包み隠さず話したわけだけど、この男には珍しく、全く茶化すことなく話し切った。奇跡だ。
あたしを除いた三人は、ひとまず凪の用意した飲み物を片手に、それぞれの思惑に耽るように押し黙っている。
ミオちゃんは本人が希望したカフェオレを、凪自身はいつも通りにコーヒーのブラックを。問題は朱美さん。彼女にはダージリンを出した凪。それも注文も聞かずに迷うことなくダージリンを入れていたのだ。
そのことを凪に追求しようとしてハッとする。これじゃ元カノに嫉妬する現カノみたいじゃないか。一挙手一投足に目くじら立てる女なんて最悪だ……と言うかそれ以前にあたしはまだ凪と彼氏彼女の関係になった訳じゃないでしょうが、アホ女……。
「凪……」
朱美さんのその問い掛けで、あたしは妄想から引き戻される。
「アキさんの名前は思い付き?」
「いや、違う」
「え?」
「やっぱり……『視えた』のね?」
「そうだ」
「名前が……見えた? どういうこと?」
「正確には『視えた』。霊視だよ。自動霊視」
「アキさん……凪はね、霊体の記憶を唐突に視てしまうことがあるの」
何故か申し訳なさそうに言う朱美さんに、あたしは肩をすくめて返した。
「別に視られたところで困る過去なんないし……あ、でもそれならあたしの正体も見通せたんじゃない?」
「いや、俺が視えたのは名前だけなんだ。それほど便利な能力じゃなくてね」
「そっかー残念。それで視れたら事は楽だったのにね」
「いいえ……」
朱美さんの重々しい口調に、あたし達の視線が彼女に集まる。
「名前が視えただけでも僥倖だわ」
「どういうことだ?」
「……何から話せばいいかしらね……」
一旦言葉を切り、口元に軽く握った拳を当てて考え込む朱美さん。そんな姿が妙に絵になり、心の奥でチクリと痛みが走る。
「……まず、最初に言っておくと、アキさん……」
「は、はい」
「あなたは間違いなく亡くなっているわ」
「は、はあ……」
心が沈みかけたその時に、突然話しを振られて慌てたあたしだったが、続いた台詞にはてなと思う。言われるまでもなく、あたしが死んでいることは避けようのない事実だからだ。
「あなたの生前の……と言って良いか分からないけど、本当の名前は『紫藤亜紀』……私の年の離れた友人で、彼女は十年近く前に亡くなっているわ」
「十年前……」
それは随分前の話だ。凪の話では、一年だって存在出来る霊体は少ないってことだったのに……あれ?
「……あたしがこの部屋に来たのは五年前だったはずですけど……」
「……私が、さっき名前を告げる時に『分からない』と断りを入れたのは、その事があったから」
「?」
「凪から聞いてるでしょうけど、そんなに長い期間、肉体から離れても存在している霊体なんて普通ならあり得ないの。肉体と霊体は切っても切れない関係で、霊体が不在の肉体は生命活動を停止するし、肉体から離れた霊体は自我が薄れて人としての形を保つことが出来ずに消滅してしまうわ。肉体にとっては霊体……この場合は魂と言っても差し支えないけど、これが生体活動を維持するためのエネルギーになっているし、逆に霊体にとっては、肉体が霊体を人として形を保つ為の型であると同時に、エネルギーを充電するツールの一つになってるの」
「えぇと……取りあえず、肉体が滅んだ霊体が存在し続けるなんておかしいってのは分かりました」
「ええ。そしてあなたの肉体……『亜紀姉』の肉体が既に生命活動を停止していた事は、私がこの目で確認しているわ。彼女は……亜紀姉は、とある事件に巻き込まれて殺されてしまったのよ」
「殺された!?」
「そうなの。でもそれについてはもう終わった事。亜紀姉を殺した犯人は、今頃後悔する事すら出来ずに永遠の苦しみを味わっているわ」
「永遠の苦しみ?」
「犯人は能力者で、快楽殺人犯だったのよ。だから私がとある場所に封印したわ。アイツには死すら生温い」
「……」
「だから亜紀姉が……彼女の肉体が『死んだ』状態である事は間違いないわ。問題はその後」
「……何があったんですか?」
「……私は亜紀姉が死んだ事を自分の目で確認した後、その足で犯人を追い掛けたのだけど、事件を解決して戻ってみると、亜紀姉の肉体は誰かに持ち出されてしまっていたのよ」
「へ?」
「ベッドはもぬけの殻で、微かな空間の揺らぎだけがその場に残されていたわ」
「つまりはあたしの……いや、紫藤亜紀さんの肉体は行方不明って訳なんですか?」
「その通りよ。でも亜紀姉の肉体が生者のものではないことは確かなの。つまり……亜紀の身体がアキさんの身体ではあり得ないのよ」
「はあ……つまり……あたしは『紫藤亜紀』ではない?」
「そうね……そう言うことになるわね」
「……はあ……」
視線を合わせずそう言葉を返してくる朱美さん。その彼女のあまりに回りくどい話し振りにあたしの心は自然とざわめく。彼女が回りくどい言い回しをしてるのは、この話の結論が告げることを躊躇われる内容だからだろう。
「朱美。話しが回りくどすぎる。結論を言え」
「あたしも……あたしもズバッと言って欲しい」
凪とあたしの二人の言葉に、朱美さんは大きく息を吐くと、意を決して話し始めた。
「私がアキさんを見て『亜紀姉』と見間違えたのはアキさんが亜紀姉に似ていたからだけじゃないわ。アキさんが明らかに亜紀姉と同じ魂の色を持っていたからよ。でも、同時にアキさんが亜紀姉ではないって事は変えようのない事実だった。それを踏まえた上で考えられる結論はただ一つ……アキさん……貴女は、亜紀姉の肉体から作られた魂のコピー……人造魂魄よ」
「亜紀さんの肉体から……造られた?」
「そう。亜紀姉の肉体を基に造られた亜紀姉の魂のコピー」
「人造……魂魄……コピー……」
あたしの心のざわめきが一気に遠退きます凍り付く。
そっ…かぁ……あたしは……。
どれくらいそうしていただろうか……。ふと顔を上げると心配顔のミオちゃんと、顔を背けて物思いに耽る朱美さん、そして腕を組んでジッとあたしを見つめる凪の姿が目に入った。
「あはははは……凪……あたし、ちょっと席を外すね?朱美さん、真実を教えてくれて有難う。お陰ですっきりしました」
あたしは頭を下げて身を起こすと、そのまま飛び上がり、返事も待たずに天井から部屋の外へと飛び出した。
そう……あたしはその場から逃げ出したのだった。