戸惑いのコンツェルト3
「……ってなわけ。分離出来るなら出来るって、始めっから言っといて欲しいわよ。それをあたしの反応を楽しむみたいに黙ってるんだもん」
「別に黙ってたわけじゃないけどね。単に言うタイミングが無かっただけで。それに『普通なら』って注釈入れといたじゃん」
「それであたしにどう分かれと」
「修行が足りーん」
「やかましいわい!」
「しっかし……普通、妖魔と融合しちゃったら分離なんて不可能なんだけどねー。相変わらず凪っちの能力って規格外だよねー」
「そうなの?」
「そうですよー。そもそも今回の事件って、霊能者協会所属の霊能者が何人か犠牲者になってて、それで凪っちに話しが回ったって聞いてます。それを符や祝詞も使わず鈴の音だけで妖魔を退治しちゃうんだもん。ミオも見たかったなー」
コタツに両肘を突いて手を組み、そこに顎を乗せて思いを馳せる夢見る乙女状態なミオちゃん。でも思いを馳せてる内容が乙女のそれじゃない。
あのあと凪とあたしは、後始末を協会に押し付けて直ぐに帰宅した。そして一晩経った次の日(つまり今日)のお昼前、またミオちゃんがたかりに来たので、お昼を一緒に済ませると、食後の茶飲み話に昨日の話を披露していたのだった。
「ミオも連れて行ってくれたら良かったのに」
「ミオちゃん連れて行ったらアイツに何言われるか……」
「アイツ?」
「紅朱美さんっていう、凪っちの霊能者仲間です。ミオの能力者としての保護者みたいな人なんですよー」
「仲間って言葉は語弊があるような……」
「仲間だよ!例え会う度にネチネチと嫌みを言い合うような仲であっても!大体なんであんなに仲悪いの?合コン大好き美人大好き凪っちが、美人で頭も良くてあんなに優しい朱美さんと、会えば角突き合わせてばっかりってなんか納得いかないんだけど?」
「別に仲が悪い訳じゃ……」
「……なんか珍しく歯切れが悪いわね」
「そうなんですよー。凪っちったら朱美さんの話になるといっつもこうなんです。朱美さんも同じなんですよー……怪しいと思いません?」
「怪しい……」
あたしとミオちゃんの猜疑の視線攻撃に平静を装う凪。その態度が更に我々の猜疑心を煽るのだよチミ。
更なる追求を始めようとしたその時、突如凪のスマホが鳴り響いたので、やむを得ず追求を一旦は諦める。あくまで一旦は……だ。
「あれ? 知らん番号だ……誰だろ? あーもしも……」
『……良い度胸ね……私の番号を着拒の上に、自分は番号変えるだなんて……』
「…………」
スマホから聞こえ来たのは、若い女性の唸り声。それに対して凪はというと、苦虫を噛み潰したような表情で言葉を失い押し黙っている。
因みにあたしはこの部屋くらいの距離ならどんな些細な音をも聞き逃すことはないので電話の声を拾うことなど朝飯前。凪曰わく、霊体と人間では音の伝わり方が違うとのことだ。
『まぁそのことは良いわ。それについては今度キッチリ話を聞かせてもらうから。それよりも今回の事件のことよ……確か言ったわよね?今回の件は私が何とかするからあんたは手を出すなって』
「……何故俺がお前の言うことを聞かねばならん」
『そんなの……あんたが私に回ってくるはずだった仕事を片っ端から横取りしていくからに決まってるでしょ!一体どれだけこっちに損害出てると思ってるのよ!その上、面倒な後始末を全部押し付けてくるから苦労がドン!さらに倍!いい加減にしろっての!』
「後始末をお前に頼んだ覚えはない。押し付けてくる協会連中に文句言えって」
『あんたの後始末をあいつ等がやりたがる訳ないでしょうがぁぁぁ!』
響き渡る怒鳴り声に電話口の相手の怒りの大きさを知る。この人、凪に対して相当ストレス溜まってんなぁ。一体誰だろ――そんなあたしの心を読んだのだろう、ミオちゃんが苦笑しながら教えてくれる。
「この人が紅朱美さんです」
『ん?なに?その声……ミオちゃんもそこにいるの?』
「……地獄耳」
と呟きながら、スマホのスピーカーをONにする凪。
『あんたに鍛えられたのよ馬鹿凪!ダメよミオちゃん、こんな男と一緒にいたらいつの間にか負わなくても良い負債を背負わされ……って、そんな話をするために電話したんじゃなかったわ。凪、あんた一体あそこで何をしたの』
唐突に声のトーンが変化する。どちらかと言うと、あまり近寄りたいとは思わない、冷え冷えとした声色だ。
「何って……妖魔を退治して捕まった人たちを解放しただけだけど?」
『ならなんで妖魔と取り憑かれた人間の御霊が分かれてるの?』
「俺が分離したからだけど?」
『……魂を弄ぶような行いは慎みなさい。人としての能力を逸脱しているわ。あんた……神にでもなったつもり?』
「俺が自分の能力をどう使おうと勝手だろ?お前に口出しされたくな……」
『あんたが頑なにその人知を越えた能力を振るおうとすればするほど、周りとの溝は深まるばかりだって何度言ったら分かるの! 今回の件で、協会の連中がまたあんたの事を審議し始めてるわ! いくら私でもこれ以上庇いきれない!』
口調はキツいが、凪の身を案じていることは明らかだ。
さっきのミオちゃんとの話を思い浮べないではいられない。確かに二人は単なる仕事仲間じゃないだろう。しかしこの男、鈴本凪にはそんな彼女の思いなんて通用しない。
「へへ~んだ!誰が庇ってくれって言った?お前は俺のかーちゃんか?俺は誰の指図も受けません!一昨日来やがれ!」
ペペペとスマホに向かって捨て台詞を放って接続を切る凪……ってオイ。
「子供かアンタは!」
「凪っち……今のはちょっとミオでも引いちゃうよー」
「良いんだよ。あいつの言うことにいちいち真に受けてたら身が持たない。大体事件をキッチリ解決したのになんで怒鳴られないといけないんだよ。協会の連中なんて無視すりゃいいの。どうせ何も出来やしないんだから」
「また朱美さんにど突かれるよ?」
「大丈夫、大丈夫。この部屋はあいつには見つけられなぃんごぁ!」
途中で凪の台詞は中断を余儀なくされる。何故なら、凪の後ろに突如として扉状の紫電が走り、その空間がパカリと開いたのだ。そこから現れた一人の女性にグシャンと足蹴にされ、凪は後頭部からプスプスと煙を立ち上らせて床で突っ伏し沈黙してしまったというわけだ。
「な、何故ここガフッ……」
驚愕の凪の後頭部を踏んづけて、グリグリしながらその女性は口を開いた。
「甘い……甘いわ。砂糖たっぷり蜂蜜追加なホットココアよりも認識が甘いわ。元が霊気垂れ流しのあんたが隠れても、それまで垂れ流されてた霊気は消えないのよ?ならそこからおおよその位置を特定するなんて簡単だわ。それよりねえ……一体何回言えば分かるのかしら?周りに迷惑の掛かる能力の使い方は止めて貰えないかしら?ねえ……ねえったら!」
「フガフゴフゴ……」
もがき逃れようとする凪を、足裏で上手く踏み続けながら、こめかみに血管を浮かべてそう詰問する女性。どうやってこの部屋まで来たのかは分からないけど、多分この人が紅朱美さんだろう。
ナチュラルショートの赤みがかった髪の毛。勾玉ピアスがよく似合う形の良い耳。顔立ちはすっきりと整っているものの、その切れ長の瞳がやや吊り気味に伸びていて、オクタゴン型の眼鏡と相まって少しキツい印象を受ける。カジュアルなものではあるけど、着ている洋服がパンツスーツであることも、彼女のキツさを引き立てているが、それを差し引いても……いや、だからこそ彼女は同性のあたしから見ても美しかった。
「朱美さん……それじゃ凪っち喋れないって」
「あらそうね。気付かなかったわ」
フフンと鼻で凪のことを笑いながら、彼女はようやく凪の後頭部から足を退け、今までずっと凪に向けていた視線を上げる。
「ミオちゃん、さっきも言ったけ…ど……」
しかしその台詞は、あたしと目があったところで尻すぼみに途切れる。唖然とした表情の朱美さんに、あたしは苦笑しながら軽く会釈を返す。
「初めまして。あたしはこの部屋で凪にお世話になってる……」
「あ、亜紀姉……」
唖然としたままそうあたしの名前を口走る朱美さん。
あれ?なんであたしの名前知ってるの?って言うか今、アキ『姉』って付けなかった?あたしは傍らのミオちゃんに視線を向けるが、彼女はそれに首を振って答えた。彼女があたしのことを予め伝えていたわけではないようだ。なら誰が……
「朱美……お前まさかアキのこと、知ってんのか?」
「アキ?彼女の名前?」
「そうだけど……」
「アキ……そう……凪、何があったのか教えてくれない?」
「それは良いけどその前に1つ言って良いか?」
「何?」
「ここは土足厳禁」
「……はぁ……」
凪の場違いな一言で張り詰めた空気が一気に萎む。そして朱美さんはため息を吐きながら、不承不承パンプスを脱いだのだった。