戸惑いのコンツェルト2
リン--
そう澄んだ鈴の音が鳴り響くと、辺りが静寂に包まれる。
リン--
ふたつめの鈴の音で、暗闇があらわれいでてこの場を覆い尽くした。
リン--
そしてみっつめの鈴の音がその暗闇に覆われた世界を壊してあたし達を新たな世界へと誘った。暗闇が晴れたその後に現れたのは、優しい灯りにともされた夢の中に似た世界。
『アアアアアアアア……』
その世界に誘われたのはあたし達だけじゃない。いや、むしろあたし達はついでなのだ。あたし達の目の前では、この世界に誘われた存在がもがき苦しんでいる。
そいつは見た目は薄い靄だった。薄い靄が幾重にも折り重なって出来た塊で、今そいつが凪の霊能術によって表面から少しずつ剥がされているのだ。
『アアアアアアアアアアアアアアアア……』
剥がれた靄が光の中へと浄化されて消えていく光景に息を呑む。まるであたし自身の未来を暗示しているかのような気分にさせられる。
あたし達は、住宅地からほど近い、数年前に打ち捨てられた工場の跡地に来ていた。最近この地で行方不明者が続出し、凪にその調査の依頼が舞い込んで来たからだ。凪は調査どころか、一目で原因を突き止めてしまい、その原因である妖魔を今まさに退治しているのだった。
『ガガガガガガガガガガガァァァァァァァ……』
妖魔の一際大きな悲鳴が上がり、遂にはその靄が弾け飛び、その中から現れたのは……
「……人間の……男?」
「そう。あの男の情念が、今の妖魔を引き寄せて融合したんだ」
「情念?」
「彼には奥さんがいてね。その奥さんがとある事件に巻き込まれて命を落とした。彼は奥さんが死んでしまったことを受け入れられなくて夜な夜なさまよい、そこであの妖魔に取り憑かれたんだ」
「あの妖魔はなに?」
「あいつは人間を自分の作り上げた空間に誘い出して閉じ込め、閉じ込めた相手の精気をジワリジワリと吸い尽くす、まぁ日本版の吸血鬼みたいなもん」
「それがなんでまたあの彼に取り憑くなんて面倒いことしたの?」
「あの妖魔は本来なら自分の意志を持ってないんだ。それが彼に引き寄せられて取り憑き、融合する中で意志が生まれ、無差別に人間を引き寄せて精気を喰らう妖魔になったってわけ。さぁ、最後の仕上げに入るとするか」
そう言うと、凪はその手に持った鈴が柄に結び付けられたら短剣のような物(刃は無く丸みを帯びている)を前に突き出し、『彼』に向かって口を開いた。
「君がこの世に生まれたことは、君にはなんの責も無いことだけど、君が存在することで迷惑する人がいるんでね。ぶっちゃけ俺の貯金もそろそろ心許なくなってきたから、俺の生活費の糧となるため逝っちゃって」
「んなことぶっちゃけるなー」
「いや、自分が退治される理由ぐらいはいくら妖魔といえども知っときたいだろうと思ってさ」
「んな理由知りたくねー……って言うか、それなら前半部分だけで良くない?」
「俺は嘘はつけない質なんだ……よっと」
そう言って短剣を一振りすると、再びさっきの鈴の音がリンと響き渡り、『彼』の身体がビクリと震える。
『ア……ァ……ァガガガガガガガガガ……』
断末魔の悲鳴と共に、『彼』の目や口、鼻や耳など穴という穴から黒い靄が溢れ出す。あれが妖魔の本体なんだろう。
靄は光に触れるや否や、塵となって消えてゆく。そして五秒も経たない内に妖魔は完全に消え失せる。その途端、光に包まれたこの空間が、パキンと音を立てて崩れ去った。
「あっ!」
あたし達の目の前で、今まさに解放された男性が、その場にドサリと音を立てて崩れ落ちる。
いや彼だけじゃない、よく見れば彼の周囲には、おそらくはあの妖魔によって誘われただろう人達が倒れていた。
「さ、後始末は協会の奴らに押し付け……じゃなくて任せるとしようか」
そう言って、エロ画像満載のスマホを取り出し、パネルに指を掛ける凪だったが、ハッと何かに気付いたように顔を上げて口を開いた。
「いけね、いけね。忘れてた」
「あ……」
あたしと凪の視線の先では、崩れ落ちた男性の傍らに薄い光の粒子が集まりだしていた。
「綺麗……なにあれ……」
「今回の事件の本当の依頼者さ」
セリフの半ばで光の粒子は人型を取り始め、半瞬後には一人の女性が……それも明らかに人間ではなく、あたしと同種の……ようするに幽霊と思わしき女性が浮かび上がり、軽く微笑んだ後にぺこりと頭を下げた。
「本当の依頼者?今回の依頼って霊能者協会からじゃなかったの?」
「それは調査依頼。実はそれより前に別口からも依頼があってね。彼女、俺の夢枕に立って助けを求めてきたんだ。今回の事件の詳細を語った後に事件の解決を依頼してきたってわけ。報酬は……」
そこで彼女があたし達の側へとやってくると、手のひらに何かを乗せて差し出してきた。
「指輪?」
「そう。これが報酬」
そう言いながら凪は指輪を受け取り、コインを弾くように親指でピンと弾いて、落ちてきたところをパシンとキャッチした。
「な、なんか禍々しい気配を感じるんだけど?」
「そりゃそうさ。この指輪には彼女の旦那さんの怨念が籠もってるし」
「怨念?」
「彼女の形見なんだよ。彼女が死んでから片時も離さず持ち続けてたもんだから、彼が放っていた負の感情を受け続けて、こんな感じに怨念がおんねん」
「なんでやねーん」
そう思わずツッコミを返したところで、彼女は――呆れてのことだろう――苦笑を浮かべて旦那さんの傍らへと戻った。
「それ大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫……ほいっと」
そう言って、凪がまたまた短剣を一振りすると、指輪から発せられてた禍々しい気配が、指輪の宝石部分――おそらく翡翠――に吸い込まれていった。
「これでオッケイ。これでこの指輪は只の指輪じゃなくて立派な霊具。その手の所に持って行けばかなりの値段になるんだよん」
「な、なんかエセ魔法使いみたいね……」
「そこは素直に大魔法使いと言いたまえ」
「霊能者じゃなかったの?それより……あの人たちはどうなるの?」
物言わぬ骸となった旦那さんの傍らで、奥さんが悲しげな……それでいてホッとしているような表情を見せて座り込んでいる。
「奥さんの方はそのうち成仏するだろうね。旦那さんの方は、妖魔と融合しちゃったからね。普通そうなると、妖魔を退治した段階で彼の魂も消滅しちゃう」
「そんな! それじゃ彼女は何のために……」
旦那さんの骸に向かって、愛おしそうに……そしてまるで撫でているかのように手をかざしている彼女の姿に、あたしは身をつまされる。なにしろ幽霊である以上、彼女は実際にあの骸に手を触れることは叶わないのだ。
「可哀想……ただでさえこの世じゃ触れることが出来ないのに……死んでも一緒になれないなんて……」
「彼女には、あの状態になった彼をそのまま放置するって選択肢もあったんだ。そうすれば、何はともあれ彼が死ぬことは防げたわけだからね。でも彼女はそうしなかった。彼女は言ってたよ。『あの人を止めてほしい』って。それがどういう意味か全て理解した上でね」
「そんな……」
彼らに視線を戻したあたしの頬を、一筋の雫が流れ落ちる。彼女の姿が自分と重なって見えるのだ。
「もうどうにもならないのね……」
「んにゃ。どうとでもなるよ?」
「そうだよね……どうにもならな……は?」
「だからどうとでもなるって」
そう言って指を差したその先では、驚きの表情を浮かべている彼女の姿。何故なら彼女の傍らにある旦那さんの骸から、光の粒子が立ち上り始めていたからだ。
「この指輪ね……実はかなり高額で売り捌けるんだ。その金額だと、今回の依頼の報酬としてはちーとばっかし釣り合わない。このまま受け取ったんじゃ、俺の沽券に関わるんでね」
彼女に向かってそう言いながら、凪は『二人』の元へと歩み寄る。
そう……光の粒子は人型となり、骸と同じ姿の男性へと変貌を遂げたのだ。驚きの表情で自分を見詰める二人に対し、凪は肩をすくめて事も無げに言った。
「差額分はきっちり返すから受け取って」
そう言ってくるりと回れ右すると、あとは興味はないといった感じでスマホをいじりながら建物から出て行った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!何がどうなったの?!ねぇちょっと!」
慌てて追い掛けるあたしの後ろでは、叶わぬはずの再会を果たした夫婦二人が、涙を流して抱き合っていたのだった。