地縛霊のトロイメライ3
「あ~美味しかった……」
「我ながら良い出来だった。やっぱり海老の頭を入れるとひと味違うね」
「……」
「スパイシーかつ深みのあるコク……はぁ……お昼に凪っちの家を選んで良かった……ミオが前にカレー屋さんで食べたカレーより全然美味しいんだもん」
「そいつは良かった。作った甲斐があったよ。二日目だったから余計味に深みが出てたなぁ」
「……」
「半熟卵のトッピングも良かったよー。ミオが作るとあんなにちょーど良い半熟具合になんないんだよねー。なんかコツでもあるの?」
「コツってほどでもないけどね。ところで……」
「……」
「あーあ。ミオ、知ーらない」
「アキ……」
「……」
「カレー食べれなかったからって、泣くほど拗ねるなよ」
「うっさいわ!あたしが食べれないこと知ってるくせに二人で無神経にパクパク食べるなんて……」
「食べれないも何も普通幽霊に食事は必要ないし」
「霊視の結果報告を先延ばししたことを責められずに食べ物の恨みを訴えられるとは思わなかったよー」
「幽霊だってカレー食べたいもん!こんなにカレーの匂いが充満した部屋の中で、手出しも出来ずにじっと見続けるだなんて、酷い拷問だわ!二人とも呪ってやる!」
「アキに呪われるなら本望。是非夢に出てくれ」
「あ、ミオは呪いとか気にならないのでおっけーです」
「……シクシクシク……」
あたしは、あたしをのけ者にして突然始まった二人のランチタイムをただ見続けることしか出来ず、その己が運命に降りかかった不運を再度痛感させられていた。
二人には皮肉の言葉も呪いの言葉も意味をなさず、右から左へと聞き流されるのだ!
「悔しいぃ!あたしもカレー食べたいのにぃ!」
「いやぁ、そんなストレートに食欲をあらわにする幽霊も珍しいよね」
「あたしはカレーが大好物なのよ!それこそ1ヶ月三食カレーでも構わないくらいに!」
「アキさんには生きてるときの記憶があるんですか?」
「んなもんはない!気分よ!」
「……んでどうだった?」
「ダメだったよ?なんもなし」
「アンタらカレーの話しはどーした!」
「終わった」
「シクシクシク……ならせめて霊視の結果の話を今すぐ始めてよ……」
「それも今終わりました」
「シクシクシク……っておい!そんな話、何時した何時!」
「何時って……俺が『どうだった』って聞いて……」
「ミオが『なんもなし』って言った奴です」
「シクシクシク……」
「まぁそもそもの話し、凪っちに見つけられなかったもんを、ミオが見つけられる訳ないと思うんだけど?」
「そんなことはないさ。前も言ったけど、ミオちゃんの『眼』は俺のより高性能だよ。ただ今回に関しては、何もないことは分かってたけどね。俺としては最終確認のつもりだったんだ。……ほらアキ、そんな端っこで拗ねてないで……」
「うっさい……ほっといて」
「分かった。そうする」
「なんでそこだけ素直なのよ!」
「俺はいつでもアキへの愛に素直なのさ」
「……今のはいまいち意味が分からないんだけど?」
「ミオもよく分かんなかったー」
「……まぁ、確定した事実だけ上げていくと、アキは地縛霊ではないみたいだね」
「あ、凪っち逃げた」
ミオちゃんの言うとおりだけど、これ以上話しがそれるよりはマシだろうと、あたしはこの件は口を噤むことにして、凪のセリフに合わせて言葉を返す。
「その心は?」
「地縛霊ってのはその場所に呪縛されるんだ。その場所と深い因縁が無ければ呪縛なんてされないよ。俺とミオちゃんの見立てでは、アキとこの部屋との因縁なんて見当たらなかった」
「んじゃ、なんであたしはこの部屋から出られないの?」
「場所との因縁が無いなら自分で縛ってるんだと思うよ?」
「自分でって……どういうこと?」
「一言で言ってしまえば思い込み」
「はぁ?あたしあんなに恐い思いしてるんだけど?」
「思い込みを馬鹿にしちゃいけない。人間、思い込みで死ぬことだってあるんだ」
「自己催眠みたいなもん?」
「そんなもん。アキはこの部屋に対して直接的に強迫観念を感じてる訳じゃなくて、あくまでこの部屋から外に出てしまうことに対して感じてるんだ。俺と一緒なら大丈夫なことが何よりの証拠。何度も出てればいずれ感じなくなるよ。問題なのはなんでこの部屋だったのかってことかな?」
「何故この部屋だったのか……」
「そこが分かればアキのルーツを探ることも出来るんだけど……」
「時間経ちすぎちゃってるもんねー……これじゃ残留思念も探れないし、空間の記憶も呼び出せないよねー」
残留思念?空間の記憶?理解不能な言葉だったけど、ここはあえてスルーする。幽霊のあたしには、多分あまり必要のない知識だろう。
「ともかく、この部屋から何かを探るのは、これ以上は難しいってこと?」
「そうだね。俺たち二人で探って何も出なかったんだから多分もう何も残ってない」
「ホント~?」
「ミオはともかく凪っちの能力は確かだよ!ゲームで言ったらラスボスを一人で攻略出来ちゃう実力です」
「そうそう。でも最後のこの娘がなかなかオチなくてさー。クリアー大変だったよ」
「ゲームってエロゲーかい!……って話が進まないじゃない。結局あたしは何者なのよ」
「うーん……普通、霊体ってのは肉体から離れるとあんまり長く存在できないんだ。長くても一年くらいで自然と消滅するんだよね」
「たった一年!?」
「そ。だからアキが五年も存在できてることが驚きなんだ」
「でも……巷じゃヴィンテージものの幽霊が溢れ出るって嘆いてたじゃん。凪の仕事ってそっち関係なんでしょ?」
「幽霊ってのは死んで肉体から抜け出した人間の御霊の総称だよ。普通、人は死ぬと浮遊霊としてその辺に漂って、いずれ自然に消滅するんだけど、憎悪だとか愛情だとか強い思念に縛られて死ぬと次第に自我が崩壊して人じゃなくなる。これが悪霊だとか幽鬼だとか、場所に縛られると地縛霊だとか、良くないものとして扱われるってわけ。俺はコイツ等が起こした騒動を解決する仕事をしてるんだ」
「あまりに身も蓋もない凪っちの能力に、業界で付いたあだ名が『ラグナロク(世界の終末)』」
そう言ってクククと笑いをこらえるミオちゃんに、苦笑を浮かべる凪。
「……身も蓋もない?」
「本人も制御しきれない能力の余波で、周りに甚大な被害を残しながらも能力を振るうその姿を見た他の霊能者が付けたあだ名ですけど……霊能者協会のお偉方は、凪っちのあまりの無軌道振りに、凪っちが事件に携わる度に戦々恐々としてるんです」
ミオちゃんのその言葉に、凪は素知らぬ顔でそっぽを向いている。凪のことだから、制御しきれないんじゃなくてあえて被害を大きくしてるんじゃなかろうか。ミオちゃんもそのこと知ってるんだろう。霊能者協会なるものの存在も気になるがそれはスルー。
「……そのお偉方たちに同情するわ」
「ま、人のやることなすことに一々文句を言うことしか能のない奴らだけどね。そんで……なんだっけ?」
「幽霊が死んだ人間の御霊の総称だって話しー」
「そうそう。んで悪霊と化した幽霊達は自我が崩壊して、人としての性を無くすんだ。残ってるのは強烈な憎愛の念だもんだから、あいつ等は生者に対して激しい敵意を持っていて場合によってはその敵意をぶつけてくる。アキは自我がハッキリしてるし……」
「ちょっと待って」
気になる言葉に、あたしは思わず凪のセリフを遮った。生者に対する敵意……それはあたしの心の奥底で常にくすぶってる感情だ。
「それはあたしも同じよ……確かに自我は保ってるかも知れないけど、生きてる人達に対しての憎悪や嫉妬が人の性から外れることに繋がるなら、あたしはまさしく『人』じゃない存在だわ。だって……」
そこで頭をよぎるのは、この部屋で目覚めてから凪に出会うまでの自分の所業。
「だってあたしは……今まで散々この部屋に現れた人たちに悪意をぶつけてきたもの……時にはあの人たちの心を読んで、恐怖を増大させることすら平気でやってたもの……」
そうやって悪意をぶつけて恐れおののく様を見て、あたしは暗い喜びに浸っていたのだ。そんな風に喜べる存在を人と言って良いのだろうか?
「あ、大丈夫、大丈夫。それは生きてる人間誰しも持ってるものだから」
「え?」
「ここにいるミオちゃんだって、憎きお兄さんの彼女候補たちに対して、この場じゃ言葉にするのも憚られるような悪辣な手段で嫌がらせして破局に追い込んでるし」
「ちょっと待ってよ凪っち!それは絶対誰にも言っちゃダメって言ったでしょ!!大体凪っちだって人のこと言えないじゃん!凪っち、気に入らない仕事の依頼者をノイローゼに追い込んだり、幸せそうなカップルに、火種をぶち込んで別れさせようとしたりしてたじゃん!」
「……とまぁ、俺たちからすると、アキのやったことなんてまだ可愛い方」
「あんた等……鬼?」
「ミオは数に入れないでください!ミオにはミオの正義があるんです!」
そう胸を張るミオちゃんに苦笑しながら、凪は再度口を開く。
「……とまぁ、こんな風にそんなのは俺たちだけじゃないって話。人の性を無くした霊ってのは、もっと激しい負の感情の 集まりなんだ」
「なんかそう締めくくられると反論したくなるんだけどー」
口を尖らせ不服そうにそう言ったミオちゃんに言葉を掛ける余裕もなく、あたしの口は自分でもビックリするくらい強い口調の言葉を投げ放つ。
「でも……じゃあ、結局あたしって一体なんなの?肉体がないから人間じゃないし、普通の霊体でもない……かと言って、悪霊の類でもないならあたしは一体『何者』なの?!」
そうか……ようやく分かった。あたしは『自分』という存在に不安を感じていたんだ。凪と一緒に生活し始める以前から……この部屋で目覚めたその瞬間からあたしは自分という存在が何者であるのか不安に思い、自己を確立するためにこの部屋の地縛霊という立場を作り上げてそれに縋っていたんだ。
「あたしは……あたしは一体……ねぇ凪……あたしは……あたしは一体何者なのよ!」
「さあ? パリポリ……」
「って即答!?しかもポテチ食べながら?!あんた少しは考えんかい!」
「ウバベビボビぃぃぃ……」
あたしのフラッシングストレートを顔面に受け、ポテチを撒き散らしながら床の上をバウンドして吹き飛ぶ凪。
「うごぉ……」
「凪っちの弱点はそのフィジカルの弱さと、空気を読まない無神経発言だよねー」
「い、いやだって分かんないもんは分かんないし」
「それでも言い方ってもんがあるでしょうが!」
「んー……そんなこと言われてもなぁ……ミオちゃんはどう思う?」
そう言ってミオちゃんに顔を向ける凪。こいつ面倒くさくなってミオちゃんに振ったな?
「さぁ?凪っちに分かんないもんがミオに分かるはずないじゃん」
こっちはこっちでやる気無くしてるし!
「あんた等がこの話振ったんでしょうがぁぁぁ!最後まで会話に責任もてぇい!」
「まぁこの際何でもいいんじゃない?アキはアキってことで」
「それさんせー」
「あ、あんた等……」
「だってさぁ……」
頭にポテチの欠けらを散りばめた凪は、立ち上がりながらそう言うと、激高しかけたあたしを制するように片手を上げ、にっこりと笑みを浮かべて言葉を続けた。
「何者であろうと、結局アキはアキだろ?何であるかは大した問題じゃないよ。今ここにアキが確かに存在していて、俺たちとこうして話をしているってことが重要なんだし。俺にとっては君はアキ。だからアキはアキ。それでいいんじゃない?何か問題ある?」
……ずるいやつ。そんな優しげな顔でそんなこと言われたら何も言い返せないじゃない。
それに自分の存在に不安を感じているあたしには、今の言葉は何よりうれしい言葉だったことも事実だ。だからあたしは悔しいけどこう答えることにした。
「……ない」
……あたしってちょろいなぁ……優しげな笑顔を浮かべる凪を見ながら、あたしはそう心の中で呟いたのだった。