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闇より舞い落ちるひとひら  作者: レムウェル
38/40

エピローグ



 な…ぎ……



 凪……



 待ってるから……



 信じてるから……



 凪……



 あたしの大好きな……



 凪……







「っ!!」


 あたしはそこで、ハッと目を覚ました。


 ここひと月ほどの間に、幾度となくこの夢を見て、今みたいに飛び起きていた。


 凪……この名をそっと口ずさむ度に、心に安堵と焦燥が同時に駆け巡って、あたしを落ち着かない気持ちにさせるのだった。


 あたしは、頭を振って部屋の中を見渡した。


 白い壁にクリーム色のカーテン、備え付けの棚に椅子が数脚……着替えの入ったバッグや何冊かの文庫本と合わせて、これらがこの部屋の全てだった。


 あたしの名前は紫藤亜紀。


 病院にあるのこの部屋の……つまりはこの病室の住人だ。


 一ヶ月ほど前にこの病室で目を覚ましてから、あたしはここと検査室とを往復する日々を送っている。


 自分では良く覚えていないのだけど、何やら大変な目に遭っていたらしい。


 七年前にあたしは神隠しに遭い、発見されてからも、目を覚ますことなく眠り続けていたらしいのだ。


 そして、一ヶ月前に唐突に目を覚まし、今に至っているというわけだ。


 しかも驚いたことに、友人曰わく『時の流れから、隔絶された状態にあった』との事で、あたしは一切年を取っておらず、しかも何の栄養も摂取せずに七年間を過ごしていたらしい。


 だから、目覚めてからは日々検査をこなして体調をチェックし、結局問題なしとの事でようやく今日の退院の日を迎えたのだった。


「はぁ……」


 あたしはため息を吐きながら身を起こし、ゆっくりとベッドから降り立って窓際へと足を向けた。


 窓に手をかけそれを開いたと同時に、背後の出入り口の扉が開き、1人の女性が入ってきた。


「あら? 亜紀姉起きてたの?」


 パンツスーツのバリバリのキャリアウーマンルックに身を包み、趣味の良いサングラスと、勾玉が括り付けられているイヤリングで身を装飾しているその女性……名前を紅朱美と言って、あたしの昔馴染みの……さっき話にも出た友人だ。


 ただ、あたしの知っている朱美はまだ高校生だったはずで、目の前現れたキャリアウーマン風の女性が、あの朱美だと理解するのに、少し時間と覚悟が必要だったのはここだけの話だ。


「うん……いい天気ね……」


 あたしは朱美にそう答えて、窓の外へと視線を向ける。


 夢のことは黙っておくことにしている。変に心配させたくないからだ。


「そうね……それより亜紀姉、退院の準備は済んでるの?」


「あのねぇ……あたしこう見えても立派な大人なんだけど?」


「どうだかねぇ……亜紀姉意外に抜けてるからなぁ……」


「あ~け~みぃ~!」


 意地の悪い笑みを浮かべてそう言う朱美に、あたしは怒ったふりをして拳を上げ、逃げる彼女を追い回した。


「あはははは……さ、冗談はこのくらいにして、着替えを済まして退院の手続きに行きましょう。」


「はぁ……あんた、まだ高校生だった頃はもっと素直で良い子だったのに………」


「ワタクシも既に25で御座いますからね。世間の荒波に揉まれて一皮も二皮も剥けましたのよ?」


「……その割には胸元のサイズは変わってないみたいだけど?」


「……亜紀姉、それ禁句……」


 そうがっくりとうなだれる朱美に、あたしはふざけた笑い声を浴びせてから、退院の為に着替えを始めたのだった。



 こうしてあたしは、七年間お世話になった(あたしにとっては一ヶ月だけど)病院を後にした。


 病院を振り返り、自分の身に起きた出来事を思い起こしても、正直なところ実感はない。


 あたしの記憶は七年前の、恋人であった亮と結婚式場の下見に行ったあの日から、ぷっつりと途切れている。


 朱美から、亮が既に亡くなった事は聞いたが、正直なところそれ程ショックは受けなかった。


 七年間も寝ていたからなのか、全ての記憶がまるで靄が掛かっているかのように現実味が無いのだ。


 まるで……まるで他人の記憶を無理矢理見せられているかのよう……。


 あたしは朱美に気取られないようにため息を吐きながら、前を向いて歩き始めた。


(……過去を振り返るのは止めよう……今は前だけを見て歩くことにしよう……)


 記憶のあり方には不安があったが、逆にそれがあたしの視線を未来へと向ける。


「あら?」


 病院の入り口の門の所に2人の男女がいるのが見える。


 1人は中学生くらいの少女。


 ウェーブ掛かったボブカットの髪と、二重瞼と青みがかった黒色の瞳が特徴的な小柄な少女。


 そしてもう一人は……


 あたしの視線がその『もう一人』に釘付けになる。


 もう一人は男性で……何故か……何故か目が離せない……。


 野生の猫を思わせる風貌で、左目が眼帯で覆われているその男性……


 あたしがジッと見入ってしまっていると、その男性がニコリと笑い掛けてくる。


 あたしは我に返って、慌てて軽く会釈をし、その隣を通り過ぎる。


 顔が熱い。あたしの顔は、きっと茹で蛸のように真っ赤になっていることだろう。


 あたしはもう一度彼が見たくて、そっと後ろを振り返ったが、既に彼の姿は門の所には無かった……残念。


「亜紀姉早く!」


 朱美のその呼びかけにあたしは慌てて朱美の元へと走り出す。


 何やら苦笑をしながら肩を竦めている朱美。


 きっと、男に見とれていたのを笑っているのだろう。


 あたしは朱美の元へとたどり着くと、もう一度だけ振り返って、今度は晴れ渡った青空を見上げて深呼吸をする。


「んん~! さて……参りますか!」


 あたしの言葉に笑みを浮かべる朱美を伴って、あたしはゆっくりと歩き始めたのだった。




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