レクイエムは誰が為に11
普段なら決して見ることが叶わない、濡れた瞳と艶のある甘えた表情を見せる朱美に内心むず痒さを感じながら、ギュッと抱き締めそっと唇を押し付ける。
取り敢えず、今の朱美の身体には伊邪那美が宿っていて、しかし身体そのものは朱美のものであるはずだ。
僕は勝手知ったる朱美の身体に、キスはしたままささっと右手を這わせ始める。
勿論、伊邪那岐としての意識を持った上でだ。周りの人から見ても、俺たちは『凪』と『朱美』でありつつも、中身は全くの別人であることは、霊気の質からも、さっきのやり取りからも分かるはずだ……多分。いやそうであってくれ。
あ、因みに左側の耳元からうなじ、そして背骨周りと左腰の辺りが朱美の弱点だからメモっとくように。
ビクンと震える朱美(中身は伊邪那美)の、開きかけた唇を舌で押し開くと、朱美(しつこいようだけども中身は伊邪那美)もそれに応えて舌を絡めてくる。
……う~ん……多少なりとも沸き起こる罪悪感。朱美ってプライド高いしなぁ。それにこれを見ているアキにはどう申し開きをしよう。ミオちゃんもいるし、朱美と俺に何が起こっているのか理解してくれてると良いんだけど……ま、いいか。そもそも伊邪那美なんぞを降ろした朱美が悪いんだし。
俺は、そう結論付けると再び右手を這わせ始める。片目を開けて視線を向けると、切なげに眉を寄せ、目元を紅潮させている朱美の顔がアップで俺の視界に飛び込んできた。
おぶ……な、なんだ……コイツ、こんな表情も出来んのか……中身が変わるとこうも違うもんかね。俺とつき合ってた頃のこいつは、こんなとろけた表情見せてくんなかったんだけど。
俺は更に伊邪那美の支配力を下げるため(自分の欲望のためではない!)下へと右手を這わせていったのだった……ってなところで、周りが薄暗い闇へと変化する。
「お?ようやくお目覚めかな?」
辺りを見渡すと、自分が置かれている状況がどういったものであるかが瞬時に理解できた。
ここは精神世界だ。伊邪那美に引き込まれたんだろう。
今は暗闇にプカプカ浮かんでいるような感じだけれど、実際の俺の身体は、未だに朱美(の身体)とキスをした状態なままの筈だ。精神世界では、時間も空間も意味をなさない。外からは、ここの様子をうかがい知ることも出来ないのだ。
俺はキョロキョロと辺りを見回す。
「お主か?人の身でありながら、妾に幻術を仕掛けてきた命知らずは」
すると、後ろからそう冷厳とした女性の声が鳴り響いてきた。
振り向くと、和服をもっと古風にしたような……例えるなら天女が身に着けているようなひらひらとした衣を身に纏い、髪の毛を上品に結い上げた絶世の美女が、僕に厳しい視線を向けて佇んでいる。
俺は、やや嫌みを込めてその女性……つまりは伊邪那美に声を掛ける。
「その通り。今のが幻術だって気付いたのは流石だけど、でもあんたも元は人間だろ?ただ長く生きてるってだけでさ」
俺の放った軽口に、伊邪那美は厳しい視線を解いて、クスリと笑みを漏らした。
「違いない。ただこれだけ長く生きていると、お主等と同じ存在だとは断言できぬのでな。お主は妾達を神と崇める事を嫌っているようだが……」
「別に嫌ってるわけじゃない。俺は知っているだけさ。あんた達も元は俺らと同じ人間で、同じように恋をして、同じように喧嘩もして、同じように……利を求めて他人を陥れていたってことをね。なのに何で僕が君らを崇めへつらわなくちゃなんないのさ?」
「ふふ……」
意外にも、僕の言葉に好意的な視線を向けてくる伊邪那美。
「お主のような人間、妾は嫌いではないぞ?伊邪那岐は、まさしくお主のような人間であったのじゃ。あやつは、自らの能力と才覚で妾を射止め、見事王となりおうせたのだ……女癖が悪いところまでソックリじゃ」
最後に、眉をしかめそっぽを向いてそう言い加えた伊邪那美は、確かにリンとした厳しさを湛えてはいたのだけど、俺の目には嫉妬に身を焦がした、ただの女にしか見えない。
まぁ、そのギャップは俺の目には好意的に写るけど。
ただ今の言葉には多少の異論がある。伊邪那岐の女癖の悪さに嫉妬の炎を燃やすのは勝手だが、俺もそれと同じだと一緒くたにされるのは心外だ。
「痴話喧嘩するのは勝手だけど、それをこの場にまで持ち込むのは止めてくれない? 俺は伊邪那岐と違って……」
「同じじゃ」
セリフを遮って、そう断言される。
「そう不満そうな顔をするでない。大体、この娘に行っている今の所行、たらしと言わず何という?まさか 嫌々やっていたなど言うまいな?そんな言葉、きっと誰も信じはせぬぞ?」
「嫌々だなんて言っていない。俺も男だし、相手が朱美だったら役得だ。でもね……」
「そうさらりと言い切る所が女として憎らしいと言っておるのじゃよ。お主なら、もっと別な方法を取ることも可能であっただろうに」
「……生憎、俺の持ち駒じゃ、周りに被害を出さずにすむ方法が、これ以外、見あたらなくてね。これなら俺と朱美がちょこっと恥をかけばすむ」
「だがこの娘に、深い傷を付ける可能性もあるのだぞ?」
「朱美がこの程度で……」
「この娘は……」
再び俺のセリフを遮り語気を強める伊邪那美。
「お主が思うとる以上に、お主のことを想うておる。こやつの心の奥底では、未だお主への憎愛で満ちておるわ」
「……」
「この事がきっかけで、この娘の心に傷が付かぬように祈るばかりじゃ」
伊邪那美のその台詞に、ため息を吐きながら頭を掻いた。
「……俺らの男女としての関係は終わってる。もう二度と交わることはない……それは俺らがお互いにそう誓い合っているから変わることはない」
「そのようじゃな。だからこそ……であればこそ、この娘の傷になるやもしれぬと言っておるのだ」
「朱美はそんなに弱くはない」
「女はいつでも弱いものだ」
俺らは互いにそう言い合い、睨み合って口を閉ざした。
そして十秒ほど睨み合ったのち、先に視線を外したのは、意外に思われるかもしんないけど俺の方だった。
「はぁ……分かった。もう二度としないよ。朱美にはこれ以上嫌われたくないし、今の関係を崩すのも嫌だし……」
「ほれ、その辺が『女癖が悪い』と言った所以じゃ。自分の都合の良いように女を扱いたがる」
悪戯っぽく更に追い打ちを掛ける伊邪那美に、俺は降参とばかりに両手を挙げる。
「いや、ホントにもうその辺でご勘弁を。誓ってもう二度と、朱美の気持ちを踏みにじるようなことはしないよ」
「そう願おう。 どれ……そろそろ暇するとしようかの。妾が現世に居続けると、隔世とのバランスが崩れるのでな」
そう言って、くるりと後ろを向いた伊邪那美だったが、一瞬思い詰めたように下を向き、意を決して僕に質問を投げかけてきた。
「ああ……その、なんじゃ……お主のさっきの言葉は、全くのお主の創作かへ?」
その言葉が、俺が伊邪那岐に化けて語り掛けたときのセリフを指しているのだと気付いて苦笑する。
「それじゃあ、俺がホントの女ったらしみたいじゃないか。あの術は、伊邪那岐の『気』と『記憶』を喚び出して構築する術さ。心配しなくていいよ。 伊邪那岐は今でもあんたを想ってる」
「そうか……」
そう答えた伊邪那美は少女のようなはにかんだ笑みを浮かべ、しかしその後、少し寂しそうにため息を吐くと、さっと後ろを向いて天を仰いだ。
伊邪那美が住まう世界とは、つまり死人が住まう黄泉の国……現世に座する伊邪那岐とは、もう二度と交わることはないんだよね……。
俺は、消えゆく伊邪那美の残影に軽く苦笑いを浮かべると、軽く頭を下げてそれを見送ったのだった。
やがて軽い浮遊感が身を包み、次の瞬間、朱美の温もりが待つ、現実の世界へと引き戻されたのだった……あ!しまった!『あの事』について聞こうと思ったのに忘れてた……。
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