レクイエムは誰が為に4
「しまった……」
そう呟いた次の瞬間、私達は床から滲み出てきた死霊達によって、異世界へと引きずり込まれた。
見渡す限りの灰色の世界……右も左も、上も下も前も後ろも分からない。自分以外の気配は無くなり、ただ一人私だけがこの場に連れ込まれたかのようだ。
実際は違う。ここは、死霊達の住処な筈で、死霊達が住まう世界は基本何も無い世界なのだ。
おそらくは他の仲間もこの場に引きずり込まれ、それぞれ死霊達と相対していることだろう。ミオちゃんとアキさんには妖精が付いているから、死霊達こ襲い掛かって来たとしても問題はない。
凪にしても、例えどんな状況に陥ろうとも自分で解決してしまうだろう。
つまり、自分の事だけ考えていればいい訳だ。
この私、紅朱美はそう結論付けると、懐から紙人形が連なって出来ている連符を取り出し、自分を取り囲むように配置して敵の襲撃に備えた。これでよっぽどの事がない限り、外から攻撃されても問題はな……?
私の視線の先で、虚空に暗闇が滲み出来ている。
初めは薄いぼんやりとした小さな影であったそれは、徐々に密度を増していき、ハッキリ人間だと分かるところまで集まると、次の瞬間にはその場にうずくまる小さな子供へと変貌を遂げていた。
「……っ?!」
私は軽く息を呑む。その人影が私が見知った子供だったからだ。いや、見知っているどころじゃない。背中を丸めたあの姿は、十数年前には毎日目にしていた光景だ。
正確にはこの目で見ていた訳ではないのだけれども、あの人影があのように佇む姿は、私にとっては忘れることの出来ない光景なのだ。
私がじっと見つめていると、やがてその人影は俯きながらも立ち上がる。
そして、ゆっくりとこちらに振り返ったその人影……まだ小さな少女である彼女の視線が私の視線とぶつかり合った。
「……」
『……』
ボブカットに切りそろえられた赤み掛かったその髪の毛……決して他人を信じない暗く澱んだその瞳……間違い無い。目の前で私に視線を送ってきているこの少女は、まだ十歳になるかならないかの頃のこの私……紅朱美だ。
『……シテ……』
「……」
『……ドウ……シテ?……』
「……」
子供の『私』は、死んだ魚のような目のまま恨めしそうにそう口を開くと、ゆっくりと私から視線を外す。そして、その身を成長させながら、くるりと後ろを向いた。
中学校の制服を着た『私』は、いつの間にか傍らにいた、仮面を被った2人の男女と相対す。
この2人も私の見知った人物達だ。仮面を被っているからハッキリとは分からない。でも……私がこの2人を見間違うはずがない。
『……ドウシテ?……ドウシテナノ?』
2人は、どこにでもいるごく普通の夫婦……
『……ドウシテワタシヲ置イテ行ッチャッタノ……』
でも……普通すぎて、目の前の現実に 耐えることが出来なかった2人……
『……父サン……母サン……』
自分達が『親』だという事を『演じる』事でしか受け入れる事が出来なかった哀れな人達……私という特殊な存在を、恐れ……そして敬う哀れな人達だ。
自分達の娘を、そう扱うことしか出来ない2人の気持ちは、いかばかりの物であっただろうか。
2人がその顔に被っているのは、無機質な笑顔の仮面。現実の父と母も、この仮面に似た笑顔を常に貼り付けていた。
少女の『私』は、ふと頭を巡らせる。気付くと仮面を掛けた人々が、私達を取り囲むように溢れていた。みんながみんな同じ仮面を被って、『私』と私を遠巻きに見詰めている。
そうか……
『……私ハ……』
「………」
『私』は自分も仮面を被ってその場にしゃがみ込む。するとやがて、仮面の人垣が二手に別れ、その向こうから1人の人物が悠然と歩み寄ってきた。
『……凪……』
凪は『私』に歩み寄ると、しゃがみ込んでいる『私』の肩に優しく触れる。凪は、今よりもずっと幼い顔立ちで高校の時の学ランに身を包んでおり、同時に『私』も、いつの間にかその頃の私に姿を変えていた。
仮面を外して立ち上がった『私』に広がったのは希望の光……目の前の2人は、やがて重なり合って歓喜の色に包まれる。
しかし2人並んで歩いていたはずが、気付くと少しずつズレ始め、次第に距離を広げていく。
『嫌……』
『私』は、遅れ始めた凪を怪訝な表情で省みて、不安に苛まれ始めているようだ。足を止めて凪を待ちたいのに、『私』の足は一向に止まる気配を見せないからだ。凪はその様子をじっと見ていたかと思うと、突然仮面を取り出して装着し、回れ右して歩き始めた。
『嫌……』
「……」
『ダメェェェェェ!!』
「……」
『凪!』
「……」
『……君ハ1人……』
『っ!!』
「……」
『結局君ハ他ノ誰カト交ワルコトナド出来ヤシナイ……』
凪の周りに1人2人と仮面の人が現れ始め、やがて溢れて再び人垣が出来上がる。
『ア……ア……』
「あ……」
『君ハ……死ニ至ルソノ日マデズット1人ダ……哀レダネ……』
『嫌ァァァァァ!!』
「……」
頭を抱えてその場に座り込む『私』。それに対して私は、その『凪』の言葉でハッと我に返る。
我に返った事で、私の心の中を占めていた、恐怖と焦燥が潮が引いていくように消え失せる。そして入れ替わる様に別の感情が沸々と沸き上がって来た。
「そっか……あれが私の恐怖の根底……」
私の変化と呟きに気付かない『凪』は、私に構わず話し続けている。
『……ダ……朱美……。ソシテ今回俺ハ君デハナク、アキト共ニ行ク事ニ決メタッテ訳ダ……哀レダネ。君ハ結局ドコマデモ孤独ナンダ……』
「一つ訂正しておくわ」
その台詞に、私の変化にようやく気付き、『凪』は怪訝な顔でこちらを見やる。
『……何?』
「私が孤独なんじゃない。人は皆、孤独なのよ」
『フッ……何ヲ言ウカト思エバ……』
「人は孤独だから求め合うの。1人だから寄り添い合うものなのよ」
『君ガソンナ世迷イ言ヲ言ウトワネ……』
「確かに私に取って、孤独であることは恐怖だわ。でも、孤独であることを恐れていい程、私は子供ではいられない。そもそも私が孤独だったのは、私自身が孤独である事に酔っていたから……『どうせ誰も私を理解できない』『どうせこの人も真実を知ってしまったら……』『どうせ』『どうせ』『どうせ』……どう?滑稽でしょ?こんな人間誰も相手にしてくれないって」
『……』
「そんな愚かな私の事を、キチンと理解して、私にその事を気付かせてくれたのが『凪』よ」
『ソウダネ。ソシテ君ハ、唯一ノ理解者デアル俺ニ、見放サレ、他人ニ盗ラレテ、コレカラハズット1人デ生キテイク訳ダ』
「アンタじゃないわ……凪よ」
『ソウヤッテ目ヲ背ケテ……』
「私が許せないのは……アンタ如きを、一瞬でも凪と見間違ってしまった事……」
『何ヲ言ッテルンダイ?僕ハ鈴本凪ダ。君ガイクラ愛セド、モウ手ニ入ラナイ……』
アイツは……アイツは!!
「凪ならそんな事は絶対言わない……何故なら……何故ならアイツには孤独であることの恐怖なんてこれっぽっちも理解できないからよ!」
『……』
私の迫力に圧されてズサリと後ずさる『凪』。
「凪は孤独であることは理解できても、それが恐怖の対象になり得るなんてことを理解できるほど神経が細かくないのよ!デリカシーの欠片もないの!あぁぁぁ思い出したら腹立ってきたぁぁぁ!」
『ア、イヤ……』
「何よりも許せないのは……」
『凪』の顔に恐怖が浮かぶ。私の気配に当てられてのことだ。
「この私が、アンタとの事を後生大事に心の中にしまい込んでいるってアンタが思いこんでることよ!誰がアンタなんかを……誰がアンタなんかを愛するもんかぁぁぁ!自惚れるのも大概にしろぉぉぉ!!」
『ア……ウ……私ハ本当ハ……』
「私は紅朱美よ!誰がアンタなんかを求めるもんか……アンタなんか……アンタなんかアキさんに熨斗つけてくれてやるぅぅぅ!!」
『私ハ本当ハ只ノ死霊ナンデ スゥゥゥ……』
気付くと『凪』や『私』は跡形もなく消え去っていて、空間には沢山のヒビが入り、徐々にに剥がれ始めていたのだった……。
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