リンドウ
静かな部屋で、ルードは上司が仕事をしているのをそばで立ったまま眺めていた。
(これ終わるかな……。明日の朝、回収に来ようか)
一足先に王都に戻っていたものの、さすがに身体に疲労がたまっている。
アレンディオの変貌ぶりには驚いたが、今のところ業務に影響はなさそうだな、と思って安心した。
そんなとき、アレンディオが部下の休暇希望のリストを見て「ん?」と手を止める。
「この、処遇を要検討というのは何だ?」
「あぁ~それは、えっと……お悔み案件の者たちです」
「そうか」
二人は同情の目で、リストを見る。
「二十三人か」
「はい」
「思っていたよりいるな」
「ですね」
アレンディオの部隊は、正規の騎士だけで総勢百二十人ほど。
出稼ぎや傭兵、雑兵も含めると、延べ四百人はくだらない。
このリストに載っている「お悔み案件」の者たちとは、戦場から戻ってきたら妻や恋人、婚約者が行方不明だったり、すでに他の男に嫁いでいたり、いわばフラれた男たちだ。
戦場でも、肉体的なケガより精神的な苦痛の方が回復が遅い。
せっかく生きるか死ぬかの戦いから戻ってきたのに、愛する人がいなくなっていた……ではあまりに残酷だ。
立ち直れない者が出るかもしれない、アレンディオの顔が曇る。
正規の騎士は、このまま騎士団や護衛兵、街の警吏隊などになるか身の振り方を選ぶことができる。
実家を継ぎたいという者は、報奨金や給金をもらって退職することになる。
アレンディオは王族を守る近衛隊に転属する誘いもあったが、今後しばらくは騎士団長として総括や騎士の育成に努め、いずれは国の軍部を統べる元帥への道が確約されている。
ルードは退職しようと考えていたが、アレンディオに個人的な補佐官にならないかと声をかけられ、戦後処理がおよそ片付く一年をめどにヒースラン伯爵家で雇用されることが決まっていた。
「彼らには、休息が必要なものには休息を、仕事で気を紛らわせた方がいい者にはそのように手配しようと思っています。個々の性格と能力に応じて、俺が振り分けようと思いますがいかがでしょう?」
ルードは人づきあいが得意で人望もある。
戦場での強さと威厳で憧れられるアレンディオにはない、騎士らと懇意になれる親しみやすさが強みでもあった。
アレンディオは「任せる」と告げ、リストを机の上に置く。
「白いリンドウと共に、彼らに伝言を。『共に王国を守っていく同志として、帰りを待っている』と」
「はい」
白いリンドウは、一部の野にしか咲かないめずらしい品種だ。
この国では、親しい者を励ます際に手紙に添えて送る風習がある。
騎士団や貴族だけの風習なので、平民にとってはなじみのないものなのだが、騎士団にいるものは平民であっても知っているので、アレンディオからそれが届くということは「認められている、必要とされている」という証になる。
アレンディオは、少しでも希望を持ってもらえればとあえて自分の名前を使わせるという判断をしたのだった。
「そこに書いてあるのは名前だけですが、ランディなんて悲惨ですよ。戻ったら離婚どころか家がなかったんですから。結婚して二年で出兵したらしいですが、三年経って帰ってきたら妻子はどこにもいなかったと」
「どこにも?」
「はい。妻はすでにどこぞの金持ちの後妻になっていたそうです。子どももそちらに」
「……そうか」
結局、取り戻す気になんてサラサラなれず、今は騎士団の食堂で泣いているとのこと。
アレンディオは苦い顔で沈黙した。
ルードは空気を変えようと、笑顔で話題を変える。
「アレン様はさすがですよね。10年もの間、奥様がこうして王都で待っていてくれたんですから」
「あぁ、そうだな。家族や恋人を失った皆には申し訳ないくらいに幸せだ」
12歳から22歳。
ソアリスが外見も家庭事情ももっとも変化する時期に、夫である自分がそばにいられなかった。
これからはなるべくそばにいて、笑顔を見たい。声が聞きたい。アレンディオはそう思っていた。
「政略結婚でもそういう夫婦もいるんですね」
貴族でも、近年は恋愛結婚が流行っている。
12歳と15歳という露骨な政略結婚をした二人が幸せというのは、騎士らの聞き取り調査で心が荒むような話ばかり聞いてきたルードにとって心が軽くなる話だった。
アレンディオは、普段は絶対に見せない優しい笑みを浮かべて言った。
「そうだな。俺たちには、親に政略結婚させられたという絆があるからな」
ルードは思った。
そんな絆あるのか、と。
少々気になることはあれど、ルードは笑顔のまま退室できそうだとホッとしていた。
「あ、そういえばどうしてそんなに奥様が好きなんですか?ずっと気になっていたんです」
たった3カ月間の結婚生活。
見送り含め、会ったのはわずか7回。10年もの間、離れ離れで、しかも手紙のやり取りも一方的なもの。それなのにどうしてそんなに惚れこんでいるのか、とルードは疑問に思っていた。
アレンディオは引き出しを開け、一枚の布を取り出して見せる。
「ハンカチを、くれたんだ」
汗ジミで黄ばんでいるどころか、洗いすぎて形の歪んだ一枚の布。多分花柄だっただろうそれは、ハンカチと言われればハンカチだが、貧相で小汚い布にしか見えない。
アレンディオは、愛おしそうにハンカチを見つめていた。
「ハンカチをもらうって普通のことでは?戦にたつときにもらったんですよね?」
「違う、まだ結婚する前のことだ」
「あれ、奥様はアレン様のファンか何かだったんですか?」
茶会やパーティーなどで、憧れの相手にハンカチを渡してアプローチするということは一般的だ。ルードも何人かからもらったことがあったので、それは知っている。
「あれは俺が14歳のときだった。アカデミーの試験帰りに、街を歩いていたんだが」
またも笑みを深めたアレンディオ。しかしルードはスッと目を眇め、それを遮る。
「すみません。話が長くなりそうなんで、こちらの書類に先にサインください」
「ぐっ……!」
アレンディオはルードを睨みつけるが、ハンカチをそっと引き出しにしまい込むと再びペンを手に取った。
「……しかし人は変わるものだな。ソアリスはどちらかというと可愛らしくて穏やかで優しい子どもだったが、10年のうちに同僚から信頼されるしっかりした女性になっていた」
「奥様にお会いしたことがないので何とも言えませんが、変わったのはアレン様もたいがいですよ?私があなたに初めて会った7年前は、どこの補給兵かと思ったくらいに細かったですから」
「あのときは、背だけが伸びて筋力が追いついていなかったんだ。男が10年で変わるのは当然だろう?ソアリスの変化は、天使が女神になるようなものだ」
ルードの中で、アレンディオの妻は絶世の美女としてイメージが作られていく。
きっと、この彫刻のような美丈夫にふさわしい美貌の妻なのだと思い込んでいた。
「奥様は今どちらに?ご挨拶させてもらった方がいいでしょうか。パレードの案内の件もありますので」
あさってのパレードでは、将軍の妻は家族席で見学することができる。
アレンディオが当日の案内をすることはできないため、ルードが妻の護衛と案内を任されていた。
「それが頭痛がすると。医師に診せている」
まさか頭痛の原因がアレンディオだとは、二人は気付かない。
「そうですか。ではご挨拶は明日に改めた方がよさそうですね」
「すまないが、そうしてくれ」
ところがそこへ、慌ただしいノックの音が響き渡る。
「ユンです!入ります!!」
返事を待たずに飛び込んできたのは、侍女服を着た金髪の女性。彼女はユンリエッタという数少ない女騎士で、アレンディオの部下だ。
休暇よりも仕事が欲しいと言った彼女は、護衛兼侍女としてこの邸で伯爵夫人の世話をする……はずだったのだが。
血相を変えて駆け込んできたユンリエッタは、その伯爵夫人ことソアリスの不在を知らせてきた。
「奥様がいなくなりました!」
「「なんだって!?」」
ガタッと勢いよく椅子を跳ね飛ばして立ち上がったアレンディオは、近くにあった剣を手にすぐに部屋を飛び出る。
「部屋で寝ていたはずだろう!?」
誘拐か、と慌てるアレンディオ。しかしユンリエッタはその手にあったメモを見せて、落ち着いてくれと宥める。
そこには『仕事を思い出しました。失礼いたします』ときれいな文字で書かれていた。
「仕事?金庫番の……城に戻ったということか!?」
「おそらくは」
アレンディオは自分の目で確かめないと気が済まないと、廊下を駆けだす。
行き先は、さっきまでソアリスがいた部屋だ。
ユンリエッタとルードも慌てて後に続く。
バタバタという足音が廊下に響き、別の部屋にいた使用人たちも「何事だ」と3人を見守る。
走りながら、ルードは思った。
(普通は出かけるなら一声かけていくよな。こりゃ逃げたな)
補佐官の勘は鋭い。
10年ぶりに戻ってきた夫に驚き、職場に逃げ帰ったのだと正確に事態を把握していた。
その結果、導き出した答えは――
「ねぇ、リンドウもう一本追加した方がいい?」
「縁起でもないこと言わないでよ!!」
隣を走るユンリエッタに叱責され、ルードは小さくため息を吐く。
(アレン様がアレン様に、リンドウ付きの慰労状を送ることになるな。それはさすがに何の慰めにもならない……)
窓の外に見える見事なまでの夕焼けは、「奥様逃走事件」という騒動が発生していると思わせない美しい茜色だった。