さては……やられたな
ガタゴトと小刻みに揺れる豪華な馬車。
クッション性がいい座面は、明らかに高級品。
かつて父の事業の羽振りがよかった時代でも、これほど座り心地のいい馬車には乗ったことがない。
王女様のパーティーに付き添うことが二度ほどあったけれど、そのときに乗った馬車と同じくらい乗り心地がいいと感じた。
装飾が控えめなのは、将軍が飾り立てた馬車に乗るのはおかしいからだろうか。
「ソアリス、夢じゃないだろうか。君がそばにいるなんて」
「はぁ」
奇遇ですね。
私も、夢じゃないかって思っています。
広い馬車の中、なぜか隣に座っているアレンディオ様らしき大柄の男(まだ本人だと信じられない)は、蕩けるような笑みを私に向けている。
そしてその手は、ずっと私のそれを包み込むように握っていた。
「まさか城勤めをしているなんて思いもよらなかった。だが、そのおかげでこんなに早く君に会えた。君が城内にいると聞き、仕事中だとわかっていたがどうしてもすぐに会いたくて押しかけてしまったんだ」
どう見ても私を好きだという表情で、優しい声音で、饒舌に語るアレンディオ様はもはや別人で。
艶やかな黒髪と蒼い瞳という色彩、それに顔立ちはアレンディオ様だが、今の姿とオーラなら、将軍だといわれて疑う人はいないだろう。
黙っていると昔の面影がある気はする。
涼やかな目元は、少し陰があるというか凛々しくて模範的な美形だ。
ただし態度や言葉、特に甘やかな視線は違和感がある。15歳の彼からは、不機嫌そうに睨まれた記憶しかない。
別れのときですらそっけなく、何の未練もなさげに背を向けたというのに、この10年でどうしてこうなってしまったのかわからない。
意味不明。
皆目見当がつかない私は、気の抜けた相槌を打つことしかできずにいる。
「聞けばもう5年半も金庫番を務めているそうだな。皆が君の働きを褒めていた」
「はぁ……それはありがたいですね」
どれほど彼の横顔を見つめても、何かわかるわけでなく。疑問は深まるばかりだ。
えっと、まず状況を整理しようかな!?
私たちはどこへ向かっているの?
彼は「積もる話があるだろうから、邸で」と言って馬車に乗りこんだが、現状王都の中に私が入れる邸はない。
私が住んでいるのは城の敷地内にある寮で、邸ではない。
「アレンディオ様、邸とは一体どこのことで……?」
リンドル家が没落したことはわかっているのだろうか?私が城勤めをしていることは今日知ったらしいので、没落のこともわかっていなさそう。
あ、でも私が働いてるっていう時点でだいたいわかるか。
アレンディオ様は将軍なのに偉ぶった態度はなく、優しく説明してくれた。
「報奨金の一部として、陛下から邸を賜った。俺が戻る頃にはもう住めるように整えてくれていると聞いた。だから、そこへ向かっている」
「報奨金!?お邸をいただいたのですか!?」
大盤振る舞い!
今になって、いかにアレンディオ様が活躍したのかが少しずつわかってくる。
王都に邸をもらえるというのは、王女様が降嫁してくるとか爵位を賜るとか、そういうのの次にすごいことだ。要は「手放したくない、そばに置いておきたい存在」だと周囲へのアピール。
陛下の覚えがめでたいという証拠だ。
ちなみに王女様は10歳と5歳なので、降嫁の可能性はない。アレンディオ様とは年齢が離れすぎている。
爵位はすぐにもらえるわけじゃないので、邸がもらえるのは現時点での最高の報奨ということになる。
「それはすごいですね……!」
あの貧乏だったヒースラン伯爵家を思えば、王家の持ち家を賜るなんて驚きだ。
「ソアリスが気に入ってくれるといいのだが」
「え?私?」
他人事のように聞いていたので、はたと気が付く。
そうだ、世間的には私たちは夫婦。と、いうことは、私もその邸に住むことに……?
まるで本物の夫婦みたいじゃないか。
背筋に冷たいものが走った。
「私と住むおつもりですか?」
「当たり前だろう?」
彼はきょとんとした顔になる。
え、私の方がおかしいの?なんで彼は当然のように一緒に住むって考えているの?
「引っ越しにしばらくかかるのは、さすがに待てるが」
待って、待って、待って。
待つのはそこじゃない。
今の態度が豹変しすぎて過去のことが頭から吹き飛んでいたけれど、あなたって私のことが嫌いなんじゃなかった?
話したくないほどに、戦場の方がマシだと思うほどに、私との結婚から逃げたかったんじゃなかった?
茫然と見つめていると、彼は急にふいと顔を逸らし正面を向いた。
「君は10年前と変わらず、可愛らしいな……」
朱に染まる頬。恋をしているかのような反応である。
なぜ照れる?可愛いって、この私が?
意味がわからない。10年前と変わらずって、変わらず平凡で普通なんですが?
なんなら子どもの頃は「子ども」というステータスで可愛さがあった。
今は大人なので、あの頃よりも可愛さは半減しているはず。
「「………」」
しばらくアレンディオ様を見つめていたが、私はここであることに思い至った。
「あ!」
彼は戦場にいたんだ。
理由がわかった私は、思わず涙ぐむ。
「まさか……!戦で目をやられましたか?それとも頭?」
それしかない。
そうに違いない。
だから彼は、こんなにおかしくなってしまったんだ。
今となっては成金の娘でもない私に、媚びを売る必要はない。それにもともと彼は媚を売るような人間じゃない。
そうか……。
目と頭をやられたのか……。
「両方ですか?それはまた難儀なことですね」
一人で納得して何度も頷いていると、アレンディオ様はまたこちらを向き、ムッと顔を顰めた。
「俺は目がいい。騎士にとって目は大事だ。それにもちろん正気だ。可愛いソアリスを可愛いと言っただけで、何もおかしなことなどない」
「全部がおかしいです!」
思わず否定し、慌てて口元を手で覆う。
しかし彼は怒るどころか、一生懸命に説明を続ける。
「俺は将軍になるまで、多くの騎士と共闘してきた。敵を知り、味方を知り、いかにして戦えば無駄なく効率的に勝てるかを必死で考えて10年間やってきた。そこで気づいたのは『言わなくても伝わる』という思い込みほど時間の無駄はないということだった。思ったことをはっきりと口にしなければ、仲間に指示は通らない。ソアリスにも思ったことを伝えているだけだ」
「いや、その、でもアレンディオ様は……」
私のこと、お嫌いでしたよね。
成金の娘と結婚させられて、拒絶していましたよね?
「アレンディオ様か……。そんな他人行儀な呼び方はよしてくれ。ソアリスには、アレンでもいいし、ディオでもいいし、とにかく夫婦らしい呼び方をしてほしい。様もいらない」
「えええ」
彼があまりにぐいぐい来るので、私はますます混乱した。
こら、私の手を持ち上げないで。
そして指や甲にキスをしないで。
全身にこそばゆいものがぞわっと走り、一瞬で顔が真っ赤に染まった。
「やはり君は可愛い」
「ひっ……!」
怖い。
豹変しているこの人が怖い。
何なの!?
本当にもう、何がどうなってこうなったの!?
「ソアリス」
熱に浮かされたような目。
今、彼が何をしようとしているかわかった。肩に置かれた手に、かすかに力が篭る。
少しずつ、彼のきれいな顔が近づいてきて、逃げなければ唇が重なるだろう。
恋愛経験ゼロで夫と手を繋いだことさえない、嫌われ妻でもこの先が予想できた。
けれど蒼い瞳に囚われて、私は逃げることができない。
ダメだ。食われる。
本能的に危機を感じた。
――ガタンッ!!
「っ!?」
「きゃっ……!!」
車輪が何かを踏んだらしく、少しだけ大きく揺れた。
アレンディオ様は私に顔を寄せたまま、動きを止める。
「「…………」」
無言で見つめ合うこと数秒。
先に目を逸らし、体勢を元に戻したのは彼だった。
た、助かった……!!
ホッとする私はさらに彼から距離を取り、窓の外を見る。
どうやら邸の門をくぐったとき、内と外で石畳の質が変わったことで揺れが起こったみたい。
「ここが、お邸ですか?」
窓に手をつき、色とりどりの花が咲き乱れる庭園を凝視する。
そこは王都の中でも一等地と呼べる高台で、真白い壁は高位貴族の邸のよう。
馬車はすぐに正面玄関に到着する。
出迎えの使用人がずらりと並ぶ中、御者が扉を開けるとアレンディオ様が先に降り立った。
あまりに立派な門構え、そして人の多さに驚きつつ、私もゆっくりと馬車を下りる。
「気を付けて」
「あ、ありがとうございます」
スッと差し出された手は、ものすごく大きかった。
剣だこだらけで皮が固まったそれは、どう見ても男の人の手で。私の手なんて、握り潰せそうな逞しさだ。
夫が妻をエスコートするのは当然だが、慣れないことに違和感が拭えない。
10年前、アレンディオ様にこんなことをしてもらった経験はない。
「「おかえりなさいませ、旦那様。奥様」」
一斉に頭を下げる使用人たち。
圧倒された私は意識を必死で保ちながら、アレンディオ様に連れられて邸の中へ入って行くのだった。