ようやくすべてを理解した夫
アレンディオは、ごくりと唾を飲み込む。
義父がここまでするからには、かなり大きな問題が起こっているはずだ。例えそれが何であったとしても、ソアリスだけは守らなくては……とそんなことが頭をよぎる。
「一体、何をなさったのですか?」
なるべく穏やかな口調を意識して、アレンディオは尋ねた。
少しでも刺激すると、自害しかねないような切羽詰まった雰囲気を感じ取ったから。
義父は合わせる顔がないとでもいうように、ずっと俯いている。
それでもここまで来たのは、偏に娘のためだろう。斬られてもかまわない、そんな気迫も覚悟も伝わってきて、いつしかアレンディオの方が緊張していた。
「これを……」
子爵は持ってきた荷物の中から、あるものを取り出した。
持ち上げるようにして両手で差し出したそれは、深い青色の生地だった。そして、折りたたんである生地の上には、翡翠のブレスレットが載せられている。
「それは、俺がソアリスに贈ったものだろうか」
呟くように言ったアレンディオは、子爵から生地とブレスレットを受け取り、自分の目でしっかりと確認する。
こうして実物を見たのは初めてだが、商人が持ってきたリストの中から少ない文字と絵の情報を頼りに、ソアリスに似合うものを選んだつもりだった。
男ばかりのむさくるしい砦で、ソアリスのことを思いながら選んだ誕生日の贈り物。生地はつい3ヶ月前のもので、ブレスレットは1年3ヶ月前のものだと記憶している。
「なぜ子爵がこれを?ソアリスはこれを……」
見ていないのか。
嫌な予感がした。
そしてそれは、外れることはなかった。
「うちにあるのは、もうその2つだけなんです。ヒースラン将軍が送ってくださった5年分の贈り物は、私が娘に知らせないうちに売ってしまいました」
「……売った、とは」
手紙も贈り物も、すべて子爵家宛てに送っていた。ソアリスがそこにいると思っていたからだ。
アレンディオは、まさかリンドル子爵家が没落して自分の妻が出稼ぎに出ているなど想像もしなかった。
子爵によると、ソアリスが王都へ働きに出たのが約6年前。アレンディオが贈り物をするようになったのが、司令官に出世した5年前。以来、誕生日には欠かさず贈り物を送っていた。
だが、それはソアリスの目に触れることも、手に届くこともなく――
「本当に申し訳ございません!娘は、ソアリスは何も知らないんです!あなたから贈り物をもらっていたことは、私しか知りません。妻も、息子も娘も、誰もこのことは知りません。家族を養うことができなくなり、贈り物を売ってしまいました」
「そう、ですか……」
ヒースランの父は、援助しなかったんだろうか。くれぐれもよろしく、と念を押して別れた上に、元より実父の性格からしてソアリスを蔑ろにすることはないはずだ。
ふと湧いた疑問は、それを察した子爵がすぐに否定してくれた。
「ヒースラン伯爵は、事業の方で随分と援助をしてくれました。ソアリスに最初の勤め先を紹介してくれたのも、あなたの父君です。穏やかな気性の御夫人がいる侯爵家で、娘は楽しく働けたと言っていました。金庫番になるのも、身元保証人になってくださって。
そもそも、ソアリスは息子の嫁なのだから働かずとも頼ってくれればいいとおっしゃったのですが、ソアリスがどうしても自分で働くと……。
リンドル家の生活のことは、私が『大丈夫だ』と見栄を張ったのです。親子揃って頑固で、融通のきかない者同士だと思います。今思えば、贈り物を売る方がよほど……」
一度は援助する側だったリンドル子爵。
事業で援助を受けながら、「さらに生活費も」とはさすがに言えなかったらしい。見栄で腹が膨れないのは重々承知していても、かつての栄光を知られているだけに「助けてくれ」と言えなかったのだろうなとアレンディオは思った。
「まぁ、パンがないのに宝石や布があっても仕方ないですからね」
呟くように、ルードが言った。そこに怒りはないようだ。
ただ、同情しているのが伝わってきた。
ソアリスへの贈り物を選ぶとき、随分とルードにも参考意見を尋ねた。
手袋はどうだろうか、髪飾りは何色が似合うだろうか。
12歳のソアリスしか知らないアレンディオには、何が似合うかわからなかったのだ。
自分が怒るとでも思ったのだろうか。
アレンディオはルードをちらと見て、口角を上げる。
(こんなことで怒るわけがないだろう)
(なら、よかったです)
ふぅっとひと息ついたアレンディオは、義父のそばに片膝をつき、そっと肩に手を置いた。
「頭を上げてください。私の贈り物が役立ったなら、それでよかった」
「ヒースラン将軍……」
「贈り物がどうなろうと、リンドル子爵家の裁量で構いません。あなたはソアリスの父親なのですから。10年間も娘さんを迎えに行かなかった愚かな私を責めてもいいくらいだ」
「責めるなど、まさかそんな」
きっと、ずっと後悔してきたに違いない。
義父の顔を見れば、売りたくて売ったのではないことくらいわかる。少しでも悔恨の念を減らしてあげたい、そう思った。
「ソアリスに贈り物ができなかったことに、残念な気持ちがないわけではありませんが……それでソアリスの家族が助かったなら私は満足です。彼女なら、もし受け取っていたとしても売っていたと思いますよ?」
令嬢育ちなのに、一人で王都まで出稼ぎに出たくらいだ。弟妹が腹を空かせているのに、ロクに会ってもいない夫から贈られた豪華なプレゼントを大事に持ち続けるとは思えない。
(俺は酷い夫だな。戦地から10年も帰らず、贈り物すらしない夫だった)
ここでアレンディオは、さらに重大なことに気がついた。
あまりのショックで意識が遠ざかるも、これだけは確認しなくてはと義父を見つめる。
「あの、まさかというかやっぱりというか、この期に及んで期待するのもバカだと思うのですが」
半年に一度しか送れない手紙には、情報漏洩にならないよう差し障りのないことしか書けなかった。
だから誕生日の贈り物と一緒に送るよう頼んだメッセージカードには、彼の気持ちを少なからず書いたのだが……。
「申し訳ありません……!」
メッセージカードは、すべて義父の荷物の中にあった。
震える手でそれを開けると、確かに見覚えのある文字が並んでいた。
『もうすぐ帰れる。戻ったら、君に一番に会いに行く』
まだ真新しい紙のそれは、つい3ヶ月前のもの。くすんで色が変わったものは、5年前のものだとわかる。
初めて贈り物ができるようになった年は、ソアリスの誕生日が来るのが今か今かと待ち遠しくて、喜ぶ顔が見られるわけでもないのに胸が躍ったのを覚えている。
『勝手をしてすまない。君が誇れるような男になったら、必ず迎えに行く』
薄れたインクで書かれた最初のカードは、最も伝えなければいけない言葉をそのままそこに留めていた。
アレンディオは、ようやく自分たち夫婦の間にある溝に気づく。
その衝撃の大きさに、ガクガクと震えが走ったほどだ。
「ルード!!」
「はい!!」
突然、上官に名前を呼ばれ、ビクッと肩を揺らすルード。錆びついたブリキの人形のようにゆっくりと振り返ったアレンディオは、顔面蒼白だった。
「大変だ……!ソアリスが、俺を10年間も放置した酷い夫と思っているかも知れない。恨んでいる可能性すら出てきた!」
「いえ、さすがにそれは考え過ぎでは。恨んでいたら、再会した瞬間に罵倒されていますって」
「考えてみれば、すべて辻褄が合う!手紙だけ一方的に送ってくる夫が、いきなり帰ってきて、いきなり邸へ連れて行って、いきなりここで一緒に暮らそう、結婚式を挙げようと提案したらいい返事がもらえないのは当然だ!俺は一体、ソアリスの何を見てきたんだ……!浮かれて、ただ自分勝手に愛情を押しつけていた」
絶望のあまり床に手をついて打ちひしがれるアレンディオ。事情がよく呑み込めない子爵は、婿の狼狽ぶりに混乱しているようだった。
これが救国の英雄なのか。
部下が見たら絶句する姿である。
敵兵に奇襲を受け、囲まれたときすら動じなかった男が、妻に酷い夫だと思われているかもしれないという理由でこの狼狽っぷり。
とても部下に見せられない、とルードはこっそり下がって後ろ手に扉の鍵をしっかり閉めた。
「すぐにソアリスに謝罪を……!あぁっ、いっそ再会からすべてをやり直したい!俺はなんていうことを……喜びに溺れず、帰ってきたときにもっと注意深くソアリスのことを観察するんだった!」
「アレン様、観察は気持ち悪がられると思います」
「じゃあどうすればいい!このままだとソアリスは離れて行ってしまうのではないか!?夜逃げされたらどうする!そんなことになったら俺はもう生きていけない」
「落ち着いてください。ソアリス様は幸い勤め人ですから、どこにも逃げません」
城内にいる。妻は、今も何も知らずに働いている。
「奥様に真実を話して謝れば、きっと許してくださいますよ?」
「ダメだ!そんなことをすれば父の咎は自分の非であると、ソアリスが悲しむに決まっている!もうこれ以上、ソアリスを傷つけたくない。悲しませたくないんだ」
つまりは、ソアリスに父のしたことを黙ったまま彼女の心を動かさなくてはいけない。
ルードはその難しさに、顔を顰めた。
「きちんと本当のことを話した方がラク……、いや、手っ取り早いと思いますよ」
「おい、言い直したくせに大して変わっていないぞ」
「そうですが。贈り物は貴族女性にとって、自分がいかに大事にされているかの証ですよ?それを5年間1度も贈っていなかったとなると、さすがにキツイですって」
真実を告げる方が、面倒がなくていい。ルードはどうにか主を説得しようと試みるが、アレンディオは頑として首を縦に振らない。
「俺の首で済むならいくらでも捧げるが、ソアリスは喜ばないだろうな」
「初めての贈り物で首はやめてください。あなたの首は王国の威信そのものですよ!?ほいほい捧げないでください」
「だが状況がわかった以上、逃げるわけにはいかないだろう。ソアリスに、真実は伏せつつ誠意を見せなくては」
「そんな無茶な」
アレンディオは立ち上がって深呼吸すると、まるで戦場へ向かうかのような顔つきに変わる。
「義父上」
腹の底から絞り出した低い声。
殺される、と思った子爵は声にならない悲鳴を上げた。
「俺はソアリスに謝罪したい。名誉回復、信頼回復に努めたい。ご協力お願いできますか……?できますよね……?」
「は、はい!」
両腕を捕まれ、無理やり立たされた子爵は恐怖で震えていた。
アレンディオは至近距離で目を合わせ、怯える義父に詰め寄る。
「ソアリスの心を掴むために、俺を助けてください」
「…………助けるとは?」
「手ぶらで謝罪はできません。ソアリスが好きそうなものを、徹底的に教えてください。父親ならご存知でしょう、娘の好みを」
しんと静まり返った応接室。
血走った目で義父に迫るその姿は、歴戦の猛者も震え上がるほどの迫力だった。
そしてルードは悟る。
これからもうしばらく帰れないということを……。




