書籍発売記念SS「将軍夫妻、はじめての同居生活」
書籍掲載分の終了後、ソアリスとアレンディオが一緒に暮らし始めてすぐの頃のお話です。
「奥様、お花はこちらに」
「ありがとう」
貴族街の中でも一等地にある、大きなお邸。
まさか自分がこれほど大きなお邸に住む日が来るなんて。
つい三日前、アレンが「ソアリスの部屋」と呼んでいたここが正式に私の部屋になった。
金庫番になって5年半、ずっと住んでいた寮からのお引越しは意外なほどあっけなくて。
私の荷物の少なさに、メルージェが呆れていた。
でもそれは仕方がない。
没落貴族に衣服やアクセサリーを買う余裕はないもの。
今、この部屋には私のために用意されたものがたくさんあり、衣装室や貴金属の保管庫などもある。
これまでの生活と違い過ぎる……!!
「どこもかしこも、お高いものばかりね」
思わずそんな言葉が漏れる。
乳白色のクロスに淡く光る箔押しの花模様。この壁紙だけで一体いくらするんだろう、とついつい想像してしまう。
メイド服のユンさんが運んできたガーベラの花は、それ自体が輝くガラスの花瓶に飾られている。
どこもかしこも美術館のような邸で、私は自分が浮いているような気がしてならない。
「そう緊張なさらないでください」
視線をさまよわせる私を見て、ユンさんがくすりと笑ってそう告げる。
私の態度がおかしいことが気になっていたらしい。
「こんなに素敵なお部屋をいただいて、戸惑っているのよ。すぐには慣れないわ」
「お気持ちはお察しいたします。あ、でしたらさっそく内装を変えます?アレン様は好きにしていいとおっしゃっていましたので、落ち着くような内装にいつでも変えられますよ?」
この素敵なお部屋を、汚れていないのに改装する!?
私はぎょっと目を瞠り、ぶんぶんと顔の前で両手を振った。
「いえいえいえ!十分です…!このままで」
「そうですか?奥様に快適にお過ごしいただくのが私たちの務めですから、遠慮なくおっしゃってくださいね」
ユンさんは明日から騎士に戻る。
それなのに、私の世話は継続してくれるのだからオーバーワークでは?と心配になった。
「騎士のユンさんにお花の用意までさせてしまって、申し訳ないです」
本来であれば、騎士であり侯爵家のお嬢様のユンさんがメイド服で仕事をしているのはおかしい。
ご本人は楽しんでいるそうだが、これでいいのかと私の戸惑いは続いていた。
「好きでしていることですから」
「……はい」
「あぁ、そろそろ菓子が焼きあがる時間です。お庭でティータイムでもいかがですか?」
ユンさんが嬉々としてそういうから、私は素直にそれに従った。
みずみずしい木々や花が咲き誇る庭園は、そこにいるだけで癒される。優雅にお茶をいただけるなんて、本当に幸せなことだ。
「ユンさんも一緒にどうですか?」
「ふふっ、本当はいけませんが……今日くらいご一緒させていただきましょうか」
私たちは笑顔で部屋を出ようとした。
ところがそこで、バルコニーの方からアレンたちの声が聞こえてくる。
──ここは……何かあっては……。
──を、……仕掛け……
扉を閉めているので、カーテンに人の影が映っている。
「アレンがなぜ外に?」
今日はまだ戻ってきていないはずだ。
私とユンさんは顔を見合わせ、バルコニーへと近づき、そっと扉を開けた。
「アレン?」
そっと顔を出せば、すぐ目の前に彼の黒い隊服がある。
広い背中から視線を上げると、振り返ったアレンと目が合った。
「ソアリス、邪魔してしまったか」
「いえ、大丈夫ですが、一体これは何事ですか?」
バルコニーの上にはアレンが、外の庭には特務隊の騎士が数人行ったり来たりしている。
アレンは私に笑顔を向け、そして言った。
「警備の確認だ。ソアリスの部屋はこの世で最も厳重に守られるべき場所だから」
「そんな大げさな」
呆れ笑いでそう返すと、アレンは私の手を握り、きらきらとした目で訴えかける。
「大げさなんかじゃない。ソアリスが俺と一緒に暮らす決意をしてくれたんだ、どこよりも安全で幸せな場所にしたいとおもっている」
あぁ、今日もアレンの笑顔がまぶしい……!
目が痛い。
まだこの美形に慣れない私にとって、アレンのそばはわりと危険なんですが……!?
「ソアリス、今日もきれいだ」
「あ、ありがとうございます」
10年間、離れ離れだった結果がこの変わりっぷり。
一緒に暮らす決意をして引っ越しもしたけれど、毎日こんな風に愛を伝えられたら私の心臓がもちそうにない。
ユンさんは私の背後で空気になっていて、助けてくれそうもなかった。
どうにかしてこのきらきらした夫から離れたい。
私はそっと目を伏せながら、必死で言った。
「あの、アレン」
「ん?」
「今からユンさんと庭でお茶をするんです。特務隊のみなさんも、よろしかったら少し休憩になさいませんか?」
逃げるための言い訳、ではあるものの今の私にはこれしか思いつかなかった。
「ソアリスと茶……!」
「なんでそんなに驚いているんです?」
ただお茶を飲むだけなのに?上官の妻と一緒に休憩、というのは気を遣うから嫌かしら?
「そんな幸運をあいつらが受けるのは10年早い」
「いやいや、そんなバカな」
「俺はまだ君とゆっくり茶を飲んだことがない。食事はしたが、庭でのティータイムは未経験だ。よって提案は認められない」
「えええええ」
ここで、外に姿を見せたルードさんがアレンに声をかける。
「アレン様、今ならまだティータイムくらいの余裕はありますから、どうぞお二人でごゆっくり。こっちは警備計画を最終まで詰めて、そのあとに休憩とさせていただきます」
「それは助かる」
「でも夜に貴族院から招集がかかっていますので、今夜は遅くなります」
「くっ……!」
今夜はゆっくりできる、と聞いていたのに、やはり将軍は忙しいらしい。
この1ヵ月、凱旋しても邸でゆっくりできることはほとんどなかったくらいだから、私と一緒に暮らし始めたからといって急に時間に余裕ができるわけもなく、アレンは夕暮れになればまた城へ行くという。
「ソアリス、君がさみしいと一言いってくれれば、俺は今すぐ辞職願をたたきつけてくる」
縋るようなまなざし。
しゅんと落ち込んだ顔は、大型犬がさみしげにくっついてきているような感じがしてちょっとかわいいなと思ってしまった。
ルードさんは呆れて「何回たたきつける気ですか」とぼやいているが、私はくすっと笑ってしまった。
「大丈夫、私はさみしくないですよ。だって、今から一緒にお茶を飲んでくれるのでしょう?」
「ああっ!ソアリスがかわいすぎる!!」
「うぐっ!!」
急に抱きしめられ、私の視界は隊服の黒一色になる。
慌てて離れようとするも、アレンの体はびくともしない。
「アレン様、奥様を締め落とすおつもりですか!?」
ユンさんが救出してくれなかったら、私は呼吸困難で倒れていたかも……。
呼吸を整えていると、アレンが申し訳なさそうに言った。
「すまない、つい加減を誤ってしまった」
私は苦笑いで頷く。
いつか、こんなことにも慣れる日が来るだろうか?アレンが私の扱い方を覚えるのが先か、私が慣れるのが先か?
もう10年も結婚しているのに、まだまだぎこちない私たちの暮らしは始まったばかりだった。




