番外編SS 英雄の義妹ですが、恋は突然やってくるそうです(6)
「ニーナ?ニーナ、どうしたの?」
扉の向こうでお姉さまの声がする。
すでに時刻は夕方を過ぎ、私は邸に戻ってきてからずっと部屋の中に閉じこもっていた。
「揚げパン、おやつにどう?あなたが買ってきたんでしょう?」
うっ。お姉さまがおやつで私を誘き出そうとしている。
さすが、天下の将軍を惚れさせただけのことはある、誘惑がうまい。
私はのそのそとベッドから起き上がり、扉を開けようとする。
ところがドアノブに手をかけた瞬間、予想外の人の声がしてその手を止めた。
「姉上、どうか私に話をさせてください」
「クリス様……」
お姉さまの困惑する声がした。
ええ、私もかなり動揺している。
「「なんで姉上って呼ぶんですか……?」」
姉妹の声が重なった。
状況が把握できない。
クリス様がなぜここにいるのかも、そしてなぜお姉さまを姉上って呼ぶのかも。
「あの、後で事情を説明してくださいね?」
あ、お姉さまが空気を読んだ。
メイドと共に、廊下を歩いて遠ざかっていくのを感じる。
と、なればここに残っているのはクリス様だけということで────。
「ニーナ嬢、入ってもよろしいでしょうか?」
「え、困ります……!」
しまった、普通に拒否してしまった。
クリス様は何も悪くなくて、私がただ顔を合わせにくいだけなのに。
扉の向こう側で、彼が困っているような気配がした。
「城で診察が終わって問題ないとのことでしたから、こちらに伺いました」
「問題、ない?」
あるでしょう。
え?もう後遺症とか菌とか寄生虫の問題は解決したの?
もしかして、正気に戻ったから私に謝罪に来てくれたとか?
考え込んでいると、彼は扉越しに話を続ける。
「昨日は本当に迷惑をおかけいたしました。謝っても謝り切れません」
「いえ、もうそのことは大丈夫ですから」
今朝も聞いたしね。
「でも、あなたを好きな気持ちは本当です。私を心から心配してくれて、助けようとしてくれたその想いに心を打たれました」
真剣な声に、私はまたどきりとしてしまう。
いいお兄さん。
そんなイメージしかなかったはずなのに、自分でもおかしいと思うくらいにドキドキする。
「ニーナ嬢と一生を共にしたい。そう思ったのです。勢いで自制できずに求婚してしまったことは私の落ち度ですが、それでもこの気持ちは本心なのです」
「でも、私は」
ただの貧乏令嬢で、ここはお義兄様の邸で、戸籍と見せかけだけの貴族令嬢なのだ。
クリス様の隣に並ぶのは、私じゃ務まらないと思う。
「あなたを愛しています……!」
なんでそこまで!?
これまでそんなそぶりなかったのに、昨夜のことでこんなに急に変わるの!?
扉を開けてきちんとお断りした方がいいと思いつつも、私の手はなかなか動いてくれない。
開けるのが怖い。
顔を見て、やはり嘘だったら怖い。
がっかりしたくない。
ドアノブに伸ばしかけた指先を見つめながら、私は言った。
「ごめんなさい。私、将軍の義妹っていうところ以外にクリス様にふさわしいところなんてないんです。だから、結婚なんて」
できるわけがない。
市場で働きながら、平民として暮らす方がいいって今でも思ってる。
お姉さまみたいに「どんな困難があっても添い遂げる」って、強い気持ちは持てないもの。
「ごめんなさい」
消え入りそうな声で伝えれば、彼はしばらく何も言わなかった。
けれど、あきらめたかと思った頃に一層強い口調で言葉を発する。
「私は、ニーナ嬢の生きる力といいますか、前向きな明るさや逞しさが好きなんです。将軍の義妹としてではなく、あなたが好きなんです」
クリス様の言葉に、私は驚きで顔を上げる。
「私が、好き?」
「はい。あなた自身が好きです。だから私は、たとえあなたが貴族でなくても求婚したと思います」
「そんなバカな」
これまで誰も、ニーナとしては見てくれなかった。
どんなに優しいお見合い相手からも「将軍の義妹」として扱われて。誰も私のことは見てくれなかった。
「私、ただの女の子ですよ?クリス様より10歳年下だし、こどもっぽいところもあって」
「かわいらしいと思います」
「貧乏暮らしが長かったから、礼儀作法も勉強もほかの貴族令嬢より劣っています」
「それは私が教えられるところです」
「あと、私、揚げパンを手で食べますよ?」
別に今言わなくていいことだなって、自覚はあった。
でもクリス様は、私のくだらない言葉もきちんと拾って返事をくれた。
「では、一緒に食べましょう」
「揚げパンを?クリス様が?」
「はい。二人で、一緒に」
扉に手をかけ、おそるおそるそれを引く。
するとそこには、ほっと安堵した顔のクリス様がいた。
「ようやくあなたに会えました」
「っ!」
自然な所作で抱き寄せられ、その腕の中に閉じ込められる。
どうしていいかわからずに手をさまよわせていると、いい匂いがしてますます動揺した。
「私と結婚してくれますか?」
耳元で低い声がする。
これは反則だと思った。
「…………ま、まずはお友達から」
往生際悪くそんな答えを返す私。
クリス様はぷっと噴き出して笑った。
「わかりました。今から一階へ降りるまではお友達ということで」
「へ?」
「応接室でアレン様を待たせてしまっていますから、そこに着いたら婚約の申し込みをして婚約者になりましょう」
「えええ!?」
待ってどういうこと!?
確かにうちの父は「アレンディオ様にすべて任せる」って言っていたけれど、今日ここで婚約って決められるの?
「誰にも渡したくないんです。こういうことは早いうちに行動しないと、横やりが入りますから」
そう言うと、彼は私の頬に軽くキスをして満面の笑みを浮かべる。
「さぁ、行きましょう」
その笑顔を見た瞬間、私は思い出した。
クリス様が、ユンリエッタさんのお兄さんだったことを。
「一生、大切にします。ニーナ」
「あはは……、はははは……」
この目は本気だわ。
そっと肩を抱く手はとても優しいけれど、決して逃げられないだろうなと悟った。