平凡を底上げした将軍の妻
離婚申立書。
それは、配偶者の一方から、もう一方へ離婚を申し立てるために渡す正式な書状のこと。
離婚届だけを貴族院に提出したとしても離婚は可能だが、爵位が下の者(つまりリンドル子爵家の私)から離婚を提案するにはこの申立書が必要になる。
離婚申立書はそれだけで離婚できるわけではないが、それを渡されると協議に応じなければならないと法律で決まっている。
一昔前なら、爵位が上の家に対して離婚を申し出るなんてことはできなかったのだが、夫から逃げたい妻が悲観して命を断つ事案が少なからずあったため、20年前からこのような制度が作られたという。
「暑っ……!」
よく晴れた春の空は、眩しいほどに青かった。
早朝から念入りに準備した私は、馬車を下りると眩しさに目を細める。
ドレスアップした私は、「多分今日はチャンスがないだろうな」と思いつつも、お腹の部分に離婚申立書を挟んで持ち歩いていた。
肌身離さず、いつでもアレンディオ様に渡せるように……。
さすがに今日は持ってくるのは無謀すぎたけれど。
「どうぞ」
日傘を差し出してくれたのは、邸でずっと支度を手伝ってくれた侍女のユンリエッタさん。
金髪碧眼の美女で、どこぞの王女様のような美貌だと思った。黒の侍女服なのにその圧倒的な美貌は、アレンディオ様と同じくらい目が痛い。
あの邸は、主人と調度品だけでなく使用人までが眩しい……!
「ありがとう」
でも隠しきれていないのは、美貌だけではない。
普通の侍女を装っているけれど、どう見ても動きが普通の女性ではなく、機敏だし耳がいいし、身のこなしは軽いし、どこかの諜報員かもしれない。
もしかして、将軍の妻を見張る組織がある?
私の粗探しをして、離婚理由を見つけたいのかもしれない。
どんどん探して!望むところよ、引き出しに鍵もかけずに出てきたわ。
ボロボロの下着や靴も、品性がないと判断してもらうために衣装室にきちんと置いてきた。
将軍の妻にふさわしくないと、しっかり報告を上げてもらわなくては。
「補佐官のルードが参りましたら、私は馬車で待機させていただきます」
「わかったわ」
ユンさんは会場についてきてくれないのか。
アレンディオ様の奇行について聞きたかったのに……。
夕べ、彼と一緒に食事をしたまではよかった。けれど私ったら疲れが溜まっていたのかうとうとしてしまって、彼が執事と何か話をしているわずか十分の間に寝てしまった。
当然、話し合いはできなかった。
夜中に起きたら、ベッドサイドに座っていた人が私の手を握っていたような気がするけれど、それが誰だったかなんて恐ろしくて考えないことにした。
あり得ない。
相思相愛でもない、戸籍上の夫婦であるはずの私たちが(というよりアレンディオ様が)、私の手を握って夜な夜なベッドサイドで座っているとかあってはいけない。
大事にされている、なんて私の勘違いであって欲しい。
愛されているかも、なんて思い上がりもいいところだ。
きっと何か事情があるはずで。
嫌っていないとは言われたけれど、はっきり好きと言われたわけじゃない。
親愛の情、友情、家族みたいな腐れ縁?
私たちの関係は、いずれ終わるものなんだから……。
朝起きたら、アレンディオ様はすでにいなかった。
ふかふかのベッドの上でぼんやりしていたら、侍女たちがやってきて私は浴室へと連行された。
そこから全身を丁寧に磨き上げられ、アルノーに借りたドレスを着てメイクをして髪を大人っぽく結い上げ……
今の私は伯爵夫人の皮を見事に被っている。
クローゼットにはアレンディオ様のお父様が用意してくれたドレスがぎっしり並んでいて、妙に青系が多かった。きっと今年の流行のカラーだから、そうに違いない。試着することも躊躇われ、結局アルノーに借りたドレスにした。
緋色のドレスは私の平凡で地味めな顔をうまくカバーしてくれて、化粧と髪形、アクセサリーの力もあって伯爵夫人らしく見えている。
偏に、メイドさんたちの技術力の賜物。すごい。本当にすごい!
朝起きたらすでにアレンディオ様はいなくて、家族席への案内はルードさんという補佐官に任せてあるから待ち合わせ場所で待機してほしいとのことだった。
「本当によくお似合いですわ、奥様」
「ありがとう、ユンさん」
彼女は困ったようにくすりと笑う。
呼び捨てで、と言われたけれどいずれ離婚する心づもりの私としては、さんづけで呼びたいのだ。
褒め言葉を真に受けて、ちょっぴり浮かれた気分で王都の広場へ向かう。
着飾るなんて、何年ぶりだろう。
親戚の誕生日会でドレスを着たのが最後だから、7年ぶりくらいだ。
12歳で結婚していたから社交界デビューすることもなく、没落後は服を新調することもできず、私服より制服の方が生地がよくて数も多い。
そんな私だけれど、オシャレができるってなるとやっぱりうれしいもので。
足が痛くて嫌だと思っていたヒールの高い靴でさえ、一歩一歩がわくわくしてくる。
没落したから、もう二度とこんな風にドレスを着ることはないと思っていた。
いい思い出になるわ、と口元が緩んだ。
しかしそんな気持ちも、待ち合わせの迎賓館に着くと一気に萎むことになる――。
色とりどりのドレスの海。
着飾った女性たちが、ホールにたくさん集まっていた。
皆ものすごく綺麗で、呆気にとられるほどの美人もいる。
あぁ、あれは王国の華と噂されるエドウィン公爵家のエリザ様だわ……!同じ人間と思えないくらい顔が小さくて、深紅のドレスがものすごく似合っている。
確かお兄様が司令官として戦地で活躍なさっていたから、パレードを観るために来ているのね。
周囲の女性たちの美しさに、眩暈がしそうだった。
軍属でも上層部は貴族がほとんどで、彼らの妻や娘たちは輝きが違う。装飾品や衣装以前の話で、容姿がおそろしく整っていた。
ハタと気づけば、いくら衣装と装飾品で見た目を底上げしたとしても、素材が平凡な私。
うわ!私、全然綺麗になってなかった!
平凡がドレスを着て歩いているのに、変わりはなかった!!
「ユンさん、帰りたくなってきたんですが……」
「奥様、それはさすがに無理かと」
どこもかしこも美人ばかり。
なんていう素晴らしい空間だろう。
自分と比べると虚しくなるけれど、傍観者としている分には目の保養になって楽しい。
あぁ、それに。
こんなに綺麗な人がいっぱいいるのを見たら、アレンディオ様だって気づくはず!
私の圧倒的な「将軍の妻、これじゃない感」に!!
将軍の妻がこんなに平凡でいいわけがないもの。
エリザ様みたいに、王国の華とか何とかいう素敵な二つ名があるような美人がふさわしいはずよ。
「この中に、アレンディオ様の目に留まる人がいればいいわね」
「え、奥様。騎士のスカウトですか?」
ユンさんは首を傾げて尋ねた。
私は笑って「なんでもない」と言った。
まぁ、どれほど悩んだところで将軍の妻が式典に出ないわけにいかない。
私たちが夫婦と呼べる間柄でないことは、アルノーやメルージェ、そして侍女のサブリナしか知らない。
世間体が気になるのもあるが、アルノーに釘を刺されたことも大きい。
『大々的な式典や催しを理由なく欠席すると、反王政派に目をつけられて接触があるかもよ』
領地に引きこもっている奥様なら、体調不良とか何とか理由をつけてまだごまかせた。
でも私は勤め人で、その日だけ病になるなんて怪しまれる可能性大。
将軍の妻に、もしくはその実家に反逆の意思あり。なんてことが噂になったら、怪しい組織の人からお声がかかるらしい。
なんでそんなことを知っているかというと、アルノーのところの長男さんが、式典などに休んでいる貴族に声をかけていたそうな。
実体験から来るアドバイス、参考にさせていただきます!
というわけで私に逃げ場などなかった。




