悪魔に魂を売ってしまおう
医局塔にマルグリッド様を連れ込んだ私は、レイファーさんの部屋へ向かった。
「どうしてこの面子で?」
「色々とありまして」
さすがに驚いたらしく、レイファーさんは目元を引き攣らせている。
それでも入室を許可してくれて、アルノーがレイファーさんに花のことで聴取を受けている間に、私はマルグリッド様と話をする時間をもらった。
向かい合って座ると、気まずい空気が流れる。
「突然すみません。どうしてもマルグリッド様とお話がしたくて」
「…………」
沈黙が重い。
何から話していいのやら、と頭を悩ませていると、ずっと黙っていたマルグリッド様が躊躇いがちに口を開いた。
「昨日、襲われたと聞きました。無事で何よりですわ」
「え?ありがとうございます。その話をどこで……?」
昨夜の件は、すぐになかったことにされたはず。
なぜマルグリッド様が知っているのか。
もしかして、ヴォーレス公爵から聞いた?
じっと見つめても、それに対する返事はなかった。
「マルグリッド様は、どこまでご存知なのですか?」
答えてくれるとは思わない。
けれど、私は不躾にそう尋ねてしまう。
彼女は悲しげに視線を落とすと、ぽつりぽつりと口を開いた。
「どこまで、と言われても……。私もすべてを知っているわけではありません。父がヒースラン将軍と敵対し、何かしているのだということはわかりますが」
敵対している、と彼女ははっきり言った。
意外だった。
「マルグリッド様」
私は意を決して、まっすぐに彼女を見つめて尋ねる。
「ヒースラン伯爵領でのお披露目のとき、どうしてあなたはアレンの部屋に女性を手引きしたのですか?」
マルグリッド様はしばらく黙っていたけれど、諦めたようにため息を吐いた。
「父から、ヒースラン将軍を誘惑しろと言われていたので。けれど、そんなことできるわけもありません。あの方は、あなただけを見ているのはわかっていましたから」
アレンが自分になびくとは思えない。けれど、監視役の世話係がいるから何もしないと父に叱責されてしまう。
悩んだマルグリッド様は、ルードさんの予測通り「実績作り」のためにグレナ嬢を手引きしたと話した。
「父は恐れていました。これ以上、ヒースラン将軍に栄光と権力が集まるのを……。私が王妹殿下の侍女になったのは、万が一にでもヒースラン将軍とローズ様が恋仲にならないよう邪魔をするためです。将軍に王妹殿下が嫁ぐことになれば、ますます将軍の威光が強まってしまうから。けれど、その兆候がないとなれば、父は私を将軍の妻にと望みました」
事細かにアレンのことを公爵に伝え、何度も誘惑は無理だと伝えたマルグリッド様。
けれど、公爵が諦めることはなかったという。
マルグリッド様にはどこにも逃げ場がなく、どれほど苦しんだことだろう。
不幸は、王太子妃候補になれなかった後もずっと続いていた。
「父はいつも言っていました。おまえは王太子妃になるのだ、と。そのためだけに生きてきたのに、突然に梯子を外された状況になり……」
「失礼なことをお尋ねしますが、第二妃になろうとは思わなかったのですか?」
他国の王女様を王妃に迎えるとしても、王族なら国内の有力貴族から第二妃、第三妃を娶ってもおかしくない。
実際に、ジェイデン様の周りではそのような話が浮上している。
マルグリッド様は力なく首を振った。
「私は第二妃でも構わないと思いました。けれど父は、正妃でなければダメだと言って譲りませんでした。私は国のため、ジェイデン様のためなら第二妃として務めをまっとうするつもりだったのに」
「ジェイデン様を、愛しておられたのですか?」
「愛なんてわからないわ……。私は、恋や愛より王太子妃として生きることを教えられてきたのですから」
幼い頃から王太子妃になることを目標に、それだけを思ってきたマルグリッド様。
凛とした美しいイメージだったけれど、今目の前にいる彼女は寄る辺ないか弱いご令嬢に見えた。
「父はもう止められません。邸には怪しげな者たちが出入りしていて、誰の言葉にも耳を傾けないのです。大きくなりすぎた己の権力欲を抑えられないのでしょう。何て愚かなこと……」
「マルグリッド様」
「でも、そんな父に言われるがままの私はもっと愚かです。親族や関係する者たちが次々に捕縛され、ようやく気付きました。ヴォーレス公爵家は終わりなのだと」
かすかに微笑みを浮かべる口元。
そこには、諦めと同時にようやく解放されるのだという安堵もあるように思える。
けれど私は、このままマルグリッド様を放ってはおけないと思った。
「マルグリッド様は、逃げたいと思わないのですか?」
こんなことを聞いて何になるんだろう。
自分の無力さに苛まれる。
「逃げる?私が逃げたら、母が父に責められます。だからどこへも逃げ場なんてありません。あるのは破滅だけ」
「そんな……」
「父は、怪しげな者たちと国を手に入れようと画策しています。けれど、ヒースラン将軍が動いているからそれが叶うことはありません。近いうちに、すべてを失うでしょう。もう私に未来なんてないのです。どうにもならないのよ」
俯きながらも、涙を堪えるマルグリッド様。
同情など不要だというかのようで、私は余計に胸が苦しくなった。
「マルグリッド様とは、もっと別の形で出会いたかったです」
「そうね。私もそう思うわ」
まるで別れの挨拶みたい。
そんなことが頭をよぎるも、私は諦めたくなんてなかった。
「マルグリッド様。もういっそ、私と一緒に助けてって叫んでみませんか?」
「は?一緒にって、あなた何を」
怪訝な顔をする彼女に向かって、私は必死で訴えかける。
「まだ手はあるはずです。自分だけの力なら無理かもしれませんが、おもいきって助けてって叫んでみたら、何とかなるかもしれません」
「何をバカなことを」
マルグリッド様は椅子から立ち上がり、扉の方へ向かおうとした。
私は後を追い、彼女の手首を掴む。
「私も少し前までは自分で何とかしようって、自分ががんばればいいって、自分が我慢すればそれでいいって思っていました。でもそうじゃなくて……!助けてもらうことは、恥ずかしいことでも愚かなことでもありません」
「あなたは甘すぎるわ。正直に話したところで、誰が私を信じてくれるというの?」
「誰がって……」
その通りかもしれない。
ヴォーレス公爵の娘というだけで、国賊扱いされる可能性すらある。
マルグリッド様は何もかも諦めた顔で、どうでもいいとばかりに嘲笑う。
「女の身で何ができますか?味方もいない、逃げ場もない、守ってくれる人もいない………。こんな非力な私が王太子妃だなんて、なれるわけがなかったのです。何もかも無駄に終わった今、おとなしく終わりを待って潔く散るしか残された道はありません」
「そんな!」
――ガチャ……。
必死で追い縋っていると、続き間の扉が開いてレイファーさんとアルノーが出てきた。
二人の顔つきから、私たちの話を聞いていたんだとわかる。
レイファーさんは、私に呆れているのだろう。「諦めれば?」という顔をしていた。
けれど、アルノーは違う。
いつも通りの笑顔で、マルグリッド様に向かって言った。
「マルグリッド様。もういっそ、悪魔に魂を売ってみたらいかがです?」
「「え??」」
にこにこと笑うアルノーは、交渉をするときに見せる商人モードだった。
私の頭には、彼のいう悪魔な騎士の笑顔が浮かぶ。
「ちょっと対価は必要になるだろうけれど、とっても優しい悪魔がいるでしょう。将軍の隣に」
医局塔での話し合いは、即座に騎士団へと場所を移すことになるのだった。