いけるわけがない
「それにしても、もし本当に将軍がソアリスのことを愛していたらどうするの?」
「どうって」
「絶対に離婚なんて応じてくれないんじゃないかな」
愛。
そんなものが私の人生に可能性として浮上するなんて、思いもしなかった。
確かに昨日のアレンディオ様は、どう見ても私のことが愛おしいというような目で……。
思い出した瞬間、顔が熱くなるのがわかった。
「えー、昨日何されたの?本当に口説かれただけ?身体接触は?」
アルノーがにやにやして尋ねる。
私は即座に否定し、手を繋ぐ以上のことはなかったときっぱり言った。
「身体接触って、朝からいやらしい表現を」
「え!?どう考えても最大限に配慮した表現だけれど!?朝だから」
そう言われればそうかも。
「でもソアリスのことを本当に大事に思っていたなら、なんで今まで貧乏生活なんてさせてきたんだろう。将軍が司令官に昇級したのって、ソアリスが金庫番になってすぐくらいの時期だったよね。5年くらい前か」
司令官級になれば、家族や恋人に物を贈ることができる。
お給料が上がることもそうだし、戦場から街へ物資を送るときは積み荷が限られるので権限は上官にのみ与えられている。
「ヒースラン伯爵家から振り込まれる個人口座はあるのよ。アレンディオ様のお給金は、伯爵家に渡るから。そこから仕送りは貰えているんだけれど、でも人のお金を使うっていうのは気が引けて」
「夫婦なのに?」
「夫婦だけれど!」
どうしてもというときは、そこからお金を借りたことはある。
自由に使っていいと言われているが、私はそのお金に手を付けることができず、少しずつ返済して今ではすっかり元通りの金額が入っている状態だ。
「俺が親戚から聞いた話だと、戦地にいても妻や恋人の誕生日には商品をリストから選んで贈ることができるって。司令官級になった時点で、誕生日の贈り物くらいはできたはずなのに……。一度もプレゼントの一つもないなんておかしいよね。え、ケチなの?」
なんて直球に失礼なことを言うんだ。
アルノーは悪気なく、疑問を口にした。
「わからないけれど、贈り物とかそういうことをしない人なのかもしれないわ。私が知っているアレンディオ様は、少なくとも女性に対して何か気配りをできるような人じゃなかったもの。社交性はゼロで、口数もほぼゼロ。贈り物なんてできる人じゃないっていう方が、むしろ信じられるわ。本物のアレンディオ様だって」
「本物って」
今いるアレンディオ様は、影武者か何かかもしれない。
真顔で呟くと、アルノーに「そんなわけないだろう」と突っ込まれた。
「届いていないとか?」
「何年も?手紙は届くのに?」
アレンディオ様からの手紙は、10年分で合計20通が実家のリンドル子爵家に届いていた。それは引越してもきちんと届け出をしておいたので、途切れずに受け取っている。
私の元には3日遅れで転送されてきたけれど、手元にきちんと残っていた。
「贈り物がなかったなんて、私にとっては些細なことよ」
貴族女性にとっては、婚約者や夫からの贈り物は一種のステータスだという価値観もあるけれど、今の私にそんなものはない。
アルノーは「そんなもんかね」と言って納得していないようだけれど。
「でもソアリスは運がよかったと思うよ?」
「どこが?」
10年間も夫と疎遠だったのに。
眉根を寄せた私に、アルノーは淡々と「もしも」の話をする。
「だって無口で無表情な青年と、名ばかりの結婚だよ?戦場へ行かなきゃっていうか、それくらいの強いショックを与えなきゃ治らなかったってことだよね。もしも将軍がただの伯爵令息のままで、ソアリスのそばにずっといたとしてさ。仮面夫婦みたいになってたかもよ?」
「あの無愛想な感じだとありえる……」
「しかも茶会では『あちらのご夫君は金で兵役を免れたらしいわよ』って、奥様たちにひそひそされるんだ」
そうだ。仕事をしていなければ、社交はしないといけないんだわ。奥様だから。
アルノーが話したのは、何とも嫌な「もしも」の話だった。
「ほら、それにリンドル家もヒースラン家もどっちもパッとしない時期があったじゃない?あの時期に彼がそばにいたら、離婚して別の家と契約婚してたかもよ」
「あ……」
アルノーが言いたいことは、わかった。
私が王都に出てきた6年前は、ヒースラン伯爵家は持ち直す途中で、リンドル子爵家は極限まで没落していた。
「もしもそんなときに、好色な金持ち爺がソアリスを後妻にくれとか言ってきていたら、君はお金のために離婚したんじゃない?アレンディオ様と別れて、変態に買われて一生を籠の鳥で過ごしていたかもしれないよ?そういう話はたまに聞くし」
「言われてみればそうね。家のためなら、どんな相手でも私は嫁いだと思う」
そもそも愛のない政略結婚だ。
一度も二度も同じだと、手に職のない私は短慮に走ったかも。
自分で働いて稼ぐ、その考えが身につく前ならなおさらだ。
「だろ?将軍がこっちにいなかったから、離婚届を書く機会も時間もなくて、今の生活があるって思ったら運がよかったよ」
彼のいう通り、実際に身売りに近い話は幾つかあった。
けれどヒースランのお義父様が「息子が戻らないうちは、それだけは」と頑なに守ってくれたのだ。
そのせいで、父の会社が嫌がらせを受けて借金が膨らんだこともあったのだが、父は私と妹を絶対に酷い相手には渡そうとしなかった。
それに今の暮らしを私は気に入っているから、こんな風に自由で楽しい日々がなくなっていたかもしれないと思うとすごく怖い。
「あ、向こうも危ないよね。あの顔だから変な爺に買われたかも。『離婚しなきゃ妻と父親を消すぞ』って脅されて」
「……ありえるわ」
美形好きの変態に狙われないとは言えない。あのご尊顔は、毎日見ても慣れない美しさだもの!
二人して無言で頷き合い、「今が一番マシかもしれない」と意見が合った。
「ま、女性の結婚は、親の裁量が大きいからね。ソアリスは今からでも自分の意思で離婚を考えられるんだから、悔いのないよう決めなよ」
「そうさせてもらうわ。まずは話し合いをしなきゃ何も始まらないけれど」
「そうだな。でも家族か親戚、もしくは信用できる第三者を連れて行かないと空気に呑まれるかもよ?」
さすがはお家騒動を乗り越えた商家の三男、交渉事には慣れている。
「お父様に連絡してみるわ。そうなると、離婚のことを事後報告ってわけにいかなくなるだろうけれど」
気が重い。
私の平穏が、ガラガラと崩れ始めているのを感じる。
アルノーは「それがいいよ」と笑い、最後のサンドイッチのカケラを口の中に放り込んだ。
「今夜の話し合い、どうしようかしら」
できればリンドル子爵家としての意見をまとめた上で、アレンディオ様とは話し合いたい。
でも昨日逃げたのに、今日も姿を消すのはさすがに失礼だ。
そしてここまで考えて、私はあることに気づく。
「あ」
「ん?何?」
隣で目を閉じて寛いでいたアルノーが、私の声に振り向く。
「そういえば、10年ぶりに会ったのに、びっくりしすぎて『おかえりなさい』も『ご苦労様でした』も、何一つ言っていないわ」
国のために、命を賭して戦ってくれたのに。
いきなりの再会に驚きすぎて、私ったら何の労いの言葉もかけてあげていない。
あぁ、仮にも戸籍上の妻なのにこれは失態だ。
いや、妻以前に人としてどうなのか。
苦悶の表情を浮かべる私を見て、アルノーは明るく言った。
「さすがに昨日のは将軍が悪いよ。いきなりあんなことされたら、殴られてもおかしくない」
それもそうか。
ちょっとだけ罪悪感が薄まる。
「うちの姉なら鼻目がけて頭突きして、剣を奪って首に突きつけていると思う」
「アルノーのお姉さんってどんな人なのよ」
それほどの女傑なら、最初から抱き締められないのでは。
するっと腕を躱して、カウンターで殴れるのでは?
私の想像がまったく違う方向へ進んだそのとき、アルノーがふと思い出したように話題を戻した。
「そういえばさ、明日ってパレードだよね。将軍の妻として、家族席にいなきゃいけないんじゃないの?」
「…………!?」
しまった。
皆の英雄、アレンディオ・ヒースラン将軍が結婚していることが盛大にばれてしまう!
ぎょっと目を瞠る私。
「どうしよう。何とか欠席することはできないかな」
行きたくない。
けれどアルノーは、顔の前でひらひらと手を振った。
「無理無理。大々的な式典や催しを理由なく欠席すると、反王政派に目をつけられて接触があるかもよ。将軍はともかく、実家のリンドル子爵家が謀反の意ありって勘繰られたら面倒だ」
それは困る。
「出るしかないのね……」
「観覧席なら誰が誰の家族かわからないから、こっそり小さくなっていればいいよ」
しかしここで、私はさらなる問題に気づく。
「困ったわ」
「何が」
「私、ドレスを持っていない……!」
アルノーの顔が「まさか」と引き攣る。
ドレスどころか、貴族の邸に入れる服すら持っていない。
「金庫番の制服で」
「いけるわけないだろぉぉぉ!!」
慌てて立ち上がったアルノーは私の手首を掴み、通常の業務開始時間よりも一時間早く仕事を始めた。
二人で必死の形相で仕事を片付け、昼過ぎにすべての業務を終えると、アルノーが連絡したスタッド商会の馬車で衣裳店へと向かうのだった。




