賓客をお迎えする夫婦
昼過ぎになり、予定通りに王族御一行が到着した。
「やぁ!久しいね、アレンディオ」
「ようこそいらっしゃいました、ジェイデン様」
王妃様と同じ黒髪をなびかせ、ジェイデン王太子殿下はアレンに声をかける。アレンは一週間ぶりくらいだと言うが、私たちはニーナのデビュー以来の再会でとてつもない緊張感が漂う。
エリオットは初めて見る王太子殿下に恐れおののき、完全に空気を消していた。両親も同様である。
出迎えた私たちを見て、王太子殿下は笑顔を向けた。
「夫人。このたびは陛下が出席できず、心苦しく思う。この詫びはまたいずれ」
もうお詫びはいりません!
心の中では全力で叫び、けれど表面上は控えめに笑みを作った。
「王太子殿下やローズ様がはるばるお越しくださったこと、誠に誉れでございます。詫びなど必要はありません」
「そう言ってもらえるとありがたい。あぁ、そうだ。私のことはジェイデンと呼んで欲しい。アレンディオとはよく話す仲なんだ、夫人も気軽に接してくれたらうれしいんだが」
とても顔の怖い陛下のご子息と思えない、屈託のない笑顔に私は少し安心した。
アレンからも「無意味に権力を行使するような方ではないし、どちらかというとおおらかで陽気な性格だ」と聞いていたが、どうやらそれは本当みたい。
私はホッと胸をなでおろす。
ヒースランのお義父様とは初対面だそうだが、すぐに親しげに笑い合っていて、とても素敵な王子様だった。
「ジェイデン様、どうか滞在中はごゆるりとお過ごしください。精一杯おもてなしさせていただきます」
「ありがとう。もう堅苦しい王城から出られただけでも感謝だよ!なんでも言ってくれ、力の限り協力しよう!」
「あははは、では何かの折にはぜひ」
とてもノリのいい王子様と、お義父様は楽しそうに笑い合う。
もしかして、陛下の体調不良が深刻に受け取られないように、わざとジェイデン様は明るく振舞っているのかしら。アレンに目だけで問いかけると、少し目を細め、静かに頷いた。
まぁ、明らかに沈んだ様子で登場するわけにはいかないものね。陛下のことは心配だけれど、王太子殿下としては明るく振舞うよりほかはなさそうだ。
「ヒースラン将軍!ソアリスさん!お会いできてうれしいです!」
「ローズ様、ようこそお越しくださいました」
ローズ様は、シンプルなアイボリーのドレスに帽子姿で、富裕層のご令嬢が旅行へ行くような姿だった。これならルクリアの街へ出ても、まさか王妹殿下とは気づかれないだろう。
少し後ろには侍女のマルグリッド様とキアラ様がいて、彼女たちも名家のご令嬢にふさわしい上質な衣装を纏っている。
そういえば、マルグリッド様はジェイデン様の婚約者候補だったはず。
こんな風に一緒に遠出するのは、気まずくなかったのかしら。
ジェイデン様は今、隣国の王女様を婚約者に据えている。
国家間の都合によって、国内令嬢との婚約は取りやめたと聞いているし、マルグリッド様やそのほかの婚約者候補のお嬢様方とジェイデン様がどのような関係性を築いていたかはわからない。
マルグリッド様も今は従兄と婚約しているというから、もしかすると何とも思っていないのかも……。
「ようこそいらっしゃいました」
笑顔で出迎えると、彼女は淑女教育の先生も務まるような美しい礼をして微笑んでくれた。
長い髪を左側にゆるく編み込んだマルグリッド様は、移動の疲れも見せず今日も完璧な振舞だった。部屋へ案内されて行く後ろ姿もそれはそれは優雅なもので、思わず見惚れてしまうほど。
「ソアリス様、参りましょう」
「あ、はい……」
ユンさんに声をかけられ、私は慌てて背筋を正した。
◆◆◆
ジェイデン様は応接室に入ると、ソファーに深く腰を下ろして疲れた顔を見せる。
「あー、今くらいはのんびりしてもいいよね?」
応接室には、ジェイデン様と補佐官の男性、侍従の男性がまず入室した。その後にローズ様が続いて入り、ジェイデン様の隣に座る。
お義父様はジェイデン様の斜め前に、私とアレンは正面に座った。
ルードさんとユンさんは壁際に立ち、全体が見渡せる位置で待機している。
ジェイデン様の補佐官は、背の高い金髪の男性で、茶色の目が凛々しい美形だった。20代後半だろうか、ダークブラウンの正装がよく似合う。
どこか懐かしいような、親しみやすい印象のこの方は、いきなり寛いでいるジェイデン様を見て苦言を呈した。
「まだ早すぎます。さすがに客室に入るまで待ってください」
自由奔放な弟を制する兄、のように見えなくもない。
「クリス殿、まさかあなたが付いてこられるとは」
アレンは知り合いらしく、気軽に話しかける。
「今回は急なことでしたから、陛下の代わりに行わなければならない執務も山積みです。ジェイデン様を自由になんてさせませんよ」
ははっと苦笑いしたクリス様は、なんだか苦労人に見えた。
ところがふと目が合った瞬間、にっこりと微笑まれて挨拶を受ける。
「ヒースラン夫人、いつも妹がお世話になっております。クリス・シュヴェルと申します。ジェイデン様の補佐官で、そこにいるユンリエッタの兄でございます。どうかお見知りおきを」
「ユンさんのお兄様ですか!?こ、こちらこそいつもありがとうございます」
なるほど、美形なのに親しみやすいなと感じたのはユンさんに似ていたからか。
確かに、まばゆい金髪といい色白で凛々しいところといい、見れば見るほどよく似ている。
自己紹介もそこそこに、話題は陛下のご容態へと移った。
ジェイデン様はさすがに疲労を隠さずに、やや困った顔で言った。
「命に別条がないのは何よりだが、酒を呑んでいないのに意識朦朧となさった姿を見たら肝が冷えた。陛下はあの顔で意外に身体が丈夫でないのだ。戦が終わって以来、無理をなさっていたのだろう。少し休めば回復すると、医師は申しておったがどうなるか……」
「私もびっくりしました。食事をして、立ち上がったら急に足取りがフラフラとなさって。倒れられたとき、もうどうしていいかわからなくて『死なないで!』って言ったらさすがに『それはない』ってお返事があったので、安心しましたけれど」
陛下が倒れたのは、王妃様やローズ様とのお食事の後だったらしい。
「とはいえ、今後何があるとは誰にもわからん。だから、これを機に3年を目途に即位を早めることが水面下で話し合われている。将軍の威光があるうちに、若き王を即位させて国として勢いをつけようということらしい」
言い出したのは陛下だそうだが、ジェイデン様からすれば即位は10年後くらいだと思っていたので驚いたと苦笑する。
「まだ婚約も調ったばかりで、即位するなら結婚も早めなければいけない。相手が自国の令嬢であれば融通が利いたが、2年も結婚を早めるとなるとさすがに揉めそうだ。しかも陛下の病状をつまびらかにせずに……となると、より難しい」
そんなに問題が山積みのときに、5日間の旅程とはいえヒースラン領まで来てくれたとは頭が下がる思いだった。
けれどアレンは訝し気な顔で、ジェイデン様に尋ねた。
「なぜ来たのですか……?このクソ忙しいときに」
「「!?」」
私たちはぎょっと目を瞠り、アレンを見つめる。
しかしジェイデン様は、あははははと大声で笑った。
「そう思うだろうなぁ!私がそなたでも、同じことを思っただろう!だが、これが最後の楽しみとばかりに遊びに来たんだ。考えてもみよ、この先一年はもうどこへも行けないぞ?」
「一年で済めばいいですが」
「アレンディオ。もう少し私に優しくできないか?」
アレンはいたって真剣だった。ただ予測しただけなのに、と首を傾げる。
ジェイデン様は呆れた目をアレンに向けた。
「世辞のひとつも言えないで、そなたそれでよくこれまでやって来られたなぁ。そんなことでは最愛の妻に愛想を尽かされるぞ。御前試合でもそれはそれは大層なかわいがりようだったと、皆から聞いた」
まさか、あのときのことがジェイデン様の耳にまで入っているとは。
私は顔を赤くして俯いた。
「あいにく、ジェイデン様に心配していただく必要はございません。愛想を尽かされないよう、日々懸命に愛情を伝えていますから」
アレンは王族の前でもいつも通りだった。
隣に座る私の腰に手を回し、いつになくうれしそうに笑う。
それを見たジェイデン様は、遠い目で言った。
「政略結婚なのに愛があるとは、羨ましい限りだ。私もそなたらにあやかりたいものだな」
「もったいなきお言葉です……」
お願いだから、もう話題を変えてもらいたい。
居心地の悪さに小さくなっていると、これまで黙っていたローズ様がふいに呟いた。
「政略結婚と恋愛結婚、どちらが幸せになれるんでしょうか」
「「「え?」」」
皆が一斉に反応したため、ローズ様は慌てて説明し始める。
「あ!いえ、あのふと思っただけで特に意味はないんです!お幸せそうで、羨ましいなぁって思っただけで、政略結婚のイメージがあまりよくなかったものですが、ヒースラン将軍がお幸せそうで……!あぁ、さっきの言葉は聞き流してください!」
街娘だったローズ様からすれば、貴族の政略結婚は遠い世界の話だったんだろう。それが今や王妹として、ゼス様とのことを考えなければいけなくなって、敏感になっているのかも。
私は深く追求せず、少し微笑んでローズ様を見つめた。
ジェイデン様は腕組みをして、むずかしい顔をする。
「う~ん。世の中には様々な夫婦がいるからなぁ。そもそもアレンディオは参考にならん」
「どういう意味ですか。どういう」
「ほら、夫人は迷惑そうにしているであろう」
「ソアリスは控えめなだけで、迷惑がってはいません」
アレンの反論を受け、ジェイデン様は苦笑いだ。
私に対し、無言で「がんばってくれ」という目を向けてきたのは気のせいかしらね?
ローズ様は二人の攻防を見て、クスリと笑った。
「でも、ホント羨ましいです」
ちょっとだけ淋しげな笑みに見えたのは、それこそ気のせいだと思いたい。
私とローズ様の間に漂うおかしな空気を察知したのか、ユンさんのお兄様が話をまとめてくれた。
「どんな形にせよ、幸せを掴んだことは喜ばしいと思いますよ」
クリス様は穏やかな笑みで、ローズ様を見守る。
そして紅茶を一口飲んだジェイデン様は、にこやかに言った。
「そうだ、明日は街へ出ようと思っている。せっかく来たのだから、あちこち見て回りたいのだ」
「では、そのように手配を」
アレンはルードさんに目配せをした。
ジェイデン様が街を歩くとなれば、護衛や道案内が必要だろう。
しかしジェイデン様は、ルードさんに向かって「案内は不要だ」と告げる。
「少人数で行こうと思う。視察ではなく、ただの観光だからな」
近衛は密かについていくが、いかにも王太子殿下がやってきたという大事にはしないでくれと念を押された。
観光にはローズ様や侍女の2人も一緒に出かけ、夕方より早い時間には戻ると言う。
アレンは、自領で殿下に何かあってはいけないと渋々ついていくことに。これでもう、ダンスレッスンは明日の夜にしかできない。
私は披露目の前日ということで、邸でやらなければいけないことがあるので遠慮した。
そして、ローズ様たっての希望で、ニーナやエリオットも一緒に出かけることに。「ソアリスさんの妹さんなら、きっと仲良くなれると思うんです!」とキラキラした目で頼まれたら断れない。
不安はあれど、弟妹にはがんばってもらうしかない。
「明日が楽しみだ!」
うれしそうに笑うジェイデン様。
ただしその背後では、クリス様が執務の進行に頭を悩ませているのが見えた。