お届け物は突然に
「はい!お二人とも最初から!」
「「っ!」」
東館にある広いホールに、ユンさんの手拍子と厳しい声が響く。
窓の外は真っ暗闇。
いつぞやのレッスンの再来かのように、私とアレンは向かい合って密着していた。ただしここに、甘い空気はまったくない。
騎士団の訓練かと思うほど緊迫した空気が漂っている。
こめかみからスッと汗が伝う私は、今にも泣きそうな顔になっているだろう。
背後で楽しそうにくるくると回って踊る弟妹は、私に似ずに運動神経とリズム感がいい。おしゃべりしながら、優雅に踊っていた。
なんで姉妹でこうも違うのかしらね!?
私が母のお腹に置いていったリズム感を、弟妹が分け合ったのかしらね!?
「ソアリス、大丈夫か?」
「は、はい……。生きています」
もう、生存報告しかできない。
余裕がまったくない私は、ユンさんに「最初から」と言われてもアレンの胸に寄りかかって動けずにいた。
「ユンリエッタ、少し休憩を取りたい。ソアリスがもう限界だ」
夫は、私と違って涼しい顔をしている。
「そうですね。お二人の踊れなさに、ついつい指導に熱が入ってしまいました」
私とアレンは二人して沈黙する。
ユンさんが申し訳なさそうにするのを見て、自分の不甲斐なさに胸が痛んだ。
「だいたい、アレン様がソアリス様を振り回すから、少ない体力をさらに消耗してしまうのです。一歩が大きすぎるとあれほど言っているのに」
「気を付ける」
アレンはユンさんからのお小言を受けながら、私をひょいと抱えあげて椅子に運んでくれた。これも、いつぞやの再来だわ。情けなく床に崩れ落ちる寸前だったからありがたいけれど、汗だくなことが気にかかる。
果実水の入ったグラスをニーナに差し出され、私はそれをゴクゴクと飲み干した。
「お姉様って、踊れなかったのね。ルードさんと踊っていたときはそんなこと気づかなかったから、今見てびっくりしちゃった」
ニーナの言葉に、アレンががっくりと肩を落とす。
「すまない、俺の技量がないばかりに……」
「はっ!?お義兄様!違うんです、ルードさんがうますぎるんで、あれですよ、その、踊れなくてもお義兄様はかっこいいですよ!顔でごまかせます!」
慌てるニーナを見て、エリオットが嘆く。
「もう替え玉にすれば?ニーナ姉と姉上は遠目から見たらわからないんだから、ニーナ姉が代わりに踊ればよくない?」
うっ、ついに最終手段を提案された。
「お披露目パーティーで替え玉なんて使えるわけないでしょう?私だって、がんばればなんとかなるわよ……!」
「とりあえず、二人ともパートナーを変えて練習すれば?ほら、姉上は俺と、アレン兄様はニーナ姉と踊ってリズムを覚えたら?」
ちらりとアレンを見上げると、背に腹は代えられないと思ったのか、エリオットの提案を受け入れた。
いや、うん。弟はさすがに警戒しなくていいのでは?
踊れない者同士で試行錯誤するよりも、まずは個々のレベルアップのためにうまい相手と踊る。確かにこの方がいいかもしれない。
私たちは、まだお互いに合わせるという段階までまったくいっていないのだから……。
少しの休憩を置いて、私たちは再び30分ほどレッスンを続けた。
本来ならもっと続けなければいけないところ、やはり一番最初に音を上げたの私だった。
「エリオットォォォ……!もう足がパンパンで痛いの。ちょっと休ませて」
「姉上、あれだけ貧乏を耐え抜いたのになんでダンスはがんばれないの?」
それとこれとは違うと思う。
もう声を発するのもつらくて、私は虚ろな目で弟を睨んだ。
「ソアリス様、ご無理はいけません、本日はここまでにいたしましょう。明日の朝、起き上がれなくなってしまいます」
もうその予感しかない。けれど、ユンさんがメイドたちに命じて私の入浴準備とマッサージを手配してくれて、まずは身体を休めることに専念しようと思った。
「お義兄様はまだがんばりますよね?汗一つかいていないんだから」
妹はユンさんばりに厳しかった。
「やろう。ソアリスに変な虫をつけるわけにはいかない」
アレンはいらぬ心配をしていた。
「がんばらないとね……」
椅子に座り、熱を持った足を手で揉みほぐしながらアレンとニーナのレッスンを見ていると、ホールの扉が開いてメイド長のカミラさんが現れた。
「失礼いたします。坊ちゃま、少しよろしいでしょうか」
多分、急ぎの用事だろう。
その手には、帽子が入りそうな中くらいの箱を持っていた。
アレンは扉の方へ向かい、カミラさんと何やら小声で話を始める。
カミラさんがちらちらと視線をこちらに何度も向けるので、私絡みのことなのかしらとちょっと不安になった。
アレンは、カミラさんが持っていた箱の中身を確認すると露骨に顔を顰める。
「捨てておけ。後のことは、部下に指示しておく」
「かしこまりました」
しかしここで、エリオットとニーナが興味本位で駆け寄った。
私も気になるから行きたいけれど、椅子からまったく立ち上がれないので見守るしかない。
二人は興味津々で箱の中をのぞくと、ぎょっと目を見開いてなぜか喜びの声を上げた。
「ちょっ……!?これ、繭ふわ蚕の幼虫だ!すっごい高く売れるよ、ニーナ姉!」
エリオットは興奮し、両の拳を固く握る。
ニーナも弟と顔を見合わせ、きゃあとはしゃいだ。
「本当だわ!すごいプレゼントよ!え、やだ、でも全部死んでるわ!繁殖させれば一儲けできたのにぃ!」
「でも死んでたって、頭の殻が薬になるから売れるよ!アレン兄様、これもらっていい!?」
えーっと、プレゼントに幼虫を送ってくる人はいないでしょうね。絶対にそこには悪意が詰まっているはず。
繭ふわ蚕は正式名称は忘れたけれど、普通の蚕の何倍も値段のする美しい糸を吐く種類の虫だ。
そういえば、ヒースラン伯爵領は繊維産業が盛んだ。だから、ここでは希少な虫ではない。
「さすがお姉様!欲しいものが知れ渡っているのね!?」
「私は蚕が欲しいなんて誰にも言っていないし、そんなこと思っていないわ!」
弟妹は貧乏が染みつきすぎて、悪意の塊すらお金に変えようとする。
もうすでに、二人が働かなくてもいいくらいの生活はできているはずなのに、姉としては複雑な心境だ。
けれど私も貧乏が染みついて長いので、心の中でちょっとだけ「いいものをありがとうございます」と思ってしまった。
アレンは、二人が喜んでいるのを苦笑いで見ていた。
「好きにしていい。ただし、使用人が驚くから保管場所はあらかじめ伝えておいてくれ」
「わかりました!」
「お義兄様、大好き~!」
弟妹は、ほくほく顔で箱を抱えて部屋に戻っていった。
二人の背中を見ていると、私はちょっぴり切なくなる。
「私が渡したおみやげより、喜んでいるようなんですが……」
髪飾りとジャケットをそれぞれに渡したのに、どう見ても喜び方が違う。
アレンは座ったままの私のそばへ寄り、そっと抱き寄せ慰めてくれた。
「まぁ、予想外の事態は起こるものだから」
それにしても、一体誰があんなものを。
アレンと私に対する反発心からか、嫌がらせであることは明らかだ。
ここでふと、昼間に会ったグレナ様の顔が脳裏に浮かぶ。
いやいや、思い込みはよくない。嫌味は言われたけれど、あの人は一応はアレンの従妹になるわけで……。
「ソアリス、あぁいうことは俺の方で処理しておくから君は気にしないで欲しい。ただ、手紙はすべて中身を確認した上で君に渡すことになるが」
「わかりました。見られてやましいことはありませんから、確認していただいて構いません」
もしかして、この半年の間もアレンが教えてくれなかっただけで、あぁいう嫌がらせの類はあったんだろうか。邸に届くものはすべて家令のヘルトさんが確認してから私の部屋へ運ばれるから、悪意あるものは事前に間引かれていても納得できる。
考え込んでいると、アレンが私の髪を撫でて言った。
「疲れただろう?明日はドレスの試着もあるんだから、無理するな」
「そうですね、今日は休ませていただきます」
実はまだお披露目のためのドレスが届いていなくて、到着は明日の昼になると聞いていた。
なんでも、急に意匠変更したから仕上がりがギリギリになってしまったのだという。
ドレスはお義父様が用意してくださったそうなんだけれど、急に変更するなんて一体どんなドレスを作ってくれたんだろう?
「楽しみにしています。ドレスも、ダンスも」
「あぁ」
にっこりと微笑むと、アレンもうれしそうに目を細めた。
「あの~」
「「!?」」
突然、背後からユンさんの声がして、私たちはビクッと身を跳ねさせた。
「すっかり終わった感を醸し出しておられますが、アレン様はまだまだレッスンを続けますのでそんなに気を緩めないでくださいますか?」
ユンさんがじとりとアレンを睨む。
「明日にはルードさんが到着しますから、アレン様の仕上がり次第ではまた彼にソアリス様のダンスを任せなくてはいけませんよ?」
「そんなこと許されるわけないだろう!必ず踊れるようになってみせる!」
10分後、私はジャックスさんと一緒にホールを去った。
アレンは明け方まで必死でレッスンを続けていたそうで、ぐっすり眠ってしまって申し訳なくなるのだった。