ピント -焦点-
◆新作出ました! 短編ですけどね。
この小説は
発案者 - 香月よう子様
企画管理者 - 山之上舞花様
宣伝本部長 - 柿原凛様
主催の『眼鏡娘とコンタクト』企画参加作品です。
誤字脱字は一応確認しましたが、もし見つけましたら報告いただけると助かります。
それでは、本編へどうぞ!
――◆◆◆――
「おはよー」
明るい女子特有の高い声が聞こえる。浅い眠りから目覚めた俺は条件反射で
「んっああ、おはよう」
と答えるが、すぐに意識が覚醒し、自身の置かれた状況を思い出した。
ここは教室。机にうつ伏せになって寝ていた俺こと鈴木は、隣の席の女子二人の挨拶に割り込んでしまったようだ。うわぁドン引きしてるよ……やっちまった……
「わ、悪い」
ボソッと謝る俺は二人から視線を逸らし、反対側を向く。背後から聞こえる女子たちのクスクス笑う声が痛い。
ちょっと考えれば分かることじゃないか。スクールカースト下位者の、地味な俺に挨拶をしてくるクラスメイトなんていない。昨日、遅くまで本を読んでいたのがいけなかったのだろう。夜更かしはほどほどにしないとな。
――ガラガラガラ
「おはよう」
俺が一人反省会を頭の中で開いていると教室の扉が開き、澄んだ綺麗な声が聞こえてくる。俺は教室内の空気がわずかに変わったことに気がついた。男子たちの視線が一点に集まっている。理由は単純明快。スクールカースト上位者の里見さまが登校してきたからだ。俺も他の男子たちにならって教室の入り口に視線を向ける。
整った顔立ち、綺麗な瞳。彼女の髪は、外国人の血が混ざっていることを証明するかのように鮮やかなブロンドだ。しかし、彼女の性格は風貌とは大きく違い、おとなしく清楚だった。今時の女子高生のような派手さがない彼女が、地味キャラに成り下がらなかったのはその美貌もさることながら、ひとえに彼女の金髪が明るい印象を周りに与えているからだろう。勉学に熱心で、成績は常にトップ。生徒だけでなく教師からも秀才と呼ばれているほど真面目な生徒だった。
まったくもって幸運だよ、君は。俺だって地味キャラ卒業したくて、中学までかけてたメガネをやめてコンタクトレンズに変えたってのに、結局俺は今でも地味なやつのままだ。
そんな嫉妬にかられながらも、やはり俺は彼女を遠くから見つめる。それほどまでに、彼女は魅力的であった。
――◆◆◆――
静寂に流れる時間。傾きかけた太陽は暖かな虚しさを大きな窓から差し込ませる。
今は放課後。俺が居るのは図書室だ。ここは俺の数少ない趣味の一つである読書が静かにできる場所。故に、俺は図書委員になった。放課後は決まってここに来て、貸し出しの受付や本の整理をしている。とはいえ大した仕事もなく、普段は受付席に座って本を読む。だが、今日の図書室はいつもと様子が違っていた。
「やれやれ、今日は来たのか。それにしても、相も変わらずすごい人気だな」
呆れた顔で俺が見つめる先に、机に座って勉強をする里見さんの姿があった。その周りには大勢の男子が彼女と同じように勉強道具を机に並べたり、少し離れたところで本を片手に立っていたりしていた。しかし、彼らの見つめる先はノートでも様々な情報の書かれた紙でもない。
時たまに放課後、図書室へ自習をしに来る彼女を一目見ようと、あるいは帰りに誘って仲良くなろうと考える男子たちがここに集まるのだ。さすがに彼らも勉強の邪魔をすれば嫌われると思ってか静かにしてくれているのだが、どうにも人が多いと図書室の雰囲気が崩れて落ち着かない。とはいえ、かく言う俺も彼女を遠目で見つめる。しかし、彼らのように彼女に近づこうとは思わない。地味でクラスメイトに本気でドン引きされるような俺が彼女を好きになっていいはずがない。
それでも彼女を見つめたいという欲求に駆られる時、決まって俺は大好きな恋愛小説のヒロインに彼女を重ね、主人公になりきって物語を読みふけるのだった。
――◆◆◆――
「なぁ桜井ぃ、なんで俺たち地味なんだろうな」
本のページをパラリと捲りながら、俺は隣に座る少女に問いかける。
「えっ、えーっとぉ……あまり社交的ではないから、かな?」
唐突な質問に驚きながらも、寝癖だらけの長い黒髪に大きなメガネをかけた少女は真面目に俺の質問に答えてくれた。というか真面目に答えるなよ。漠然とした質問だったのに。
「ぐっ、否定できない……というか桜井、こういう自虐的な質問にピンポイントの答えを返すなよ。そりゃあ自分でも社交的じゃないってことくらいわかっているさ。だからってそう簡単にどうこうできるもんじゃないだろう?」
「そ、そうだね。ごめん……」
こいつは桜井。俺の数少ないともだ……読書仲間だ。いつもオドオドして、人見知りなのかよく人目を気にしている。こいつと出会ったのはつい最近、この図書室でだった。
――◆◆◆――
「さてと、そろそろ本の整理をするかな」
誰に対してでもない独り言を、誰も居ない静かな図書室で俺は呟いた。読み終えた本を、いくつかの本が乗せられたカートに追加する。
――カラカラカラ……
カートを押しながら、俺は次々に本を元あった場所に戻していく。だいぶ図書委員の仕事にも慣れてきたものだ。
「ん? まだ人がいたのか……って何やってるんだ?」
ふと視線を向けたところに、女生徒が背伸びをしながら本棚の一番高い段にある本に手を伸ばしていた。
ん……? よく見ると、彼女が取ろうとしているのは俺のお気に入りの恋愛小説だ。図書委員という立場を利用して他の人に借りられないように取りづらく、かつ見つかりにくい高い場所に置いたのに。なかなか見る目あるな、あいつ。どれ、特別に読ませてやるか。
「はい。これが読みたいのか?」
俺は彼女の横に立つと、例の本を本棚から引き抜いて彼女に差し出す。
「ひぇっ、え? あ、あの、はい……あ、ありがとうございます……」
いきなり俺が現れたことに驚いたのか、オドオドしながら本を受け取り、顔を隠すように俯いてしまった。
ボサボサの髪、大きなメガネ。ザ・地味子って感じの子だな。この時、俺はそう思っていた。
「その本、好きなのか?」
俺は何気なく質問する。彼女もこの小説のファンだとしたら、ぜひ語り合ってみたいものだ。
「そ、その……まだ読んでなくて……気になって、読んでみようかなって……」
「そうなのか。まあ読んでみろよ。結構面白いぞ。面白かったら感想聞かせてくれ」
まあ、まだ読んでいないのは残念だが、興味を引かれたのなら何かの縁だ。これを機に俺の大好きな小説のファンを増やそうじゃないか。
俺の渡した本を胸に抱えた彼女は小さく頷く。
「うん……」
「あ、そういえば君、名前は? 貸し出しリストに入れておくよ」
「わ、私は……桜井……」
「桜井さん、か。貸出期限は一週間だけど、それまでに読み終わらなかったら延長申請してくれればいいから」
そう言って俺は、彼女を置いて再び本の整理の作業に戻った。
これが彼女、桜井と俺が最初に出会ったひと時だった。
――◆◆◆――
それから一週間後、彼女は読み終えた本を手に再び俺の前に現れた。そして、あの本が面白かったという彼女と俺は物語の奥深さ、心揺さぶる場面について熱く語った。
こうして同じ小説のファン同士になった俺たちは放課後になると、よく図書室で一緒に本を読むようになった。沈黙の中、ただ二つの規則的に流れる心地良い音色が聞こえる。時折、先のような何気ない問答や読んだ本の感想を言い合うくらいが俺たちの会話なのだから、社交的ではないとはその通りである。
――パタン
静かに本が閉じる。物語が終わりを告げる、あるいは中断される音。それと時を同じくして、止まっていた時間が動き出したように小さな溜め息が漏れた。
「ふぅ……」
「読み終えたのか? 今度のはどうだった?」
「うん……面白かった。相容れない二人がそれでも惹かれあったのに、離れ離れになってしまう。そんな悲しいお話だったけど、最後のシーンが主人公の気持ちをうまく表現してると思ったかな」
本の表紙を見つめる桜井は内容を思い出すようにそっと題名を撫でる。まだ、物語の余韻に浸っているようだ。
「そうなんだよなぁ。最後の締めくくり方がまた、空しさを強調するんだよな」
桜井の感想を聞いて、同感するように俺もうんうんと頷く。彼女にその本を進めたのは俺なのだ。
俺が賛同するのを見て、桜井は嬉しそうに何かを言おうとする。けれどその時。
「すいませーん。この本、貸してください」
一人の生徒が一冊の本を受付のカウンターに置いた。俺はそれを手早く確認し、貸し出し記録をつけると生徒に本を渡す。
そして再び桜井の方を向くが、すっかりオドオドした元の彼女に戻っているのを見て、俺はわずかに苦笑いを浮かべるのだった。
――◆◆◆――
まったく、今日はツイていない。寝坊はするし、コンタクトレンズを買い忘れて切らしてしまうし。
「母さん、なんで起こしてくれなかったんだよ! ああ、くそっしょうがない。今日はメガネをかけていくか」
作り終えた朝食を食卓に並べる母親に理不尽な文句を浴びせながら、俺は急いで身支度を済ませる。
「起こしたわよ〜」
と優しく反論する母親は、ソファに座るとテレビの電源を点けた。
急いで朝食を掻きこむ俺は無意識にテレビを横目で眺める。
『――そして、残念ながら今日最も悪い運勢の方は……ごめんなさい、ふたご座のあなた!』
画面の向こう側の世界で、華やかな女性がボードに貼られた最下位のシールを剥がす。
星座占いか……俺はてんびん座だから最下位ではないな。よかった。とはいえ、最下位が発表されたということはもう他の順位は発表されたということか。早くボード全体を映してくれ。
時間がない俺は急かすようにテレビを睨みつける。しかし、俺の祈りを裏切るように画面には一位を隠すシールを映し出された。
『ということで、今日最も良い運勢の方はてんびん座のあなた!』
「ブッ!」
お茶を啜っていた俺は、とっさに噴き出してしまう。マジか、朝っぱらからツイてない俺が一位。占いなんて当てにならないな。
呆れてテレビから視線を外し、食べ終えた食器を片付けるべく席を立った俺の耳に、構わず女性が続きを読み上げる。
『気になるあの子に急接近!? ラッキーアイテムは“メガネ”!』
なん、だと……俺は台所までの歩みを止め、バッと踵を返す。普段だったら占いくらいで高校デビューするために変えたコンタクトレンズをメガネに戻そうとなんてしないが、今日は偶然コンタクトレンズが切れている。また、寝坊したために買いに行く余裕もない。
「まさかな……」
俺はずり落ちたメガネをクイっと元の位置に戻した。
――◆◆◆――
「でさぁ――」
「腹減ったなぁ――」
他愛のない会話を楽しげにするクラスメイトたちの声が、いつもと同じように教室内を飛び交う。そう、いつもと同じように、だ。
「はぁ……」
一人つまらなそうにため息を漏らす俺は頬杖をつく。大して期待はしていなかったが、一人くらいは誰か俺の変化に気づいてくれてもいいのにな。フレーム越しに映る風景は、いつもと変わらぬ穏やかなものだ。
――ガラガラガラ
「よーし、じゃあ今日は実験をするぞー……っとあれ? あちゃー実験に使う機材忘れてきたわ」
教室に入ってきた教師は、機材がないのを見て苦笑いする。
「あー確か里見は機材のある場所わかるよな。すまんがとって来てくれないか? 先生、実験の準備をしなきゃならんからな。それと重いからな……鈴木、お前も一緒に行って機材を運んできてくれ」
そう言って教師が指差す先に、教室中の男子たちの視線が一斉に集まる。その視線に悪意や敵意が込められていたことは言うまでもない。
ハハハ……こういう注目は求めていないんだがな。まあ、これでもおそらく、あいつメガネなんてかけてたっけ? と疑問に思うやつはいないだろう。
何人かの男子が普段面倒がってやりたがらないであろう仕事に挙手をする。だが、だれが行くか決めかねている中、里見さんがさっさと機材を取りに教室を出ていってしまったため、結局俺が荷物運びの任を任されたのだった。
――◆◆◆――
機材の置かれた教室で俺と里見さん、二人っきりだった。それもそのはず、今は授業中だ。こんなところに他の生徒がいるはずもない。こんなこと、初めてかもしれない。彼女を独り占め、しかもこんなに近くに……
はやまる鼓動を抑え、俺は生唾を飲み込む。いや、勘違いするな俺っ。偶々、そう偶々だ。こんな状況になったのも、俺にとっては幸運なことだが単なる偶然、むしろ俺みたいなメガネをかけていっそう地味になったやつなんかと二人っきりだなんて彼女にとっては不幸なことだろう。さっさと機材を持って教室に戻ろう。
過ちを犯す既のところで思い止まった俺は機材の数を確認する。
「ねえ、鈴木くんってメガネかけてなかったよね? 今日はどうしてメガネかけてるの?」
お! やっと俺の変化に気づいてくれるやつがいたか。誰だ、図書委員仲間の加賀か? それともこの間、俺と同じ本を読んでた隣のクラスのやつか……ん? ちょっと待てよ……?
「ッ!!?」
俺は驚きのあまり後ずさり、壁に背中を強打する。しかし、背中の痛みよりも驚きが優った俺は驚愕の表情でなおも後ろに下がろうと壁に張り付く。
「えっ!? あ、あの……なんで俺の名前……?」
どうして里見さんが俺みたいなスクールカースト下位者なんかの名前を知っているんだ? 俺、彼女と話したこと一度もないぞ。
「え? だってクラスメイトでしょ? そんなの覚えてるに決まってるじゃん」
当然でしょ? と言わんばかりに彼女は陽気に微笑む。すみません、俺クラスメイトの名前、ほとんど覚えてません……
「そんなことより、ねえメガネどうしたの?」
ああそうだよ。そんなことよりもっと大きな疑問があったじゃないか。
「きょ、今日はコンタクト切らしちゃって……てか、里見さんどうして俺が普段メガネしてないって知ってるの……?」
「そんなの同じクラスなんだから当然でしょ?」
マジか。俺、前の席に座ってるやつの髪型すら覚えてないぞ。
「……っていうのはちょっと冗談かな。本当は図書室で鈴木くんをよく見かけるから。図書委員なんでしょ?」
「あ、ああ」
「鈴木くん、私が図書室にくると違う本読んでても決まって同じ本を読み始めるから気になって見てたの。だから普段となんか違うなって思って、あっメガネかけてる! って気がついたの」
嘘だろ……彼女が、里見さんが俺を見ていただなんて。変な目で見てると思われたくなくて、恋愛小説に現実逃避していたから気がつかなかった……
俺の鼓動が再び急加速する。今朝の占い……今がチャンスなのでは……? ラッキーアイテムはメガネ。まさに今、メガネのおかげで里見さんと話ができている。今は二人っきり。邪魔をする他の男子たちは、今ここにはいない。むしろ今しかないだろう。この先俺の学校生活で、彼女とこんな状況になる可能性は無いに等しい。彼女も多少なりとも俺に興味を示しているようだし、勇気を出せ俺! 無意識に拳に力が入る。俺はキュッと口を結ぶと、黙った俺を見て首を傾げる彼女に意を決して口を開いた。
「あ、あの! 俺、実はずっと前から……」
だが、俺の声はそこで途切れる。どう頑張っても、それ以上の言葉は出なかった。ただ、俺の中に見えたのは目の前の里見さんではなく、いつも図書室の俺の隣で本を読み、オドオドしている桜井だった。
なんで……なんであいつが? 答えなんてとっくに出ている質問を、俺は自分に投げかける。俺はそれに応えるように、その先の言葉を口にすることはしなかった。
――◆◆◆――
「あーあ、せっかくのチャンスだったのに。やっちまったなぁ……」
受付の席に座る俺は静かに嘆く。しかし、その表情に落胆や後悔の念は見受けられない。まったく……俺って男はバカだよな。自分の気持ちを知った今、早く桜井に会いたいと思うだなんて。
今日は桜井、来るのかな。何を話そうか……また本の話だろうな。そんなことを考えながら、俺は桜井が来るのを待ち望む。そんな期待から、俺は無意識に図書室の入り口に視線を向けた。
「ん? あれは……」
図書室の入り口で、ひどくはねた黒髪が尾を引く。俺は確信し、図書室の入り口に向かう。そして廊下を覗いた瞬間、至近距離の桜井と目と目が逢った。
「「あ……」」
お互いに言葉が詰まる。俺は目の前の桜井がメガネをかけていなかったことに、桜井はおそらくメガネをかけていないことによる緊張で。俺が初めてコンタクトレンズに変えた時もそうだった。
「よ、よお、桜井」
「う、うん、鈴木くん……」
「……ま、まあ、とりあえず入れよ」
「うん……」
いつにも増してぎこちない会話。桜井は恥ずかしいのかほんのり顔が赤い。至近距離で目が合った俺は一瞬ドキッとしてしまった。それは彼女の顔が近かったというだけでなく、今までメガネで隠れていたが彼女の素顔が意外と可愛かったからだ。
とりあえず図書室に入った俺たちだったが、お互い黙ったまま本も読まずに座っている。
「そ、その、今日はメガネどうしたんだ?」
静けさに耐えきれなくなった俺はとっさに彼女に問いかける。しかし、桜井も何かきっかけが欲しかったのか、すぐに俺の質問に答え始める。
「きょ、今日は偶々メガネ壊しちゃって、コンタクトレンズ、なの……そういう鈴木くんは?」
「ん? ああ、俺も今日はコンタクト切らしちゃってさ。久々にメガネなんだ。ダサいだろ?」
俺は冗談混じりそう言うが、実際のところ今メガネをかけていることに後悔している。だって好きな人にダサいと思われたくないもの。
「ううん、そんな事ないよ。むしろ私の方が変じゃないかな?」
そんな彼女は恥ずかしそうに目元を手で覆う。
「いや、変じゃないぞ。むしろそっちの方が似合ってるんじゃないのか?」
「そ、そう? じゃ、じゃあ、今度からコンタクトレンズにしようかな?」
ちょっと安心したのか、彼女は目元を隠す手を徐々に退ける。だが、桜井の一言に俺は嫌な考えが浮かんだ。
「そ、それはダメだ! その……やっぱりメガネの方が似合ってる、と思う……」
「ええっ、なんで?」
唐突な俺の手のひら返しに、彼女は驚く。俺は顔を真っ赤に染めながらその答えを伝える。
「そ、その……桜井はメガネ外したら可愛いからきっとモテる。だから……」
俺は赤面した顔を隠すように片手で覆い、顔を逸らす。そして指の間から桜井の顔を覗くと勇気を出した。
「……それは俺が困るっ!」
こんなに早く気持ちを伝えるつもりはなかったのだが、桜井がモテるのなら話は別だ。早くしないと桜井がドンドン遠く離れていってしまう。彼女のように……
俺は再び桜井の顔を覗く。俺の言いたいことが理解できたのか、彼女の顔も赤らんでいた。オーケーがもらえるかどうかわからない。友達でいよう、なんて言われるかも。それでも俺は今度こそ言えなかった言葉を、本当に言いたい人に伝えるんだ。
「お前のことが好きだ! 付き合ってくれっ!」
俺は思わず立ち上がり、彼女に向かって頭を下げる。拳に力が入る。目をギュッと閉じる。永遠とも思える静寂の中、彼女の口から返事が返る。
「ごめんなさい……」
静かに響く声。その声が彼女のものでないと錯覚してしまうほど、信じたくない事実だった。全身の力が抜ける。俺はその場に崩れ落ちた。
四つん這いになった俺は微動だにしない。しかし、そんな俺の前に彼女は膝をつく。俺は虚ろな目で彼女を見上げた。
「でもね、本当は私、鈴木くんはメガネをかけてないの方が似合ってると思うの」
そう言って、桜井は俺のメガネを外す。ぼやけた視界の中、彼女が俺のメガネを自身にかけたことがなんとなくわかった。
「ふふっ鈴木くんって結構目悪いんだね。全然ピントが合わないよ」
澄んだ綺麗な声が聞こえる。目の前の彼女に、あの子が重なる。
「えっ……里見、さん……?」
「あっやっと気づいた! もう、メガネかけてないからすぐバレちゃうと思って図書室入るの躊躇してたのに、全然気がつかないんだもん。鈴木くんって鈍感?」
ぼんやりと見える桜井の声は完全に里見さんの声だった。
「えっ、いや、どうして……」
「今日言ったでしょ? 私が図書室に行くと鈴木くん、同じ本を読み始めるから気になってるって。でも私、みんなから秀才って呼ばれてるでしょ? みんなにとっての私は恋愛小説を読んでいるより、参考書を読む方がいいみたい。でも私、どうしても鈴木くんが読んでいた本が読みたかったの。私があなたのそばにいる時、鈴木くんは何を思い、何を求めてあの本を読んでいるのか知りたくて……だからあの日、私は変装してあの本を借りに図書室に行ったの。そしたらあんな高いところに置いてあるんだもん。困っちゃったよ」
そう言って彼女はかすかに笑う。いきなりの告白だったが、なんとなく理解できてきた。
「でも、そのおかげで鈴木くんともお話しできて、一緒に本を読むようにもなれた。私、嬉しかったの。誰の決めつけにも縛られない、私本来の生き方ができる、それが桜井。本当は地味な私と、鈴木くんは一緒にいてくれた。だから私、あの二人で並んで静かに本を読む時間が好きだったの」
そうか……秀才と称賛される彼女も、本当は俺と同じ地味でおとなしい子だったんだ。けれど、幸か不幸か彼女の美貌とその綺麗な金髪がスクールカースト上位者の地位まで彼女を押し上げてしまったのか。それ故に、彼女は自身の求める生き方よりも周りの求める人物像でいようとしていたのか……
「でも、今朝メガネを壊しちゃって今日は鈴木くんとお話しできないのかぁって思ってたら、実験の機材を取りに二人きりになれたの。だから嬉しくて、里見としてだけど鈴木くんと話したくなって声をかけたんだ。そしたら鈴木くん、私に告白しようとするんだもん。びっくりしちゃったよ」
マジかー告白しようとしてたのバレてた……恥ずかしい……穴があったら入りたい。
「でも、もしかしたら鈴木くんがためらったのって桜井のことを気にしたのかなって思ったら我慢できなくなってバレるかもしれないけどメガネなしで図書室に来てみようって思ったの。そしたら本当に告白してくるんだもん。また、びっくりしちゃったよ」
そうだったのか。まあ、彼女にあの小説を読ませた時点で俺の想いは気づかれていたのだろう。
彼女の声がかすかに震え始める。彼女の表情は見えないが、おそらく泣いているのだろう。
「だからね……たとえどっちの私でも、学校の人気者で秀才として生きる里見より、地味でメガネの本当のなりたかった私として生きる桜井を、好きになってくれてありがとう……」
彼女の手が俺の手に覆いかぶさる。どうやら焦点がズレていたのは俺の方だったらしい。ぼやけた視界で彼女を見る。これじゃあどっちか分かりゃしない。それでも俺は確信する。俺が好きなのは彼女だと。
俺は覆いかぶさる手のひらをそっとやさしく握り返す。俺がメガネをかけてきて、彼女のメガネが同じ日に壊れる。二つの偶然が起きなければ、俺たちはこうして手を繋ぐことはなかっただろう。俺は静かに目を閉じる。ラッキーアイテムはメガネ、か……
――ピント -焦点- 完――
◆いかがだったでしょうか? よく筆者がアニメや海外映画を観ている時の声優さんの声と、実際の顔を晒した状態で聴く声優さんの声がなんとなく違って聞こえる時があるんですよね。やっぱり見た目のイメージが違うと声もそのイメージに合うように脳が勝手に変えてしまうのでしょうか? ふと、そんな疑問が浮かんだので、それを使った作品にしてみました。
今回は企画参加作品となりましたが、新たな挑戦が出来ていい経験になったと思います。今後もいろいろなジャンルの小説を書けたらいいなと思います。