Happy Valentine's Day! チョコレートなカクテル♪
「二月はバレンタインデーにちなんで、お店ではチョコレートっぽいカクテルを特別に出してるの」
昼食を終えて、食器をシンクに運ぶと、奏汰が進んで洗う。
「奏汰くんも、今日はバレンタイン・ライヴでしょう?」
「うん。バレンタインデーの曲っていうと『My Funny Valentine(リチャード・ロジャース、ロレンツ・ハート作詞作曲)』だよな。チェット・ベイカーが無表情に歌うあの暗〜い曲、バレンタインデーにチョコもらえなかったとか失恋したとか、そういう曲なのかと思ったら、全然違ってて」
「……ええ、違うでしょうね」
蓮華がくすくす笑った。
「冴えない男性の恋人に、からかいながらも『ずっとそのままでいて』っていう歌だったんだね。今日は、ピアニストも加わるから、思いっきり聴かせてもらう予定でさ」
「ゆかりさんのヴィオラと、ピアノとドラム、翔くんのギターと奏汰くんのベース……ああ、観たいわ〜!」
「ライヴ終わったら、即行でお店に行くよ。ゆかりさんも連れて」
「お願いね〜」
早めに家を出た奏汰は、ライヴ会場に行く前に寄るところがあった。
デパートのチョコレート売り場だ。
とんでもなく混み合っている。
まだ明るいうちだからと油断していたが、主婦と学生たちが集まっていた。
「そっか、ちょうど学校が終わった時間か」
失敗したと思いながら、キョロキョロと見回し、店を探す。
「えーっと、ゴディバ……ゴディバ……」
以前、蓮華がゴディバのチョコレートが好きだと話していた。
翔には「ゴディバが食べたいって彼女にリクエストされてから買いに行ったら、パシリと変わらないだろ!」とからかわれたので、バレンタイン当日まで素知らぬ顔をしておいて、プレゼントし、驚かせようと思ったのだった。
そうこうしているうちに、なんとかゴディバの店を見つけ出したが、既に列が出来ていた。怯みそうになるが、なんとか並んで順番を待つ。
……どれも高っ!
ショーケースに並べられたものは、奏汰の想像を超えていた。
「どちらになさいますか?」
「えっと、えっと……あ、そうだ、トリュフってどれですか?」
店員の女性に親切に説明してもらい、五個入りのものをなんとか手に入れた。
ライヴは盛り上がり、終了後に奏汰とゆかりが急いで「お疲れさま!」と出て行こうとすると、メンバーたちが冷やかし始めた。
「おい、奏汰、もう浮気か?」
「いくらなんでもマズいだろ!」
「違いますよ!」
振り切ろうとする奏汰の横で、ギターケースを背負った翔が横切った。
「お疲れさまです。俺も子守りがあるんで、お先に失礼します」
「お、おう。若いのに大変だな」
「お疲れ!」
翔に注意が行った隙に、奏汰もゆかりも店を出た。
「ごめんね」
「いえ、大丈夫ですから」
隣で早歩きになるゆかりが、申し訳なさそうな顔になる。
ゆかりの交際は、当然ながら知られていない。マネージャーの兄・孝司と、翔、奏汰しか知らないことである。
ライヴ後に、いつも二人が向かう先が同じ場所であったため、常に二人でどこかに出かけているように見られていた。
といって、時間差で行動すれば、余計にあやしまれる。かつて、こっそりと会っていた二人でも、やましいことのない今は、隠れる必要はない。
『J moon』に来るまで落ち着かなかった二人は、やっと安堵出来たというように閉店後の店の扉を開けた。
「お帰り~!」
「お疲れさま!」
灯りの下で、蓮華と優が歓迎する。
奏汰とゆかりは笑顔になり、蓮華を挟んでカウンターに着いた。
優がカクテルを作り、三人の前に並べていく。
チョコレートのような茶色い液体の上に、生クリームが乗せられ、チョコレートのような色で音符が描かれていた。
「バレンタインデー用のスペシャル・カクテル『シング・シング・シング』です」
「え、ビッグバンドで有名な、あの曲?」
奏汰が意外な顔になった。
「そうよ。ゆかりちゃんも、前に演奏してたわよね?」
「ええ。覚えていてくれたのね! ありがとう!」
蓮華とゆかりが喜んでいると、優がリキュールの瓶を取り出した。
「チョコレートのリキュールには、『ゴディバ』と、『モーツァルト・チョコレート・クリーム・リキュール』があって、モーツァルトの方をお店では使うことにしたんだ。ちゃんとモーツァルトの生誕地ザルツブルクで作られていて、しかも、製造の最終工程ではモーツァルトの曲を聴かせてるみたいだよ」
「へー!」
奏汰とゆかりは瞳を輝かせ、興味津々に瓶を見つめた。
金色の包み紙で包んだ丸い形のチョコレート菓子を連想させるような瓶だ。
「チョコレート・リキュールとブランデー、バニラ・リキュール、ホイップクリームをシェイクして注いで、さらにホイップクリームを浮かせて、そこにチョコレート・リキュールで『♪』マークを描くんだよ」
「甘くて、本当にチョコレートみたい」
ほうっと溜め息を吐きながら、ゆかりが続けてもう一口飲む。
奏汰も「甘いけど美味い!」と言い、瓶を眺めながら、グラスを傾けた。
一息吐いた二人は、この日演奏した『My Funny Valentine』を、ヴィオラと消音ベースで演奏することにした。
「優くんがピアノで、蓮華ちゃんが歌ってくれてもいいのよ」
ゆかりが誘うが、優も蓮華もプロの演奏を聴きたいからと言って遠慮した。
ヴィオラとウッドベースの音色のみのバラード。
演奏する二人にとっても、ライヴよりもシンプルな演奏となり、新鮮で、味わい深さが感じられていた。
演奏が終わると、うっとりと聴いていた蓮華と優が、惜しみなく拍手を送った。
「これ」
アパートに着くと、奏汰が蓮華に細長い箱を渡した。
「あら、ゴディバ! しかも、トリュフじゃない!」
蓮華が、奏汰の首に飛びついた。
「嬉しいっ! ありがとう!」
こんなに喜んでくれるなら奮発して良かったと、奏汰はホッとした。
「あたしも奏汰くんとゴディバのチョコ食べたいと思ってたんだ」
「いや、もったいないから、蓮華だけで食べなよ。蓮華に食べてもらうためにあげたんだから」
蓮華が嬉しそうに食べるところを見られれば、それで充分だ。
「そっか……、奏汰くん、こってりしたチョコ、あんまり好きじゃなかったもんね。だから……」
蓮華は、板チョコを取り出した。
スーパーでは百円未満で買えるガーナチョコだけは、奏汰は時々食べたくなるのだった。
「俺は、それで充分! ていうか、それが食べたかったから嬉しい!」
紅茶を用意し、テーブルに着くと、さっそくそれぞれのチョコを食べ始めた。
蓮華が、きゅーっと肩をすくめ「ん〜っ! やっぱり美味しい〜っ!」と言いながら、奏汰の肩をバシバシと叩いた。
笑った奏汰も、板チョコを一列一気に食べる。
ライヴの後は疲れるせいか、無性に甘いものを補給したくなる時もある。
「こうしたら、もっと美味しく食べられるんじゃない?」
奏汰の板チョコを一列だけ折った蓮華は、端を奏汰にくわえさせ、もう片方の端を自分がくわえた。
チョコレートが短くなる度に、甘さは増していく——
*
「さっきの演奏、どう思った?」
優の横から、ヴィオラのハードケースを持ち歩くゆかりが顔を出し、尋ねた。自分の楽器は人には運ばせないものだった。
「うん、良かったよ。ヴィオラとベースだけなんて滅多に聴かれないから貴重だった。素敵だったよ」
優が微笑むと、ゆかりは、からかうような目になった。
「妬いた? 私と奏汰の息が合ってたから」
「え? ああ、そうだね」
笑った優に、ゆかりが「じゃあ、『妬いてる』って言ってみて」と、冗談口調で言った。
「妬いてる、妬いてる」
「わざとらし過ぎるでしょ」
ゆかりが優の背を叩く。
ふいに、立ち留まり、背伸びをした。
優が不思議そうな顔で、それを見る。
「どうしたの?」
「……やっぱり、届かないわ」
溜め息を吐くと、「それなら、それで」と切り替えたように、にっこり笑った。
「届かないから、キスはいつも優くんからしてね」
「何かと思ったら……」
優が可笑しそうに笑った。
「背が高いと、損してることもあるね。女の人からは、ちゅーしてもらえないとか」
「座ってくれたら出来るわ」
ゆかりがそう言うと、優がしゃがんだ。
「ちょっと、今!? こんなところでやめてよ」
慌てるゆかりを見て、満足そうな笑顔で、優は立ち上がった。
「もう、優くんたら」
アパート近くのいつものコンビニエンスストアに向かおうとする優を、腕を引っぱり、ゆかりが引き留めた。
「今日は、向こうのコンビニに行きたいわ」
「え、そうなの? 道路の向こう側だし、面倒じゃない?」
「欲しいものがあるの」
夜中ではあっても、車がぽつん、ぽつんと連なっている。向こう側に渡るには、信号を待つより、歩行者は歩道橋を使うのが習慣になっている。
歩道橋の階段を登り、頂上が近付くと、ゆかりが数段駆け上がり、先に着いた。
後から上って来た優の肩に、ヴィオラを持たない方の手を乗せ、唇を重ねた。
そのまま立ち留まる。
優の手が、ゆかりの頬を包むように添えられた。
「……欲しいもの、確かに、こっちにならあったね」
優が、正面から見つめた。
「チョコレート味のゆかりさん」
「もうっ、ヘンなこと言わないで!」
あははと笑った優を、憎々し気に見ていたゆかりの瞳は、徐々に柔らかくなっていった。
【シング・シング・シング】
チョコレート・リキュール、ブランデー、バニラ・リキュール、ホイップクリーム
『My Funny Valentine』
Richard Rodgers & Lorenz Hart 作詞作曲




