Ⅷ.(8)報告1
新宿にあるバー『Limelight2』は、銀座にある本店と違い、カジュアルな店でライヴも楽しめる。
奏汰と翔のライヴが終了すると、ステージ近くのテーブル席から、スーツを着た紳士的な白髪の年配者が話しかけた。
「きみたちの曲には色々な要素が感じられる。いやあ、若いのに勉強熱心だな」
「ありがとうございます!」
奏汰は嬉しそうに笑い、翔も会釈をすると、老人と目が合った。
「きみは、大分前にも、ここや他の店にいなかったかな?」
「あ……」
翔が高校生の頃、新宿のライヴ・バーや、銀座の『Limelight』でも他のバーでも会ったことがある、ジャズ好きな老紳士として見覚えのある人物だった。
「懐かしいな! あの時の暴れん坊が、立派になって!」
老人は愉快そうに笑った。翔は「いやいや、お恥ずかしい」と照れながら、愛想を振りまいた。客の前では「地」はひた隠しにしている彼を見ると、奏汰はいつも笑いたくなるのをこらえるのだった。
「そして、きみのことも、ちょくちょく見かけていた。アメリカ帰りだそうだな」
にこやかに見つめる老人に、奏汰はさらに嬉しそうな笑顔になる。
「はい、ありがとうございます! ジャズ・ピアニストでオルガニストのベニー・ホワイトのレコーディングに、翔と一緒に参加してきて、その後もしばらく向こうにいたんですが、少し前に帰ってきました」
「私はジャズオルガンも好きでな、ベニー・ホワイトが来日した時も聴きに行くし、ニューヨークに行った時にはベニーのいる『Sidecar』に必ず寄ることにしているのだよ」
「『Sidecar』! ニューヨークにいた時、俺、そこでカクテル作りながらベニーとライヴやってたんですよ!」
「そのようだな」
「……え? これも、ご存知だったんですか?」
喜んでいた奏汰だが、ふと思った。このご老人は、なぜそんなに詳しいのか?
翔が、いきなり奏汰の肩を叩く。
「それじゃ、俺はお先に失礼するから、お前は、水城さんとゆっくりしてろ」
「水城さんて……、まさか……!?」
奏汰はそのままの姿勢で硬直した。
そんな彼を見て、顔を綻ばせた老紳士が言った。
「ちゃんと話すのは初めてだったな、蒼井奏汰くん。最も、蓮華と琳都から聞いて、演奏はこれまでも聴かせてもらっていたが」
翔がニヤニヤしながら帰って行った後は、カウンターに移った奏汰は、白髪の紳士の隣で、緊張しながらジントニックを少し口に含んだ。
『J moon』のオーナーであり、さらに蓮華と琳都の祖父である男は、ウィスキーをストレートで頼み、チェイサー(水)を並べて置いた。
一見にこやかな老紳士だが、こうして隣にいると、隠し切れない荘厳なオーラが、奏汰には感じられていた。蓮華の父親の父でもあり、育ての親でもあると思うと、彼女の父親よりもさらに強大な人物だと身構えてしまいそうになる。
だが、ここで怖じ気付いてばかりはいられないと思い直した。もしかすると、打ち明けることになるのだから、と。
祖父は、奏汰が『J moon』でアルバイトをしていたことも、橘にジャズを習っていたことも知っていた。
しばらくは奏汰とジャズの話に興じ、ニューヨークでの話も聞きたがった。話すうちに、奏汰の方も緊張が少しずつ解けていった。
ジントニックがなくなり、ウィスキーもゆっくりと減っていくと、頃合いを見計らったように、祖父が切り出した。
「蓮華と付き合っているそうだな。話は聞いているが、きみの話も聞いてみたいと思ってね」
話していいのだとわかると、奏汰は自然と覚悟を決めた。
「……本当は、こんなお酒の場ではなく、きちんと俺の方からご挨拶にうかがわないとならないのですが……」
「構わんよ。もう一度、きみの演奏を聴いてみたかったし、きみも一杯くらい飲まなくては、初めて会った、しかも、恋人の、育ての親も同然の年寄りなんかには、なかなか本音は語れんだろう」
またしても、奏汰は硬直しかけた。
チェイサーを口に含んだ祖父は、まったく酔っている様子もなく、黙って奏汰の言葉を待っていた。そこに、威圧感のようなものは感じられない。
「俺、蓮華さんと、……一緒になりたいと思ってます。俺には、蓮華さんが必要なんです」
わずかな時間の沈黙ですら怖かった。
祖父はグラスを置き、奏汰の目を見つめた。
「今度、正式な会食をしよう。そちらに蓮華を連れて行ってからで構わんよ。こちらは、私が場所を用意しよう」
はっとした奏汰は、すぐには言葉が出なかったが、背筋を伸ばし、なんとか頭を下げた。
*
「俺、結婚する」
『J moon』従業員たちが驚いて、カウンターで珍しくギムレットを頼んだ奏汰に注目した。カウンターにはワイルド・キャッツのメンバーが並んでいる。
「は? お前、今いくつだっけ?」
奏汰とも親しくしていた従業員のタケルが、動揺を隠し切れない顔で尋ねた。
「二五にはなったよ」
「……だ、大丈夫か?」
「その前に、相手いたのかよ? まさか、ニューヨークにいるとか国際結婚するだとか言わないよな?」
ハヤトが目を丸くし、タケルもうろたえたままだった。グラスを拭いていた高校生アルバイトも、よくはわかっていないが無言でただ目を見張っている。
「おめでとう!」
横から顔を覗かせた優が、満面の笑みになって、ギムレットを差し出した。
「ありがとうございます!」
やっと祝福の言葉が聞かれ、安心した笑顔になった奏汰は、やっぱり、こういう時も優さんはさすがだなぁ、と心強い思いがしていた。
みなとみらいで蓮華と互いの気持ちを確認し合った後で優に打ち明けた時のことが思い出される。
「すみません! 俺から優さんに蓮華を托したのに」
優は笑って答えた。
「僕じゃその役目は務まらなかったみたいだから。蓮ちゃんは、ずっときみを待ってたよ。ちゃんと応えてあげてね」
「……はい!」
蓮華のことはちゃんと考えてはくれていただろう。
優には詳しくは聞かなかったが、二人が一緒にならなかったのは、二人がよく考えた末なのだと、奏汰には感じられた。
そんなことを考えていると、
「ふつつかな姉ですが、よろしくお願いします」
奏汰の隣で飲む琳都が、かしこまって頭を下げた。
「あ、ああ、いや、こちらこそ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
奏汰も琳都に頭を下げた。
「え……ってことは、まさか……ママと!?」
「ええっ!?」
ますますハヤトとタケルが驚き顔になる。
「ええっ!? ママって、優さんと結婚するんじゃなかったんスか!?」
高校生アルバイトが更に驚いていた。
「バカッ! 誰もが思ってたことをデカい声で言うなよ!」
「奏汰が気にすんだろ!」
「え? ええっ?」
タケルとハヤトが、わけのわかっていない高校生の背を叩く。
「お前、こんな新米にまで、こんなこと言われてんのかよ! 可哀想ーっ!」
と、翔がゲラゲラ笑い出すと、奏汰がぶすっとむくれた。




