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Ⅴ.(7)二人の狭間で

 軽音楽の部室では、レパートリーの数曲を合わせ、一通り練習が終わる。

 雅人が総菜パンと缶コーヒーでくつろぎ、奏汰と翔は、レコーディングで共演する『Night and Day』のスローなボサノバ・バージョンを練習していた。

 その合間に、奏汰が切り出した。


「琳都がいると言いにくかったんだけど……、あのさ、同時に、二人を好きになるなんてこと、あるのかな?」


 その直前に、二人の女子が「失礼します」と入ってきたことに、彼は気付いていない。


 怪訝そうに顔を上げた翔と、ぎょっとして目を見開いている雅人、どことなく顔を赤らめながら、思い切って打ち明けた奏汰とを見比べた、腕に「広報」の腕章を付けた二人は、「ごめんなさい! お取り込み中に、すみませんでした!」「出直します!」などと言いながら、慌てて出て行ったのだった。


「あ、待って! 誤解だよ! 俺はノーマルだからねー!」


 すぐさま、雅人が追っていく。


「こら、雅人! 自分だけ弁解するんじゃねーっ! 俺だってノーマルだって、そいつらに、ちゃんと言っておけーっ!」


 ドア越しに翔が叫ぶが、三人の姿はすぐに見えなくなった。


「何の話だ?」


 キョトンとしている奏汰を、翔は、じろっと振り返った。


「とにかく、全部、お前のせいだからなっ! 最近、お前のせいで、ホント迷惑なことになってんだぜ。後で、俺たちに一杯おごれよ」


「ああ、そう? わかった」


 「まったく……」と、ぶつぶつ言いながら、翔はギターの練習に戻り、奏汰も黙ってベースの弦を弾いた。




「それで、さっきは、何を話そうとしてたんだ?」


 居酒屋では、中ジョッキのビールを、ガブッと飲んでから、珍しく、翔から奏汰に尋ねた。中ジョッキを手にする雅人も、奏汰の言葉を待つ。


「うん……」


 ジョッキをテーブルに置いた奏汰は、少しの間、俯いてから顔を上げた。


「同時に、二人の女性を好きになるなんてこと、本当に、あるのかな?」


「な~んだ! 俺たちのことじゃなかったんだな! 良かった! ……ってことは、……お前、それ、ヤバくない?」


 頭の中で、奏汰の言葉を繰り返すうちに、焦って彼をまじまじと見つめる雅人だったが、翔は、特に驚く様子はない。


「へー、お前でも、浮気すんだ?」


「前にも、一回あって。同世代の女の子と」


 相手が美砂だということは、美砂に憧れていた雅人の前では伏せていようと思い、奏汰は、あえて同級生と言わずに、同世代と言った。


「その女の子のことも好きだと思ったけど、その子には『恋』で、蓮華には『愛』だって気付いた。今回も、両方、やっぱり好きで。一時いっときのことは、浮気だろ? 音楽から発祥した疑似恋愛だって、お互いわかってる。でも、止められたくない。彼女も、ますますいい音楽を奏でてて、俺もますます彼女の音楽にかかわっていたいと思った」


「お、おい、ちょっと待て。まさか、その相手って……まさか!?」


 翔が動揺し始め、絶句した。


「ん? 誰だ? 翔も知ってる人なのか?」


 雅人は、翔の様子を不思議そうに見ていた。


 翔が、やっとのことで口にした。


「俺でさえ、あんな大物、口説こうとは思わなかったぜ!」

「口説いてないよ、成り行きだよ」

「はあ!? どこをどうしたら、成り行きで、そんなことになんだよ、お前みてぇなコドモなヤツと、あのひとが!」


 雅人は、翔と奏汰を交互に見て、ぽかんとしている。


 咳払いをしてから、翔は、いくらか冷静さを取り戻した。


「……ま、本当に成り行きでそうなったら、断れない気持ちはわかるけどな。確かに、いい女だし、俺だって、絶対断らねえし」


 翔が、ジョッキを傾けた。


「あのバーのねえちゃんをつなぎ止めてるくらいだから、お前には、大人の女を惹き付けるモンがあるのかも知れねえが……俺には、サッパリわかんねぇけど」


「俺も、わかんないよ」


 翔に、そう答える奏汰を、雅人も頷きながら、「俺も。翔なら、わかるけどなー」と言い、イカとじゃがいもの煮物をつまみながら、奏汰を改めて眺めた。


 もともとは垢抜けていなかったはず。自分ともさほど変わらない同級生だと思っていた。

 生まれつきの茶髪と大きめのつり目を、格好良いと言っていた同級生の女子もいたが、童顔であるのがマイナスポイントだと、奏汰本人も雅人も思っていたのだ。


 それに比べ、翔は、俳優やタレントだと言っても通るほど、整った顔とスタイル、着こなし等で、大学でも目立つ存在であり、先輩から後輩まで注目を浴びていた。ライヴでも、女性ファンが多かった。


 雅人は、不思議でならない様子で、奏汰を見つめ、首を傾げていた。


「それで、お前は、あのひとと、ねえちゃん、二股かけてんのか? それとも、あのひとに乗り換えるつもりか!? まさか、もうやったのか!? この俺でさえ、リスペクトし過ぎて手を出せないあのひとの彼氏が、お前ごときだなんて、そんなことは認めねえからな!」


 凄んでみせる翔に、奏汰は、唖然としてから答えた。


「やってないし、彼氏ってわけじゃないよ。彼女が求めてそうな時だけ、……こう、ぎゅっと……」


 奏汰が抱きしめる素振りをする。


「わかった。もうわかったから」


 はあ、と翔が、がっかりしたような溜め息を吐く。

 「うわ~……」と呟いた雅人の頬が、赤らむ。


「彼女は彼女で、蓮華とはまた別で。だから、蓮華への想いが薄れることはないんだ」

「ああ? なんだと?」


 翔も雅人も、眉間に皺を寄せる。


「やっぱり、これって、おかしいよな? 翔、お前、しょっちゅう浮気してただろ? それは、どういう感じだったんだ? それを訊きたかったんだ」


 奏汰が、真面目に翔を見つめた。

 救いを求めるような瞳だった。


「相変わらず、普通は訊きにくいことをズケズケと……」


 翔は顔をしかめ、苦笑した。


「俺のは、はっきりと、『浮気』だって言える。狩りみたいに、女を振り向かせ、征服すれば気が済んだからな。ま、疑似恋愛だろうな。菜緒に対しては、どっちかっていうと、お前と、あのバーのねえちゃんの方なのかな。お前たちと同じく、俺と菜緒との関係は、簡単には壊れない気がする。だけどな、今のお前の疑似恋愛は、まったくの奉仕活動だぜ。そんなんで、お前はいいのか?」


「いい」


 断言する奏汰を、翔は見据えた。


「そのひとのこと、好きではあるんだ。蓮華の場合は、蓮華本人を好きだけど、その人に対しては、根底は『音楽』で。だから、人間的に好いているのかっていうと、微妙にズレてるのかも知れない。でも、今すぐやめるなんて出来ない。彼女とは、可能な限り、音楽を一緒にやっていきたい。でも、蓮華のことも大事で、心から好きなのは、やっぱり蓮華なんだ。蓮華だから、こんな変な状態も理解してくれてるんだし」


「はー。……まったく、お前みたいな真面目で不器用なヤツが、下手に浮気なんかすると、いらない苦労することになるぜ!」


 やれやれと、翔は、呆れて奏汰を見た。


「でも、割り切ってはいるんだな?」

「うん」


 決意の固そうな奏汰を、半分感心したように見ていた翔だが、改めて、じろじろと見直した。


「しかし、……お前が浮気ねぇ……。似合わねぇな」

「浮気じゃないよ」

「お前はそのつもりでも、はたから見たら、浮気の部類だぜ」

「あ、ああ、……うん」


 否定し続けていた奏汰であったが、認めざるを得ないように頷いた。

 雅人が、二人を見ながら言った。


「俺なんか、浮気なんてしたことないよ。彼女がいた時だって、他の女の子と浮気するなんて面倒臭くて。俺、そんなに器用じゃないし。浮気すると隠さないとならないから、アリバイ作ったり、両方に対してマメじゃないと、同時進行なんてとてもとても出来ないだろ? 隠し事に頭使って、神経使って、そんなの疲れるぜ。そんな思いするくらいならモテなくていいし」


 雅人が笑う。


「まあ、俺は、浮気してても別に隠そうとしなかったし、奏汰の場合も、ねえちゃんたちそれぞれが公認みたいなもんだからな、そういう苦労はしてないわけだが」


 翔が、笑いもせずに言った。


「お前ら! それは、お前らの『本命カノジョさん』たちが、寛大過ぎるぜ! いくら相手が年上だからって、その寛大さに甘え過ぎだろ? 隠し通すのが礼儀だ! 普通なら破局だぜ、破局!」


 雅人が一喝するのには、二人とも、言い返せないでいた。


「……雅人が一番良くわかってるよな。人生うまくいくような気がする」


 奏汰が、尊敬の眼差しで、雅人を見た。


「ホント。お前、一番先に結婚するんじゃねぇの?」


 意表を突かれた翔も、感心したように、雅人に注目する。


「えっ、そうかな?」


 途端に、雅人は、ヘラヘラと笑うと、中ジョッキをおかわりした。




「ちょっとお願いがあるんだけど」


 そうメールで呼び出された翔は、ゆかりと居酒屋に来ていた。

 ゆかりは、中ジョッキのビールを飲むと、カウンターの隣に座る翔に、微笑みかけた。


「今日は、奏汰は、ベースのレッスンの日よね?」

「はい。今頃は、吉祥寺ですね」


 ビールを一口飲んだ翔は、ジョッキを置き、これまで女たちを落として来たスマイルで、ゆかりに応えてみせた。


 奏汰不在の日に、自分に声をかけたということは、俺にも脈があるはず! と、確信していた。

 外見でも、音楽面でも、自分が奏汰に劣るはずはないのだから。


 ゆかりは、微笑みを絶やさず、尋ねた。


「翔は、奏汰と一緒に住んでるんでしょう? 彼と付き合いは長いの?」

「そんなでもないです。一緒に住んだのだって、半年も経ってないし」

「そうなの? でも、演奏は息が合ってたわよ」

「ああ、二人で散々練習しましたから。あなたと共演するために」


 熱い視線を、ゆかりに送るが、ゆかりが意識して頬を染めるということはなかった。

 その代わりに、微笑む彼女の瞳が、きらりと光った。


「それで、……翔なら知ってるわよね? 奏汰の彼女のこと」




 翔とゆかりは、電車で横浜に着くと、並んで歩いていた。


「どうしても、私は、そのひとに会わなくちゃいけないの。だから、お願い!」


 居酒屋で、ゆかりに、そうせがまれた翔は、逆らえず、たじろいだ末に、「……まあ、あのねえちゃんなら、なんとか出来るか……」と思い、横浜まで来てしまったのだった。


「あら、ここって、前にも来たことあったわね」


 ゆかりが辺りを見回した。


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