Ⅲ.(4)立ち入り禁止令
奏汰のところに兄の潤が居候してから、蓮華の立ち入り禁止令は、まだ解けておらず、説得のための、蓮華と潤のデートも何回目かになっていた。
『J moon』閉店後、二人は別のバーへ訪れていた。
「何を怒ってるの?」
「別に怒ってなんかいませんよ」
蓮華の質問に、潤は、ぶすっとして答えた。
「僕は、あなたがわからなくなりました。そのままな人だと思っていたのに。優さんと、一〇年間も関係を続けていたなんて」
「ああ、なんだ、そんな話? 関係っていったって、友達関係だけどね」
蓮華が、さらっと答える。
潤は思い出していた。
奏汰がスマホゲームをしている時だ。
ふと、潤が、『J moon』で感じたことを振ってみた。
「優さんてお店のバーテンダーと、蓮華さんは随分親しいんだな」
「ああ、そうだよ。一〇年も付き合いがあるからね」
「一〇年!? お前、……平気なのか?」
「だって、気にしてもしょうがないし。彼女、実は優さんのこと好きなんじゃないかって思ったこともあって、実際、俺も優さんに引け目を感じることも多いんだけど、優さんのことは俺も好きだし、人間的に魅力のある人だって認めてるから、張り合ってもしょうがないんだ。今の俺は、彼女が例え優さんのことを好きでも、他の誰かを好きになったとしても、彼女をずっと好きでいられると思う。ま、今のところは、彼女が俺を好きでいてくれてるのはよくわかるから」
潤が、蓮華に視線を戻す。
「あなたは、奏汰がいなくなっても優さんがいるから平気だと、だから、奏汰を自由にさせるなんて言えるんだ。それじゃあ、ますますあなたと奏汰との交際を認めるわけにはいきません」
頬杖を付いた蓮華は、顔色を変えるどころかにっこりと言った。
「随分、見上げた兄弟愛ね。潤くんて、弟思いなのね」
「そんなんじゃ、……ありませんよ」
「じゃあ、なあに?」
蓮華の微笑みから、一度目を反らした潤はキッと視線を戻した。
「どうしたの? 今日は、なんだかコドモみたいよ?」
「僕が年下だからってからかわないでください。真面目に答えて下さい。本当のところ、優さんとはどうなんです?」
ますます、潤が、じっと蓮華を見据える。
蓮華が、溜め息を吐いた。
「やれやれ。あなたはね、正面から向かって来るのはいいんだけど、カタすぎるのよ。そんなんじゃ、女は皆逃げてっちゃうわよ」
うっと、潤が言葉を詰まらせた。
店を出ると公園に移動した。暗い海を眺める蓮華の少し後ろに立つ潤は、元気がなかった。
「どうしたの? さっきから黙り込んじゃって」
「落ち込んでるんです。放っておいてください」
ぷいっと、潤は横を向く。
「はいはい、じゃあ放っとこーっと」
そのまま、ひとりで蓮華は海を見る。
後ろの潤がたまりかねて口を開いた。
「……冷たいんですね。僕は、あなたの言葉で傷付いて落ち込んでるのに」
「潤くんが、あまりにもカタブツだから、サジを投げたのよ」
「ひどいなぁ、結構気にしてるのに……。同じようなことを、前に付き合っていた女性に言われたことがあるんです。彼女は、僕が結婚まで考えた人でしたが、彼女の方にはそこまでの気はなかったんです。
僕がからかわれていただけなんだって、ずっとひがんでいたけど、もしかしたら違ったのかも知れないって、最近になってわかってきました。
あなたと会うようになってから、彼女の気持ちも何となく理解できた気がしました。結局、僕は彼女を束縛していたんだと。今思えば、彼女が去って行ったのも当たり前かと……」
蓮華は、顔だけ振り返った。
「それで、過敏に奏汰くんのこと心配してたのね。同じような目に合うんじゃないかって」
潤はこれまでの勝ち気な表情から一変し、険の取れた顔になっていた。
「……すみません。今では、蓮華さんのことは、そんな人じゃないってわかってますから」
「奏汰くんにも、言ったことあるけど、もうちょっと肩の力抜いてみたら?」
「……そうですね」
「自分に自信持つことね。潤くんはイケメンなんだし、中身もいい男なんだから」
「そ、そんなことないですよ」
潤が慌てると、蓮華は人差し指を振った。
「そういう時はね、『蓮華さんも、いい女ですよ』くらい、言えなくちゃ」
「あ……、そうですね……」
微笑する潤に、蓮華は意地悪く言った。
「だからって、そのまま言うのはダメよ。こういうことは言われる前に言わなくちゃ」
「えっ、じゃあ、なんて……?」
「自分で考えるのね。オリジナリティーがないと、女はついてこないわよ」
「うーん……」
「ほら、また真面目になってる。頭で考えてもだめよ、もっと感覚で勝負しないと」
「感覚……?」
潤が、ハッとした。ようやく理解した。
「また、僕のこと、からかってません?」
「バレた?」
こら! と、潤がわざと拳を上げると、蓮華がきゃっきゃと逃げる。
蓮華の腕を引き寄せ、潤が素早く抱きしめた。
すぐに離れた二人の視線が、絡み合う。
「お仕置きです。からかってばかりだから」
潤は、真面目な表情になっていた。
そんな彼の顔を、蓮華はじっと見つめた。
「潤くんて、奏汰くんと似てるのね。六年後の奏汰くんも、こんな感じなのかしら……」
「今は、他の男の話はしないでください。例え、弟でも」
潤は、蓮華を抱きしめる腕に力を込めた。
しばらくして、頬を染めた潤が、照れたように静かな口調で言った。
「さっき、優さんのことであなたを責めたけど、奏汰の肩を持ったというよりも、本当は……僕自身が妬いてたから……なのかも知れない……」
やさしく包み込むような目で、蓮華が潤を見上げた。
「あたしは、わかってたわよ。あなたは、もう、あたしを好きだってね」
「わかっていながら、からかっていたなんて、ひどいな」
「だから、お仕置きされてあげたんじゃないの」
「こんなもんじゃ、僕の気は済まない。覚えててくださいよ」
「ほんと、見上げた兄弟愛だわ。弟のカノジョを取ろうっていうの?」
「あなたも僕を好きになれば、あとは、あなたと奏汰が『二人で決めること』なんでしょう?」
「そううまくいくかしらね。あたし、奏汰くんの方がずっと好きよ」
「でも、僕のことだって、ちょっとは好きでしょ?」
「ちょっとはね」
蓮華は、にっこり笑ってから離れた。
「でもね、潤くん、あたしが今まであなたとデートしてたのは、奏汰くんとのことを認めて欲しかったからなのよ。それはわかってる?」
「ええ、わかってますよ。僕は、あなたのことは認めてます。ですが、奏汰はあなたにふさわしくない。歴とした社会人であるあなたには、同じく歴とした社会人である僕の方が、社会的にもまだ近いでしょう?」
そのように、しれっと応えた潤に、蓮華は、あんぐりと口を開けた。
「仕事に就き、真っ当に働くからこそ社会人と言えるんです。あいつは好き勝手なことをやっているだけですから。税金だってちゃんと払ってるんだか」
「一応、あたしの店では、アルバイトでも源泉徴収してるから。臨時講師の分も、おそらく税金引かれるはずだけど」
「にしても、僕とは、金額が違うはずです」
「……あなたが何を言いたいのか、なんとなくわかるけど」
「僕は、『キープ』で構いません」
「はっ?」
意外な言葉に、思わず蓮華の目が丸くなった。
「あなたが仕事に疲れて、続ける自信がなくなったとか、もしくは結婚したくなったとか、そんな時に僕を思い出してくれればいいんです」
蓮華は、潤の一途な瞳を改めて見つめた。
「奏汰は、あなたの言うように、いずれあなたより他のものを……音楽を取ってしまうかも知れない。僕はそんな時のための『保険』でいいんです。だから、今すぐだとか数年後だとか、約束はしなくてもいいんです」
「そう……ありがとね……。でもね、あたし、結婚なんてしたいわけじゃないの。誰か男の人が側にいないとダメだとか、そういうのでもないの。だから、待ってくれなくていいのよ」
蓮華の笑顔は、潤をそれ以上近づけさせなかった。
*
「ただいまー」
奏汰と優だけが残る『J moon』に、蓮華と潤が現れた。
「奏汰、蓮華さんをうちに呼んでもいいぞ。立ち入り禁止令は解いてやる」
「ほんとか!? 兄貴、住むとこ見付かったのか?」
「いや、俺は出て行かない。フェアに行こうじゃないか!」
「フェア……?」
奏汰が怪訝な顔をする。
「お前ばっかり蓮華さんとこっそり会うなんてずるいぞ! だから、蓮華さんがうちに来る時は、お前が出て行け!」
「は? どういう……まさか、兄貴……、蓮華のこと……!?」
蓮華も優も唖然として、潤を見る。
「お前がもたもたしてるんだったら、俺が蓮華さんをもらうからな!」
「もたもたって……、兄貴が邪魔してるんじゃないか!」
「はあ、やれやれ、情けない。人のせいにするとは。これじゃあ、時間の問題だな」
潤が肩を竦める。
顔をしかめて、まじまじと潤を見ながら、奏汰がぶつぶつと言った。
「ホントにわかってんのかなぁ。兄貴、昔っから思い込み激しいから」
優は呆れた顔で、蓮華を見た。
「どうせ、蓮ちゃんが仕掛けたんでしょ?」
蓮華が困ったように笑う。
「断ったつもりだったんだけど、……うまく伝わらなかったかしら?」
結局、「蓮華はうちに来ちゃダメだ! 危険だ!」と、蓮華の立ち入り禁止令は、奏汰が発令したのだった。




