Ⅲ.(3)兄弟その2
※2018.9.25 改稿しました。
数日後、『J moon』を早めに上がった蓮華は、潤をワイン専門店へ誘っていた。
「友達に教わったお店なの。国産ワインもあるのよ。潤くん、好きなワイン選んでくれていいわよ」
潤は、山梨県産の赤ワインを一つ選んだ。
「潤くんも、奏汰くんと同じで、ワインは赤が好きなのね」
蓮華が微笑ましく笑うが、潤は笑わない。
「どう? 兄弟水入らずの生活は」
赤ワインに口をつけてから、蓮華が尋ねた。
潤が、やっと口を開く。
「夜は、奏汰が遅いし、朝は、僕が早いから、あまり顔を合わせてませんね。あいつも、あまり口を利かないし」
「そうなの? あたしの話とかしてないの? 『水商売の女に騙されてるんだろう?』……とか」
潤が気まずそうに蓮華を見る。
「……ええ、まあ……そんな忠告はしましたが……」
蓮華は気を悪くした様子もなく、美味しそうにワインを飲む。
「潤くん、彼女は?」
「今はいませんよ。生憎、僕は、奏汰のようにはモテませんから」
「どうして? 潤くんだってイケメンじゃない? よく見たら、奏汰くんとちょっと似てて、かわいい顔立ちしてるし」
潤は、そんなお世辞は真に受けないぞとばかりに、いかにも警戒するよう蓮華を見た。
「奏汰の事、弄ぶのはやめて欲しいんです。あいつはまだ子供だから、大人の女性がただ珍しいだけなんです」
「奏汰くんは子供じゃないわ。少なくとも、あなたよりはね」
むかっとしたように潤が蓮華を見るが、構わず続けた。
「音楽の才能もある人は、いい男になる素質もなくちゃね。音楽バカはいっぱいいるけど、それだけじゃだめなの。そのためには、いい恋愛をしていかなくちゃ」
「それで、あなたが相手してやってるってわけですか?」
「あたしはただの教育係よ。あたし程度じゃなくて、もっと大人で素敵な女性に、本気で惚れられるくらいじゃなくちゃ」
「それじゃあ、奏汰だって、そっちの女性の方が良くなっちゃうんじゃないですか?」
「……そうなのよねぇ」
ショックを受けるようでもない蓮華は頬杖を付き、視線を反らした。
「でも、あたしにはそれを止める権利はないから。そうなったら哀しいけど、あたしのもとから去って行かれちゃってもしょうがないわ」
「そんなことで簡単に諦めてしまうってことは、奏汰のことを本気で好きなわけじゃないんですね」
「……」
蓮華は黙ってワインを一口すすると、再び潤を見て微笑した。
「奏汰くんはまだ若いし、いろんな可能性を秘めているわ。それを抑えてしまうなんて、あたしには出来ないの。いくら好きでも、しちゃいけないことってあるじゃない?」
「……いくら好きでも、しちゃいけないこと……」
蓮華の言葉を反芻すると、潤は何かを考え込むよう黙った。
「都合のいい女みたいだけど、奏汰くんのことは自由にさせてあげたいの。彼を知れば知るほどそう思うようになっていったの。こういう愛し方も、あっていいんじゃないかしら?」
静かな蓮華の声に顔を上げた潤の目は、どこか遣る瀬ないように彼女を見つめていた。
「それで、あなたは、……満足するんですか?」
「さあ……。あたしもあんまり大人じゃないからなぁ。本当は耐えられないと思うわ。要するに、強がりを言ってるわけ」
にっこりと笑う蓮華は、再びワインに口をつける。
潤は笑えそうにない。どこか同情するようでもある視線を彼女に向けるが、蓮華は気にも留めていない。
「でも、今が楽しいからいいの。もし、後に、奏汰くんが巣立っちゃっても、後悔しないくらい、お互い今のうちに楽しんでおくの」
蓮華を見つめながら、潤が慎重に静かに問う。
「あなたが、他の男性に惹かれることもあるでしょう?」
「有り得ないとは言わないわ」
「そうなったら、奏汰を捨てるんでしょう?」
「それはわからないわ。その時二人で決めることだから。今の奏汰くんなら、ちゃんとひとりの男として対処できると思うわ」
フッと、冷めた笑いを、潤が口の端に浮かべた。
「やっぱり、僕には理解出来ないな。好きな人にはずっと側にいて欲しいと思うし、相手もそうあって欲しいと思いますから」
「それは、いつか結婚することが頭の中にあるからよ。あたし、結婚はしないつもりだから。今の仕事が面白いの。改善すればすぐに効果があるし、店も成長していくものなのね。奏汰くんには音楽が一番で、あたしにはお店が一番。いくら愛し合っていても、あたしたちの間では、それはお互いに踏み躙っちゃいけない一線なの」
肘を付き、手を組んだ上に、蓮華は顎を乗せて潤を眺めた。
「さあ、あたしは全部話したわよ。今まで、誰にも話したことないことまで━━奏汰くんにだって言ってないことも。今度は潤くんの番よ」
「何で僕が自分のことを、あなたに話さなくちゃいけないんです?」
「話したくないならいいのよ。聞かないから」
そう言った通り、それからの蓮華は、彼の過去には触れようとしなかった。
ワインを飲み終えた二人は、港の公園を通りかかった。
少しだけ、潤の表情は和らぎ、多少は打ち解けた笑顔も見せるようになっていた。
「蓮華さんて、最初の印象と違うんですね」
「ああ、あっちが本来の姿よ。オヤジでしょう?」
あはは、と蓮華は笑った。
「今日はデートだから、大人の女ぶってみたのよ」
「正直な人ですね。根は悪い人じゃないことはよくわかりましたよ」
「ありがと。どう? 奏汰くんとのこと、許してくれる気になった?」
期待を込めた目で、蓮華が見上げた。
潤はすぐさま笑顔を引っ込めた。
「それとこれとは別です」
「う~ん、なかなかしぶといわね。だったら、許してくれるまで、潤くんのこと何度でもデートに誘うからね」
「自分から手の内見せてどうするんです?」
「それでも、あなたは、あたしに会うわよ」
蓮華が、勝ち気な笑顔になる。
「自信過剰だなぁ」
潤は呆れたように、だが、どこか微笑ましく思っているように、蓮華を見つめた。
蓮華が店へ急ぐと、閉店時間を過ぎていたが、奏汰がひとり残っていた。
「今日、早めに上がってたよね。どこか行ってたの? もしかして、デート?」
奏汰がからかう。
「そうよ」
「へー、誰と?」
「奏汰くんに、縁のある人」
奏汰が、にっと笑った。
「つまんなかったでしょ?」
「まあ、あれはあれで面白かったかなぁ。『オトナの女』ぶれたし。でも、やっぱり、奏汰くんがいい!」
蓮華が抱きつくと、奏汰は照れたように微笑み、蓮華の肩を抱きしめた。
「もし、俺の前に、すっごくいい女が現れたら?」
「その女に勝つ!」
つい先ほど潤に言ったこととは違う答えだ。
「なにそれ?」
奏汰が笑う。
「あたしも、もっといい女になって、奏汰くんに飽きられないように頑張るの」
「充分飽きないよ。蓮華、可愛くて面白いから」
奏汰が口づけようと顔を近付けると、スマートフォンが鳴った。
画面には潤の名前が出ている。
「なんだよ」
ぶっきらぼうに、奏汰が電話に出た。
「まだ終わらないのか、早く帰ってこい」等と言われ、途中で奏汰が電話を切り、電源自体を切るとカウンターに置いた。
気を取り直したように蓮華を抱きしめ、大事そうに唇に触れようとすると、店のインターホンが鳴った。
慌てて離れた蓮華がドアを開けると、琳都が入ってきたのだった。
「琳都!? どうしたの!?」
スーツケースを持っている。
ちょうど、蓮華のスマートフォンが鳴った。
「ちょっと、ママ、あたしだって忙しいんだから、琳都に急に来られても……、まあ、いつものことだけどさ、部屋だって狭くなるし。いったい今度のケンカは何が原因なの?」
琳都と父親がケンカをした時は、ほとぼりが醒めるまで、蓮華のところに琳都が泊まりに来ることは度々ある。
電話が長くかかりそうだと思った奏汰は、蓮華に目配せして帰ることにした。
*
「最近、学校忙しい? 大変?」
バーの上の階にある蓮華の部屋で、風呂を済ませた彼女が、タオルに包んだ髪をドライヤーで乾かしながら、にこやかに弟に尋ねた。
スマートフォンのゲームをしながら、弟は、ちらっと姉を見る。
「奏汰と付き合ってるの?」
「そう見える?」
特に態度を変えるでもない蓮華に、琳都は少し呆れたような顔を見せた。
「僕より一歳年下の彼氏なんて……どんな神経してるの?」
「でも、いい子でしょ?」
まったく悪びれる様子のない蓮華に、琳都は「まあね」と答えた。
「奏汰が悪いんじゃない。蓮華が悪いんだよ」
「そうなの、いつもあたしが悪いの」
姉は、全然気にも留めていないようだ。
「ねえ、琳都はどうして彼女作らないの? イケメンの部類なんだから、モテなくはないんでしょう?」
ほぼ乾いた髪を横の位置でシュシュで結わえながら、シルクのチュニック風パジャマを着た蓮華が、小首を傾げて聞いた。
琳都は、黙りこくっている。
「あ、わかった! おねえさんが美し過ぎるからだわ!」
蓮華がわざとらしく言ってころころ笑うと、琳都はまたしても呆れたような顔になった。
「見た目はどんなに着飾った美しいおねえさまでも、中身はオヤジだって知ってると、女子に期待なんかしなくなるんだよ」
「あらあら、可哀想な琳都くん! おねえさんが慰めてあげる!」
蓮華が、琳都を後ろから抱え込んだ。
しばらくやさしく包み込んでいたと思うと、腕の力を強め、羽交い締めにした。
「やめろよ!」
琳都がもがくが、蓮華はきゃっきゃ笑っている。
「ねえ、あたしが、パパに話付けに行って来ようか?」
もがくのをやめ、琳都は黙ってから口を開いた。
「蓮華だって、パパの顔なんか見たくもないだろ?」
「琳都のこと話しに行くくらい、いいよ。これでも接客業よ、嫌なお客だと思えば大丈夫!」
しばらくして琳都が口を開いた。
「そのうち僕が自分で話すから」
「そんなにパパといるのが苦痛なら、あんたも、おじいちゃんちに行けばいいのよ、あたしみたいに」
「でも、そうすると……ママが……」
「そうね、残されたママは可哀想よね。琳都はやさしいんだよね」
蓮華は、後ろから締め付けていた腕を緩めた。
「あたしが、家を出ちゃってるから、琳都には迷惑かけてるね」
「蓮華のせいじゃないから……」
「あんたの人生なんだから、いつまでもママに遠慮してることないのよ。あんなオヤジと一緒にいて精神衛生上良くないなら、おじいちゃんちか、一人暮らしした方がいいからね」
蓮華の言葉が心からのものだと知る琳都は、小さく頷くと、姉の腕を振り解いた。




