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*(1)デート

「あら、晃くん」


 ナチュラルメイクのせいで、須藤にはすぐにはわからなかったが、この近くにあるバー『J moon』のママ、蓮華であった。


「ああ、蓮華ママだったのか! いつもと雰囲気が違うから全然わからなかったよ!」


 蓮華の着ている服も、店で見る夜の大人の雰囲気とは大分違い、一見して普通の女性であった。


「昼間は、ちょっと若いでしょ?」


 蓮華の笑顔は、夜同様、親しみが沸いた。

 須藤は、微笑んだ。


「今日は、元気みたいだね」


「おかげさまで、彼と仲直り出来た━━っていうのかしら? 晃くんが、一役買ってくれたんでしょ? ありがとね!」


「いやいや、自分のためでもあるわけだからね。ところで、またお礼してくれるのかなー?」


 須藤が冗談口調で蓮華の顔を覗き込む。

 蓮華は人差し指を自分の唇に持っていき、ウィンクして見せた。


「他のもので是非! あたしの唇は、奏汰くんのものなの」

「ホントかなー?」


 二人は吹き出して笑い合った。


「それで、美砂ちゃんとはどうなってるの?」

「時々ご飯食べに行ってるだけだよ。まだ何の行動も起こしてないや。ははは」


 笑っていた須藤が、ハッとした。


「俺、まだお店に通っててもいいんだよね? まさか、用なしじゃ……?」


「何言ってるの! いつまででもどうぞ。面倒見てあげるわよ」


「サンキュー!」


 須藤はホッとした笑顔になった。


     *


 美砂は、映画館にいた。

 同僚の青年松岡と、映画を見ていた。


 私、こんなところで、何やってるんだろう? 

 どうして、この人と、映画見てなくちゃ、いけないのかしら? 


 奏汰くんと見たかった……


 気を抜くと、すぐに奏汰のことを思い出してしまう。美砂は頭の中で強く打ち消した。


 だめ。奏汰くんのことは、もう考えないって決めたんだから!


 そうでなければ、自分から別れようとは言い出さなかった。


 美砂は、隣にいる男をちらっと見る。


 社内でも可愛がられている松岡と美砂は、一見お似合いだと言われたこともある。

 奏汰と別れる前から、松岡は積極的に美砂をデートに誘うが、美砂としては、二つ年上のその同僚といても、弟といるような感覚であり、ときめきは感じられなかった。


 バー『J moon』でアルバイトするミュージシャン志望の奏汰には、高校の時から憧れていて、外見も声や喋り方、動作まで、すべてに惹かれていた。


 松岡は、奏汰のような生まれつきの茶髪や、少々吊り目気味の大きな瞳ではなく、黒髪で、どちらかというと垂れ目であった。


 外見を理由に、松岡にときめかないわけではないと、美砂もわかっている。


 彼の話の内容はスポーツやカーレース等、美砂にはあまり興味のない分野であった。

 奏汰もスポーツの話はしていたが、音楽の勉強や課題に取り組み、好きなことに熱中している様子が生き生きとしていて、好きだと思っていた。


「ごめんね、なんか、最近、疲れちゃって……眠ってもいい?」


 帰りの電車の中で、美砂が言った。


「いいよ。昨日も残業だったんでしょう? 大変だよね」


 松岡が、やさしく微笑んだ。


 美砂は、本当は眠いわけではなかった。

 だが、話をすることに疲れたような、つまらないような気分になっていた。


 松岡くん、悪い人じゃないんだけど……私とは合わない気がする。

 同じ一緒にいるなら、……須藤さんの方が楽しいのに。

 でも、須藤さんは、私のこと、子供扱いしてる気がするし……。


 私のことなんか、本気で相手にしてくれる人なんて、……いないのかも……?


 美砂が危機感にとらわれている間、隣で松岡は寝ていた。




 翌日、日曜日、弟が美砂に言った。


「姉ちゃん、悪いけど、今日、彼女来るから、一日外に出ててくれない?」

「そんなこと急に言われたって……。あんたが、外で会えばいいじゃない」

「だーって、俺たちまだ学生だぜ? 金ないし」


 弟は、大学一年生だった。


「映画高いからDVDレンタルして、外食高いからコンビニ弁当で、家で食べるのが一番安上がりでしょう?」


 美砂は、しょうもなさそうに、弟を見た。


「あんたねぇ、いくらお金がないからって、初めてのデートがそんなだなんて、彼女が可哀想よ」


「彼女も、それでいいって言ってくれたもん」


「嫌われたくなくて口ではそう言ってても、内心は違うかも知れないのよ」


「え~、そんなことないって!」


 聞く耳を持たず、笑い飛ばす弟を見ると、美砂は情けなさそうに溜め息を吐いた。


「帰ってくるのは、なるべく夜遅くでお願いします。ああ、帰る前に絶対連絡して」


「もう、しょうがないなぁ。じゃあ、めぐちゃんと遊ぼうかな」


 美砂が同僚のめぐみにメールをすると、「カラオケなう」と返信が来た。


「ああ、そうだったわ。めぐちゃん、今日は友達と朝からカラオケ行くって言ってたっけ」


 めぐみは、学生時代からの友人たちと遊ぶことも多かった。


 美砂は職場以外の友人を当たってみるが、用事や休日出勤で、スケジュールの調整が付く者は誰もいなかった。


 ひとりで夜まで外出など出来そうになかった美砂は、ふと、須藤を思い浮かべた。


『俺、(彼女)いないよ、奥さんもいないし。だから、何も気兼ねすることないよ』


 彼のセリフを真に受けて良いなら……と、メールをするが、しばらくしても返事がない。

 気付いていないのかと思い、電話をかけてみた。


『はい、須藤です』


 普段よりもトーンが低く、落ち着いた大人のように聞こえた。


 以前電話した時と声の感じが違うように思えた美砂は、少しドキッとした。


「あの、山科ですけど」


『えっ! 美砂ちゃん!? ああ、おはよう! どうしたの?』


 途端に、普段の須藤の口調に変わる。


「おはようって……、もしかして、……まだ寝てました?」

『あれっ、もう九時半? ああ、もう大丈夫だよ、今起きたから!』

「今日って、何か予定あります?」

『今日? 暇、暇! お一人様だから。ははは』

「良かったら、一緒に、どこか遊びに行きませんか?」

『へっ!?』

「弟に追い出されちゃって……あの、……ダメですか?」

『いやいや、そんなことないよ! 喜んで!』


 待ち合わせを決めた後で、美砂は、やっぱり職場の上司と休日遊びに行くのは変かも知れない、と思ったが、弟に急かされ、あまり長くは考えられなかった。


 長いストレートな髪の毛先を、ヘアアイロンで挟み、少しだけカールさせていると、弟が、ひょっこり顔を覗かせた。


「姉ちゃん、今日は、どっちとデートするの?」

「どっちって?」

「ギターかなんか背負ってるヤツか、昨日のお坊ちゃんぽいヤツ」

「窓から覗いてたの? やめてよね」


 ニヤニヤする弟にむすっとしながら、美砂はイヤリングを着けた。


「社会人になってまだ一年も経ってないのに、これじゃあねぇ。不純異性交遊っていうの? パパもママも泣くよ」


「人のことが言えるの? あんたの為に外に出てあげるんだからね。そんなこと言うんなら、もう唐揚げ作ってあげないから!」


「えっ、そっ、そんな……!」


 弟を黙らせた美砂は、都内に住む須藤と、池袋駅で落ち合った。


「早いですね。まだ十五分前なのに」


「せっかく、美砂ちゃんがデートに誘ってくれたんだから、誠意で答えないとね!」


 わざと威張ったように、須藤が言う。

 美砂は、「私服だと若い!」と思いつくと、笑いが込み上げて来た。


「なに笑ってんの? ほら、行くよ」

「はい」

「どこに行く?」

「どこでもいいです」


 須藤に尋ねられ、美砂は、奏汰といる時と同じように答えた。


「その『どこでもいい』っていうのは、やめた方がいいなぁ。いつもそうだよね?」


 須藤が言うと、美砂が上目遣いになった。


「だって、急に家追い出されちゃったから……」

「それも、そうだったね。ごめん、ごめん! じゃあ、今日は、俺の行きたいところでもいい?」

「はい」


 美砂が、笑顔で応える。


 電車で移動した二人が訪れたのは、恐竜展であった。


「須藤さんて、こういうの好きなんですか?」


「うん。前から来てみたかったんだけど、ひとりじゃ淋しいから来られなかったんだ」


 明るく答えた須藤の言う通り、美砂が周りを見渡すと、親子連れや、意外にもカップルが多かった。


 恐竜にちなんだ菓子や、ゲームセンターのコーナーもある。

 UFOキャッチャーでは、トリケラトプスのぬいぐるみを、須藤がキャッチし、渡すと美砂も喜ぶ、ごく普通のデートであった。


「こういうところって、女子だけだと来ないけど、結構面白いんですね」

「そうでしょ?」


 次に、二人は水族館へ向かった。


「俺、海の生き物も好きなんだよ」

「私もです! あっ、かわいい!」


 美砂が水槽に近付いて指差したのは、ぷっくりと太ったフグのハリセンボンだった。


「これ、ふぐ刺しにしたら美味いだろうね。いやいや、大阪名物ふぐ天丼もいいよなぁ」

「ひどーい!」


 笑う彼に、美砂が怒ってみせた。




 水族館の後は、カフェで、美砂はコーヒーを頼んだ。

 須藤は、プリンアラモードだった。


「須藤さんて、男の人なのに甘いもの好きなんですか?」

「いつもじゃないけどね、たまにプリン食べたくなるんだ」

「コドモみたい」


 美砂が吹き出した。


「男には、いつまでも少年の心を忘れないようなところがあるんだよ」

「そうなんですか。でも、それとこれとは違う気がする」

「ありがとう! よくツッ込んでくれた!」


 美砂の笑顔を見つめた須藤も笑った。


 あっという間に夜になり、美砂が帰り易いよう気を遣った須藤が、横浜の最寄り駅近くの居酒屋に誘った。


「美味しい!」


 和風のカウンターでは、小鉢の総菜を口にした美砂が、楽しそうに笑う。


「でしょ? ここの店のつまみは、どれもお勧めだよ」


 ハイボールを飲みながら、須藤が言った。

 美砂は甘めのサワーを飲んでから、彼を見上げた。


「須藤さんて、何で彼女がいないんですか? こんなに楽しいのに」


 須藤が、キメ顔になる。


「美砂ちゃんが、彼女になってくれないからだよ」


「ふーん、そうですか。いろんな人に、そういうこと言ってるからですね。わかりました」


 美砂には、通用しなかった。

 さすがに、須藤も焦った顔になる。


「言ってないよ、ひどいなぁ。俺、見た目よりは真面目なんだぜ。ここ数年は、ホントに仕事一筋で、彼女もいなかったし」


「亜矢さんて、同期ですよね? 仲良いし、◯◯さんともアヤシイって噂ですよ」


 意地悪く言う美砂のセリフに、須藤が記憶を辿る。


「亜矢ちゃんは同期で、もう五年以上付き合いあるし……ああ、だけど、彼女、彼氏いるの知ってるでしょ? ◯◯さんは、……そんなに仲良かったっけ?」


「無意識に、女の人と仲良くなっちゃうんですね」


 美砂が意地悪な目をする。


「うーん、今日はなかなか手厳しいな!」


 須藤が笑う。


「だって、私、昨日、須藤さんのせいで、大変な思いしたんですから、お返しです」


「昨日って、土曜だよね?」


「松岡くんと会ってたんです」


「ああ……。でも、それは、きみが、はっきり断らないからでしょ? 俺のせいじゃないよ」


「そうですけど、その前に、松岡くんをけしかけるようなことするからです」


「松岡が『美砂ちゃんとデートしたいけど、どう思いますか?』って聞いて来たから、『俺の許可なんかいらないだろ?』って答えただけだよ。それで、あいつとデートして、どうだった?」


「……ちょっと疲れました」


「ははは、あいつだってモテるのに」


「私とは合わないと思うんです。須藤さんといる方が、ずっと楽しいです」


「それは、光栄だね!」


「須藤さんて、そうやって、いつも私のことからかってばっかりね」


「ごめん、かわいいから、つい……」


 須藤が真面目な顔で謝るが、美砂には通用せず、目を吊り上げたままだ。


「またそんなこと言って!」

「う~ん、どう言ったら、信じてもらえるのかなぁ」

「どう言っても、信用出来ないわ」


 つんと、美砂がそっぽを向くと、さすがに困ったように、須藤が「ごめん! 謝るから、許して!」と、お願いした。


「おねーちゃん、許してやんなよ。昔は『浮気は男の甲斐性だ』って、よく言ったもんだよ~」


 カウンターの隣席に座る初老の男が、口を挟んだ。


「えっ、私たち、そんなんじゃ……」


「もう浮気しませんから、捨てないでー!」


「ちょっと! 須藤さん!? 何言ってるんですっ!」


 さらに慌てる美砂と、わざと平謝りする須藤を見ていた隣の男は、笑っていた。




 辺りはすっかり暗くなっていた。


 通りがかりの公園から見える風景を、物珍しそうに見回していた。

 港の海は、夜は暗い。遠くに見えるベイブリッジが美しく映える。


「奏汰くんのこと、……聞かないんですね」


 美砂は、静かに切り出した。


「実は、……もう知ってるから?」


 須藤は立ち止まり、美砂の方を見ず、海を見ながら答えた。


「……ママと奏汰くんが復活したらしいって、いうのはね」


「そうですか……。全部知ってたんですね」


「つい最近、偶然ね」


 美砂は俯いてから、須藤と並び、彼と同じように海を眺めた。


「ここね、奏汰くんと、よく来たんです。昨日、松岡くんにも、ここに寄って行こうって言われたけど、とてもそんな気分になれなくて。奏汰くんのこと、思い出しちゃいそうで。私から、別れを切り出したっていうのに」


「まだ、彼のことを……?」


「昨日は、いけないと思いながらも、気が付くと、彼と松岡くんを比べてばかりだったの。でも、今日は、思い出さなかったわ」


 美砂は隣の須藤を見上げ、笑顔になった。


「須藤さんと一緒にいたら、楽しくて。奏汰くんとのことも忘れられそうだと思って。だから、ここにも来られたの」


 須藤は、一瞬淋しそうになった瞳を押し隠すように、優しく微笑んだ。


「無理に忘れなくてもいいんだよ、こういうことは」


「でも、早く、奏汰くんを安心させたいから。付き合ってる人がいなくても、私は元気だっていうのを見せたいの」


 素直な微笑みを浮かべた美砂は、須藤を見上げた。


「私のことなんか、もう気にかけてはいないかも知れないけど、心配はしてくれてるだろうって、思いたいじゃない?」


 美砂の長い髪が、海風になびくのを見守ってから、須藤が口を開いた。


「この間、ばったり会った時、奏汰くんも、美砂ちゃんのことを心配していたよ」


「本当ですか? ……奏汰くん、やさしいから。もうちょっと元気になってからだわ。空元気だと、いくら取り繕ってもバレちゃうから」


 改めて、美砂が須藤を見る。


「もし、私が、ちゃんと元気になれたら、その時は、一緒に『J moon』に行ってくれませんか? やっぱり、ひとりだと……自分に負けちゃいそうで」


「俺で良かったら、いつでも付き合うよ」


「ありがとうございます。ここまで話せるのは、須藤さんしかいないから。ごめんなさい、頼っちゃって」


「いつでも、頼ってくれていいよ」


 美砂は、安心した笑顔を、須藤に見せた。

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