Ⅱ.(10)すれ違う想い2
*
美砂とのやり取りを思い起こすと、胸が痛む。
仕事中は普段と変わらないよう、必死に取り繕う奏汰だが、ふとした時に、表情には憂いが加わり、溜め息も吐いていた。
従業員は気付かなかったが、蓮華と優は、それに気が付いていた。
そんな彼に、蓮華が声をかけたくなるのを堪えていると見て取った優は、もどかしさから、ある時、奏汰にある映画のDVDを貸した。
「『カクテル』? これって、トム・クルーズですか? 若っ!」
DVDを手にした奏汰は、パッケージに見入った。
「昔からカッコ良かったんですね。でも、これ、とてもアクション映画には見えませんが?」
優が笑った。
「カクテルを作るパフォーマンスが、アクション・シーンでもあるかな」
「カクテルを作るのが……ですか?」
「80年代後半の映画でね。お酒に関する映画は、探しまくって観てたから。これ観ると驚くと思うけど、日本では、バーはお客さんが主役で、バーテンダーは話を聞く役だけど、アメリカは違うみたいだね。バーテンダーはお客さんを楽しませるものみたいだよ」
「そうなんですか?」
「フレアバーテンティングって言ってね、世界大会もあるんだよ。お酒の瓶とかシェイカーとかを投げたりして、パフォーマンスを見せながらカクテルを作るっていう。DVDを観た後、友達と真似して練習してたら、師匠に睨まれてね」
苦笑する優だが、奏汰には想像もつかず、半信半疑だ。
「これには、カクテルの名前がたくさん出てくるから、参考になるよ。ただ、スラングが多いから下品だとも言われてて、ヒットはしたけど、映画の評判はあまり良くなかったみたい。トム・クルーズ自身も気に入らない方みたいで。トム・クルーズがイケメンで爽やかだとか、ジャマイカの景色がきれいだとか、それと音楽の評判は良かったみたいだけどね。フレアバーテンティングも有名になったし」
ふうん、と奏汰は、優の話に耳を傾けていた。
「そうそう、友達と一緒にこのDVD借りて初めて観た時に、蓮華さんもいたけど、文句言ってたよ。トム・クルーズはカッコいいけど、この映画ではチャラいだけじゃないか、全体的に下品だし、浅はかで、バーテンダーが軽んじられそうだ……とかね」
「そうですか、ママは気に入らなかったんですね」
「ああ、彼女、あれで意外にも恋愛物は好きじゃないからね。トム・クルーズはアクションやってる方がいいって」
奏汰は、近くに蓮華やタケルたち従業員がいないかをさっと確認してから、優を見直した。
「……なんで、これを、俺に?」
「まあ、観てみてよ。この映画が言いたかったことは何なのか。難しいことじゃないよ。ただ、どう受け取るかは、奏汰くん次第だよ」
奏汰は、わかったような、わからないような顔でDVDを手にする。以前、蓮華がよく課題を出していたように、せいぜいカクテルにまつわる課題を出されたのだと、解釈していた。
映画を見るのは、気分転換にはなるかも知れない。
だが、今は、カクテルのことよりも、音楽のことと、美砂や蓮華のことが気がかりで、すぐには観る気がしなかった。
DVDは、アパートの、テレビ台の上に置かれたままであった。
奏汰の中では何も解決しないまま、数日が過ぎていく。
*
「よう!」
元気よく声をかけてきたのは、いつものようなスーツ姿の須藤だった。
「外回りしてたら、ちょうど近くまで来たもんだから。一緒に昼でも食わない?」
彼を少々苦手に思っていた奏汰だったが、屈託のない笑顔の誘いに乗ってみることにした。
二人が向かったのは、須藤の希望で、ワインの飲めるファミリーレストランであった。
平日は、サラリーマン風の男性客が意外に多いことに少し驚いたが、金銭面の心配もいらないファミレスで安堵していた。
「須藤さんは、随分うちの店を気に入って下さったみたいで。ありがとうございます」
奏汰が会釈をすると、須藤が笑った。
「ああ、気を遣わないで、もっと普通にしてていいから。仕事を離れたきみと是非話したかったから、この近くに外回りに来る度に、きみがいないか、いつも気にしてたんだよ」
「は、はあ……? 気にかけていただいて、……どうも」
一瞬、口説かれてるのか? と思えなくもないほど、須藤は、奏汰に出会えたことを喜んでいるように見える。
まさか、俺のファンてわけじゃないだろうし……?
奏汰には、須藤の意図がよくわからなかった。
トマトの乗ったパスタを食べながら白ワインを傾け、須藤がいつもの笑顔で、さりげなく切り出した。
「奏汰くんてさー、あの蓮華ママと、付き合ってるんだって?」
「えっ……!」
唐突な質問に奏汰は一気に動揺し、赤ワインを飲んでからオムライスに伸びた手が、思わず留まった。
「……ママが、……そう言ったんですか?」
「ええーっ!?」
奏汰よりも数段、須藤が驚いた。
「ホントだったんだぁ!?」
「……は?」
「いやあ、驚いたな……。ちょっと鎌かけてみたら、まさか、そんなこととは……!」
須藤が、まだ信じられないという風に、奏汰をまじまじと見た。
目を丸くしている須藤の顔を見ているうちに、奏汰は徐々に事態を飲み込み、ようやく理解が出来た。
「どういうつもりなんです? 『そんなヤツには、美砂ちゃんは渡さない!』とでも?」
身を乗り出した真面目な表情の奏汰に構わず、須藤はワインを一口飲む。
「彼女、前から悩んでたみたいで。詳しくは話したがらないから、きみ本人に確かめる方が確実だと思ってね」
「蓮華が……悩んでた……?」
須藤の手が留まった。
「……美砂ちゃんのことだったんだけど……?」
「え? あ、ああ、そうでしたか……」
視線を反らす奏汰を、須藤が注意深く見つめる。
「きみさあ、美砂ちゃんのこと、ちゃんと好きだった?」
彼の表情は攻めるようではなく、二股をかけてしまったのはわからなくもないと、奏汰に対し、気遣うようであったせいか、奏汰の方も素直に話し始めた。
「好きだって……思いましたよ。蓮華とは別れて、美砂ちゃんと等身大の恋愛をするべきなんじゃないか、って考えてみたりもしました。だけど、なかなか踏み切れずにいるのを見透かされて、美砂ちゃんの方から別れ話を切り出されました。彼女、略奪愛に走るのは自分が許せないって。そういうことでも、すっごく悩んでたみたいで……」
「そうだったんだ……」
俯いてから、須藤はふいに顔を上げた。
「えっ? ママと別れることも考えてたの? ええっ? なんで?」
須藤の方も身を乗り出した。
「……あ、ごめん、こんなこと、俺が立ち入ることじゃなかったね」
すまなそうに肩をすぼめた須藤を見る奏汰は、どこか安心したようでもある表情になっていた。
「いいんです。実は、俺も、誰かに話したいと思ってましたが、こんなこと相談出来るのは、唯一、俺たちの間を知っている優さんくらいしかいなくて。だけど、優さんに対して、今、俺、すっごく引け目を感じていて。だからか、借りた映画も、なかなか観る気にならなくて……」
「じゃあ、俺が踏み込んで、……ちょうど良かったのかな?」
「まさか須藤さんに話すことになるとは思いもよらなかったけど、助かります」
「なら良かった」
須藤がホッとして笑った。
「蓮華といると、所詮、俺は年下なんだって思い知らされるんですよ。年のことは気にしないようにしてるんですけど、結局、いつもそこに戻っちゃって……」
一口、赤ワインを含んでから、奏汰は続けた。
「その結果、美砂ちゃんを傷付けることに……」
奏汰が、溜め息を吐いた。
静かに聞いていた須藤が、遠慮がちに口を開く。
「あの……、余計なことかも知れないけど、早くママと、ちゃんと納得行くまで話し合った方がいいと思うよ。お互いに思うところがあるなら、それも一緒に。だって、あのママと付き合ってるんだったら、美砂ちゃんに限らずだけど、同年代や一般人は……面倒でしょ? ああ、楽だからいいってことじゃないよ」
「楽なところは楽ですけど、俺に他の人との恋愛を勧めたり、わけわかんないところあるし、いつも、蓮華にはハラハラするっていうか、やきもきさせられるんです。それは、俺が自分に自信がないからかも知れませんが」
「自分に自信がない? きみが?」
奏汰の顔を覗き込みながら、須藤が意外そうな顔になった。
「そういう風には見えなかったけどなぁ」
視線を落とした奏汰の表情は変わらない。
「彼女は、俺に頼るくらいなら他の……もっと大人な人たちを頼ってますよ。俺なんか、ただ可愛がられてるだけだったんじゃないのかな」
「それで、きみに憧れてる美砂ちゃんといると安心したわけ?」
「そうなんでしょうね。美砂ちゃんといると対等な気がして。……でも、それって、蓮華が俺を可愛がってるだけに思えてたのと、同じことをしていただけだったのかも知れない。可愛いとか、いい子だって言ったら、美砂ちゃんには否定されましたから」
進まないオムライスのスプーンを置いた。
「等身大の恋愛をした方がいいんじゃないかと思っていたけど、単なる俺の自己満足だったんですね。俺がはっきりしなかった……いや、自分の気持ちから目を背けてただけか……」
須藤の目には、奏汰の気持ちを汲み取るような同調するような色が浮かんだ。
「きみの本当の気持ちは? 自分では、もうわかってるんだよね?」
穏やかな彼の声の調子に、無言でいた奏汰は、考えながら、想いを口にしていった。
「……だけど、今さら、蓮華と前みたいに戻るのは……。美砂ちゃんとダメになったからって、すぐに蓮華のところに戻るのはさすがに虫が良過ぎるでしょう。許されないことなんじゃないかと思います。せめて、美砂ちゃんが幸せになってからじゃないと」
奏汰は顔を上げると、須藤を見据え、思い切ったように言った。
「須藤さんこそ、美砂ちゃんをどう思ってるんですか? ……あ、それとも、蓮華の方が……なんですか?」
ふっと笑うと、須藤は頬杖を付いて、白ワインを飲んだ。
「今の段階では、美砂ちゃんとはご飯食べに行くだけ。ママとは、……この間キスしちゃった」
「えっ……!」
奏汰の顔が青ざめ、再び動揺が現れていく。
「……そ、そうですか。俺が曖昧にしてる間に、……そういう間柄に……」
もう手遅れなのか……
どくん、どくんと、心臓が音を立てる。
遣る瀬ない想いが渦巻いていく。
須藤は、ワイングラスをテーブルに置いた。
「誤解のないように言っておくけど、……俺が好きなのは、美砂ちゃんだよ」
大きく目を見開いた奏汰が、即座に須藤を睨んだ。
「だったら、なんで、蓮華にそんなこと……!」
「きみのせいだよ」
ストレートな須藤の言葉に、ぐっと、奏汰は口を噤んだ。
「その日、俺がママに相談していたんだ。そうしたら、彼女、大人としての思いやりと包容力、その熱いハートで頑張れって勇気付けてくれたんだ。言っていて、彼女自身も元気付けられたんだと思う。キスしたのはお礼だって言ってたから、本当は不安になってたんじゃないかなぁ。それで、助けられたのは俺の方だと思ってたから、お返しさせてもらったってわけ。お互い愛情確認じゃないから気にしないで」
奏汰の心臓は鳴りっぱなしだったが、頭の方は冷静になっていった。
「ママは、きみのこと待ってると思う。今思うと、どこか淋しそうだったよ。年上だからこそ、我慢してることもあるんじゃないかな? 美砂ちゃんに義理立てして、彼女が幸せになってからママと話し合うなんて綺麗事言ってないで、早くママと話し合った方がいいよ、大事な人だと気付いたのならね。待たせるのは、それこそ彼女に甘えていることになるし、傷付けることにつながるんだよ」
慎重に、須藤が言い聞かせるのを、奏汰は黙って聞いていた。
「ママと美砂ちゃん、どっちを失う方が、きみにとってダメージが大きい?」
「……でも、それは、このまま音楽面に進むことを考えると、必然的に蓮華を選ぶことになるじゃないですか? それも、蓮華を踏み台にするみたいで……」
「美砂ちゃんは踏み台にされたら耐えられないし、いい迷惑だよ。でも、ママは、そういう覚悟が出来てる人なんじゃないの? だから、きみに他の女性との恋愛も勧められたんじゃないかって、俺は思うよ」
「踏み台を覚悟で……?」
奏汰は、初めて、蓮華の意図がわかった気がした。
彼に飽きたからではなく、彼のためを想った故にそう言ったのかと。
「……ああ、やっぱり、俺ってコドモですね! 今、須藤さんに言われて、初めてわかりました」
「渦中にいると、なかなかわからないものだよ」
「誰かを踏み台にしないとならないなんて、……身勝手な話ですよね」
奏汰が、溜め息混じりに呟いた。
「そういうきみを━━というか、ミュージシャンだとか夢を追う人ってそういうものだって、ママは理解あるだろうから受け入れられるんじゃないの? 美砂ちゃんに限らず俺たち一般人には、なかなか理解出来ないことだけど」
奏汰が彼女と知り合った頃、付き合う前の頃に思いを馳せる。
また振り出しに戻ったのだ。
そう考えればいいように思えてきた。
「わかりました。近いうちに、蓮華と話してみようと思います」
奏汰は、改めて、須藤の顔を見つめた。
「ありがとうございます。おかげで、蓮華と話し合う勇気を、俺ももらえました。須藤さんの懐の大きさには、俺なんか全然及ばないですね。感動しました」
奏汰の表情には、須藤への警戒心や、苦手な想いや、そういったものは一切失せていた。
須藤は、ホッとした顔になったかと思うと、いたずらっぽい笑顔に変わった。
「ああ、お礼を言われる筋合いはないよ。俺も、そこまでお人好しじゃないからね。『情けは人のためならず』って言うように、自分のためにもならなきゃここまでしないよ。美砂ちゃんがきみに未練あったら、俺も行動しにくいからさ。つまり、きみがママとヨリを戻してくれることが、俺の方のチャンスにつながるんだから、一刻も早く解決してくれよ!」
奏汰は笑ってから、改めて須藤を見た。
「美砂ちゃんには、あなたのような大人な男が合うんだと思います。彼女、須藤さんの話をよくしていましたから、かなり印象良いんだと思います。俺じゃまだまだコドモで彼女の期待には応えられてなかったけど、あなたなら、きっと応えられるんだと思います」
奏汰の素直な表情に一瞬見入った須藤が照れながら、だが、真面目に言った。
「俺も、きみにそう言ってもらえたことが、なにより勇気付けられたよ」
須藤も奏汰も、これまでにはない親しみの込もった目で、互いに見合い、微笑んだ。
「あ、だからって、お礼のキスはしないからな!」
「俺も遠慮しときます」
須藤に奏汰が応えると、二人は笑い合った。
「それにしても、今日は、蓮華ママを射止めた奏汰くんの可愛さがわかった気がするよ」
「は!? それって、俺がまだまだ未熟ってことですよね?」
眉間に皺を寄せる奏汰だが、須藤は笑うばかりだった。




