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Ⅱ.(2)ジントニック1

 ある時、ちょうど電車の中で一緒になった美砂と奏汰が、話すうちに、どこかで飲もうか、という話になった。

 奏汰が勧めるピアノの弾き語りを聴けるバーのある駅で降りると、学校帰りの音大生百合子とばったり遭遇した。

 無理矢理割り込まれ、ピアノバーへは三人で行くことになった。


 ピアノが埋め込まれた、大きくカーブしたカウンターの、鍵盤の見える場所に座る。


「へー、こんなトコ知ってたんだ? 生意気ー!」


 百合子は、ジントニックをがぶがぶ飲んだ。

 奏汰が呆れ顔になる。


「いつもは、カクテルグラスで、お上品に『ホワイトレディ』なのに?」


「うるさいわねっ!」


 美砂は、奏汰が見繕った度数の低いピーチフィズを遠慮がちに飲み、静かにしている。


「ああ、そうか! 『J moon』だと優さんの前だから、大人しくしてるんだっけ?」


 そう言って笑う奏汰を、キッと、百合子が睨んだ。


「優さんの前で、お嬢ぶってるばっかりじゃないの。今日は飲みたいの!」


「ふ~ん……って、何があったか訊いて欲しいみたいだね」


「なによ、そのめんどーそーな空気は?」


「だって、いつも絡むから」


「あんたねー、相変わらずズケズケ失礼ね。あんたなんかが、あの優さんと同じバーで働いてるとはね」


 百合子がぶつぶつ言うと、美砂が遠慮がちに切り出した。


「それで、百合子さん、何があったんですか?」


「美砂ちゃ~ん! さすが女子だわっ! 聞いてくれるー? 奏汰なんか、絶対バーテンダーとか向いてないもんねっ! ふんだ!」


「わかった、わかった、話聞くから」


 百合子はジントニックを追加し、二杯目が来てから、話し始めた。


「私ね、優さんのこと、……諦めることにしたの」


 「なんだ、そんなことか」と興味のなさそうに言った奏汰を、キッと睨んでから続ける。


「この間、思い切って、優さんを遊園地デートに誘ったの」


 内心ドキッとした奏汰は、素知らぬ顔でウォッカ・トニックをあおる。


「だってね、観覧車のてっぺんでキスしたら、絶対に別れないって言われてるんですって。だから……」


「ちょ、ちょっと待って。なにそれ?」


「あんた、知らないの?」


 百合子が、何こいつ? と奏汰を見る。

 美砂が慌てたように添えた。


「あの、それって、観覧車の頂上でキスしたら、幸せになるってジンクスじゃ……?」


「そうよ、それ!」


 知らなかった。観覧車でキスって、みんな意外とやってたのか?


 だったら、蓮華も知ってて、合わせてくれた……?


 うわー! ジンクスで行動した下心見え見え浅はかテンプレ男子に思われたか!?


 頭を抱えたくなった奏汰だったが、今はそんなことよりも、優の身の安全だった。


「それを、まさか、優さんに実行するつもりだった……とか?」


 青くなりながら奏汰が百合子を見ると、しれっと、「当然でしょう?」と返ってきた。


「だって、私、結婚するのは優さんだって、決めてるんだもん」


「ええっ!? コワい、コワい!」


 奏汰は頭から血の気が引き、美砂は驚いた顔で百合子を見つめていた。


「だから、お台場かコスモワールドの観覧車に行こうと思って」


「コスモワールド!?」


 奏汰が椅子から転げ落ちそうになる。


「そ。横浜でも良かったんだけど、特に、お台場の大観覧車が、パワースポットみたく言われてるのよ」


「……知らなかった。ホントに知らなかったんだよ、俺……! ママ、ごめん!」


「なにブツブツ言ってるの、この子?」


 頭を抱える奏汰を不審な目で見てから、放っておき、百合子は美砂に向き直った。


「それでね、この間、なんとか『J moon』の閉店時間まで待って、優さんが仕事終わって出て来た時に、直接お台場デートに誘ったの。『私には、優さんしかいないの!』って言って。うちはね、私がひとり娘だから、パパの経営する楽器店を継いでくれる人を婿にもらうって話は、前々からしてあったから、それで通じるはずなの」


 相当な思い込みの激しさは、最早、聞いている者には痛過ぎた。

 美砂も、黙って青ざめる奏汰も、下を向く一方だ。


「そうしたら、『僕は、ここのお店を辞めないつもりだから』って。私の期待には応えられないって……!」


 百合子がジントニックを飲み干した。


「あの、百合子さん、それは、今はまだバーテンダーを辞めるわけにはいかない、っていう意味もあるんじゃ……?」


 美砂が慰めるように言うのを、百合子は遮った。


「違うわ! 絶対、あの女のせいよ!」


「えっ? 誰?」


「もー! 奏汰、バイトしててわかんないのっ? 蓮華ママのことよ! 優さんと十年も友達だったんだから。そんなこと信じられる?」


「十年!?」


 目を丸くする奏汰を見もせず、百合子は、溶けた氷の入った背の高いグラスを握り締めた。


「私のことは、『後輩で、お客様』だって」


 しんみりと、今にも泣きそうだ。

 少しの沈黙の後、おそるおそる、奏汰が口を開く。


「それで、優さん、ママとのこと、何か言って……?」


「言ってないわ」


「じゃあ、何で、ママのせいだって言ったの?」


「だって、そうに決まってるじゃない! 優さんの方が二歳くらい上で年も近いんだし、あんな素敵な人が近くにいたら、女子なら絶対好きになるに決まってるじゃない!」


 百合子は、三杯目のジントニックをがぶがぶ飲んだ。


 ショックを受けた奏汰と、呆気に取られている美砂は、何と言っていいのか、返す言葉も、かける言葉も見つからない。


「……でも、ママは、他に付き合ってる人がいる……のかも……」


 小さく、奏汰が切り出す。


「あっちでも、こっちでも、そっちでも、よろしくやってるに決まってるわ!」


「えっ!?」


 奏汰と美砂は、おろおろするばかりだった。


「あんた、実は、ちょっとショックだったんじゃない? ママに憧れてたでしょう?」


 女子は、そういうとこ、ホント恐ろしい。


 と思ったのは二度目だ。


「だって、私には、いつも機嫌悪そうな顔するのに、ママには、にこにこしちゃって」


 それは誰だってそうだろ、という言葉を飲み込む。


「でも、俺、ママのこと、そんな人じゃないって信じてるし、……例え、優さんと友情以上の何かがあったとしても、嫌いになんかなれない……と思う……」


「揺れてんじゃないの?」


「揺れてないっ!」




 静まり返ったアパートの部屋で、弦を弾く。


 中身のない音だ。


 こんなことじゃいけない。


 邪念を振り払うように、指先に集中する。


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