13話「発見」
トリス町まで行くには割合時間がかかるようだった。
あれから二人は余所行きの服装に着替えて、すぐ出発したのにも拘わらず、三時間経った今もまだ町へ到着する気配は無い。
荷馬車に乗り、和也は荷台に、レイチェルは御者を務める。途中まではお互い頑張って会話を繋げようとしていたのだが、今や二人の間には沈黙しかなかった。
「この森を抜けたらすぐです」
レイチェルが馬の向きを変えて少し停まってくれる。
彼女らの前には、和也がよく訓練に入っていく広大な森があった。森というよりは、樹海といった方が良いくらいの規模だ。
「あ、あぁ、そっか……」
いつになく頻繁に話しかけてくれるレイチェルへ、和也は死にそうな声で短く答える。本当は兄役として会話を弾ませなければならないのだろうが、今の彼にそんな余裕はない。
というのも、実は和也、酔い止めをなくしたようなのだ。ずっと大切に持っていたつもりが、どこかで落としてしまったらしい。恐らくレイヴンに抱っこされて魔王城へ戻った時だろう。
当初はレイチェルの隣で馬の操り方を教えてもらっていた和也だったが、酔ってからはレイチェルに寄りかかり、最終的には荷台で寝転がる事しかできなくなっていた。実に情けない兄役である。
(せめて一人で馬に乗れるようにならないとな……)
ボンヤリした意識の中でそう考えていたら、レイチェルが唐突に馬から降りた。
「和也、休みましょう」
そう言って荷台に上がってくると、シートを広げてお茶をカップに入れてくれる。
荷台には広めの空間があったし、現在は森の入り口付近にある木陰である。彼女はかねてから休憩ポイントを探してくれていたようだ。
(心配してくれたのかな。いや、単純に吐かれたくないだけか。申し訳ない。この酔いやすさに救われたのは、スパイ任務の時だけだったな)
あの時は、図らずも進行を遅らせることに一役買った馬酔いだが、今となってはひたすら厄介な体質である。
「はい、和也。麦茶です」
「あ、ありがとう……」
レイチェルから茶を受け取って一口飲むと、シートの上にまた寝転がって、吐き気が収まるまで待つことにする。
その間、レイチェルはジッと和也を見つめていた。
鳥の囀りと、土の香りだけに意識を集中させていると、和也の気分も段々良くなっていく。
「ごめんね。無駄な時間をかけることになっちゃって」
「いえ。『兄にはだらしないタイプと、しっかりしたタイプがいる』。そう本に書かれていましたので」
背筋を伸ばして正座するレイチェルは、水筒の蓋を閉めながらすげなく答えた。
(あの黒い本か……。そんなの、人類全員に言える事だろう)
顔の前に腕をかざして、木漏れ日に目を細める。そして再度レイチェルの性格を認識した。
(この子はやっぱり抜けているな。遠目に見ているだけでは、滅多にそういう面を見せないから、観察しているだけでは気付かなかったよ)
タオルの塔を崩しかけたり、客人に好き嫌いが分かれそうな飲料を渡したりと、仕事中にはそこまで目立った失態をしない。
彼女が変な感性を働かせるのは、決まって仕事に関係ない事をしている時だった。まるで魔王城の上階にいる幼児達のように、常識に囚われない自由な発想で和也を翻弄するのだ。
それは無知から来る奇行にも思えた。
つまり、レイチェルの人生は、比喩でも何でもなく『仕事だけ』だったのだろう。
「お弁当を作ってきました」
体を起こせるところまで和也が回復した頃、レイチェルが脈絡もなくそう告げる。
「和也の分も作ってきました」
バッグの中から弁当箱を取り出して、シート一杯に広げてみせた。ピンクの入れ物に所狭しと色とりどりの料理が並んでいる。
具材はサンドイッチやウィンナー、牛肉コロッケにフルーツ……。成長期である男の和也に向けて作られたのか、味の濃い物や肉料理が多めに入っている。
だが、和也が注目したのは、そもそも『中身』ではなかった。
(この弁当箱……プラスチックだぞ……。そんな物、ヴィーレ達といた時には見なかったんだけど、こっちにはあるんだな。前々から思っていたけど、魔王城の文明は人間国より上なのか?)
直後、いつかの光景が甦る。
黒ローブの商人。彼女もまた、人間国には存在しないような物をいくつも所持していた。
(ウィッチの言っていた『頼れる友人』っていうのは、商人の娘のことだったのか? だとすれば……)
思考中にふと視線を上げると、澄んだ海のような瞳が二つ、波も立てずにこちらを見つめていた。
そこで和也はレイチェルの料理に対するリアクションを未だろくに示していなかった事へ考え至る。
「すごく美味しそうな料理だね! この前、手伝いをした時にも思ったけど、君って料理得意なんだ?」
「はい」
咄嗟の演技で取り繕う。抑えきれない風を装って、食前の挨拶を述べながら、魚のムニエルをフォークで刺し、口に持ち運んだ。
「ん~! 美味い! これだけでご飯が無限に進みそうだよ! おかげで残りの移動も頑張れそうだ、ありがとね」
「……いえ、妹として当然の責務です」
レイチェルは和也に笑いかけられて、初めて彼から視線を逸らした。照れているのだろうか。
「兄のために弁当を作るってのも例の本に載っていたの?」
「はい」
これには和也も呆れ笑いを出す。
(一体作者はどんな兄妹像を描いていたんだろう)
執筆者の人格を疑いながら、手元にある箱の中身を改めて確認すると、やはりレイチェルの手料理はとても豪華だった。
(なんていうか、材料は普通なんだろうけど、丁寧に作られた感じが伝わってくるな)
和也はレイチェルに誘われてからすぐに出掛けたのだ。
それはつまり、弁当はあらかじめ、二人分が作られていたという事。
「僕の部屋に来る頃には既にこれが出来ていたんだね」
彼女が仕事の合間を縫って、健気に料理を用意してくれたのだと思うと、和也は感動せずにはいられなかった。
「本当にありがとう。レイチェル」
そう言うと、彼女は少し顔をしかめた。本当によく観察していないと分からないくらい微妙に、だが。
「どうかした?」
「……何か違和感を感じます」
レイチェル自身もその正体については判然としないようだった。ただ、『名前を呼ばれた時、妙な感覚を覚えるだけ』とのこと。
(僕が兄として間違ったことでもしちゃったのかな?)
和也は自身の行動を振り返る。どこで選択肢を違えたかは、今の彼には分からない。
――――結局その謎は解消されないまま、彼ら二人は昼食を終える。
ちなみに、レイチェルの料理は、他の物ももれなく美味しかった。無愛想な点を除けば、妹力はかなり高いようだ。
無事に町に着いてから、日が山陰に隠れ始めた頃のこと。
和也は食材やパン、そして他の生活必需品が入った袋を両手に抱えていた。
その量はとても多く、積み上がった荷物で視界が塞がっている。レベルを上げているから重くはないけれど、非常に歩きづらそうだ。
トリス町は高低差が激しく、『階段の都』と呼ばれるほどに平坦な道が少ない。
当然の事ながら、馬車は段差を連続で移動するには向いていない乗り物だ。よって、和也達が乗ってきた荷馬車は、町の入り口付近にある店へと預けた。
ここで購入した荷物は、まとめてそこに持っていくしかないのである。トリス町が栄えないのは、以上の不便さが要因として相当大きい。
現在、和也達は荷馬車に戻るべく、町の階段を並んで下っていた。
付添人の後ろに控えるというレイチェルの癖を矯正するのに多少の時間はかかったが、比較的楽しい買い物ができたと思う。少なくとも、和也はそう信じていた。
「それにしても、結構買うんだね」
せっせと足元だけに注意して歩く和也。
荷馬車に購入品を持っていった後は、また二周目のショッピングが待っている。
寒冷な気候とはいえ、食材を初めに買った以上は、少々急がねばならないだろう。
(こんなに長く歩き回ることになるとは思わなかった。魔力による補助があるとはいえ、ずっと立ちっぱなしでいるのは流石に疲れるぞ)
和也の予想していたショッピングと現状は若干違っていたようだ。
彼が先にこぼした言葉を愚痴と捉えたのか、レイチェルが手を差し出しながら反応する。
「持ちましょうか?」
「いいや、遠慮しておくよ。こんな不安定な足場で荷物をレイチェルに任せると、いつかみたく派手に落としかねない」
何も持っていないレイチェルから気を遣われたが、冗談めかして断った。彼女は分かりにくく片頬を膨らます。
「和也は私をバカにしています」
「あはは、拗ねてる」
「拗ねてません」
「嘘。拗ねてるよ」
「……和也はイジワルです」
レイチェルはそっぽを向いてしまった。何だか耳が赤い気がする。
和也は「弄りすぎたかな」と反省して、話題を他へ移すことにした。
「町にはしょっちゅう来るの?」
「……いえ、たまに来る程度です」
「いちいち移動するのって面倒でしょ?」
「仕方ありません。人間の姿をしているのは私だけなので」
「困ったことがあったらいつでも言ってね。力になるよ」
「ありがとうございます」
短い間隔で会話のキャッチボールをしていると、レイチェルの機嫌も次第に回復してくる。
和也は静かに手応えを感じていた。いよいよ報われてきたのだ。彼のずっと行ってきた努力が。
(会話が続かないからって『コミュニケーション能力が低い』とか言う人は怠け者だ。相手に興味を持ちさえすれば、大抵の人物とは存外簡単に仲良くなれる)
彼はレイチェルを変えると決めた日から、彼女の事を知ろう知ろうと積極的に絡んできた。
最初は拒絶されていたから隙が無かったが、相手の意識に変化が起きたことで、事態は徐々に好転してきている。
(果たして兄のふりをするのがレイチェルのためになるかは分からないけれど、確かに言える事がある。今の彼女は数日前よりもずっとずっと幸せそうだという事だ)
和也はレイチェルのつまらなそうな顔が嫌いだった。残りの人生をただの時間としか見ていないような彼女が、以前の自分に酷似していたから。
彼がレイチェルに執着した理由はそれだけの事だ。自分勝手な偽善である。相手のためだなんてのは建前に過ぎない。彼自身の自己満足を満たすためだけにやってきた。
故に、双葉和也は礼や感謝を求めない。ただ彼女を幸せにして、その笑顔を一度きりでいいから見られたなら、もうそれだけで十分だった。
そして、それはもう間近に迫っているような気がしている。
だからだろうか。達成感のためなのだろうか。彼はタイミング悪く、前から歩いてきた人にぶつかってしまった。
「わっ!」
声と共に、持っていた荷物を放してしまう。「あっ」と思った時にはもう遅い。パンの入った袋は破れ、果物が階段を転げ落ちていく。
(いけない。会話に気を向けすぎて、注意が散漫になっていたみたいだ)
遥か下から人々の混乱する声が聞こえてくるのにパニックを起こしつつ、ひとまずは目の前に視線を戻す和也。
「すみませ……」
謝ろうと顔を向けたら、同じくこちらを見上げてきた相手と顔が合った。あたかも鏡で写したみたいに、和也と相手は同時に目を見開く。
「カズヤ……?」
相手の男は喉の奥だけで鳴らしたような声を漏らした。
紺色の髪。背中の大剣。そして何より、深淵の如き闇と果てしない光を備えた朱の双眸。
「……ヴィーレ」
和也も呼応して彼の名を呟く。
勇者と呼ばれた男。かつて共に暮らした仲間。
そして、現在の和也にとって、最も出会いたくない相手。
彼らは数奇にも、思わぬ巡り合わせをしてしまったようだった。




