8話「魔王城の秘密」
その日の夜、和也は自室にて、やはり暇をもて余していた。
理由は昼間と同じ。レイヴンがなかなか帰ってこないせいで、膠着状態が続いているのだ。
他の三人に問題の答えを尋ねることもできるのだが、ウィッチは神出鬼没だし、レイチェルは常に忙しそう。サタンに至っては、あれから一度も姿を見せない。
魔王城の敷地がやたらと広いせいで、誰か一人を探すだけでも困難なのだ。ここは大人しくレイヴンを待とうという事で、今は部屋のベッドに腰かけ、自主訓練中である。
繰り返し詠唱し、コピーした三つの呪文の習熟度を上げていたら、唐突にドアが激しく開いた。集中していた和也は体をビクッと跳ねさせる。
「和也、ちょっといいかしら。命令があるんですけれど」
来客はウィッチだった。騒がしく登場したわりには涼しい顔で佇んでいる。
(心臓に悪いからノックしてください……。あと、そこは『命令』じゃなくて『頼み』にしてほしいんだけど……)
眉毛をわずかに上げて、和也は応答した。
「何? またスパイ活動?」
「違いますわよ」
「まあそうだよね~。できればもう二度と、あんな胃のキリキリするような事はしたくないよ」
「これでも反省していますのよ。いきなり無茶を強いてしまった、と。だから頼れる友人に見張っててもらったわけですし」
ウィッチは部屋の中へ入って後ろ手で戸を閉めた。
「えっ。友達?」
「ええ、そうですわ。……あら? もしかしてあの子、自己紹介していなかったのかしら? 仕事のついでと言っていたし、挨拶は忘れていたのかも……」
後半はボソボソとした独り言で、和也には聞き取れなかった。
彼女は誤魔化すように手を叩いて話を逸らす。
「まあ、些細な事ですわ!」
全くもって些末な事柄ではなかったのだが、和也にとっては彼女が次に発した言葉の方が重大であった。
「そうそう、任務の報酬という訳ではありませんけれど、貴方が元の世界に帰る方法を見つけておきましたからね」
本当にたった今思い出したようにウィッチが告げる。和也の口から裏返った声が出た。
「はい? 何だって?」
「だから、元の世界に帰る手段を発見したと言っていますの」
突然に、驚くほど軽く伝えられた事実。和也はそれに茫然自失とするほかなかった。
「か、帰るって……そんな、僕は……」
「言わずとも、貴方の事情は私も把握していますわ。だからわざわざ調べてきたわけですし。決断はまだ先で構いませんわよ。どうせその『手段』も、ある程度の準備が必要みたいですから」
言ってから、ウィッチは和也に歩み寄った。混乱状態にある彼の額に指を置き、たった一言、静かに権力を行使する。
「落ち着きなさい」
すると、和也の心が換気されたように、負の感情はみるみる晴れていく。
(これは……召喚の呪文の……。という事はつまり、今の僕は、精神までもが彼女の支配下にあるのか)
理解はしたけれど、恐ろしいという感情は不思議と湧かなかった。それが先の命令のせいなのかは分からない。
「さて、話を戻しますわよ。命令の話です。ただ、その内容を伝える前に、まず知っておいてもらうべき事がありますわ」
額から手を離したウィッチが人差し指を伸ばしてクルクル回す。
そこで和也は思い立ったように立ち上がった。部屋に置いてあるテーブルの方へ近付き、彼女に向かって椅子を持って見せる。
「長くなるなら座った方がいいよ」
「いえ、結構ですわ。すぐに終わる話です」
片手で断って話を戻すウィッチ。
「貴方、魔王城の二階や三階にはもう行きまして?」
「ん? あー、思えばまだ一度も行ったことがないなぁ」
和也はさっきまで持ち上げていた椅子に座りながら天井を見上げる。
そう、この城は三階建てなのだ。和也達の部屋やキッチン、浴場、魔王の間はすべて一階にある。生活に必要な施設がそこに集中しているため、上階を訪ねる機会が今までなかった。
「上の階……二階と三階は、その大半が子ども達の部屋ですわ」
「子どもだって? 誰の?」
「分かりません。あの子達は捨てられた子、孤児ですの。この魔王城はそういう施設も兼ねているんですわ。みんなまだ一人じゃ外にも遊びにいけないような、幼い子ばかりですの」
「そうだったのか……」
どうりでメイドや執事以外は見かけないわけだ。
沢山いた他の住人の正体はみんな子どもで、ずっと上の階で生活していたのだろう。
「そこで、本題ですわ。今日から貴方も子ども達を寝かしつけるのを手伝いなさい。執事たちは勿論、私も加勢しているんですけど、最近は手がまるで足りていないのです!」
ウィッチはビシッと和也を指差す。
けれど、彼は例の強制力を感じなかった。本気の命令ではあるのだろうが、断る余地はあるらしい。
(この広さの城で、二階だけでなく三階にもいるなら、相当な数の子どもがいるんだろう。そりゃあ人手も不足するよね)
しかし、和也は当たり前のように二つ返事で答えを返した。
「分かった。手伝うよ」
同情や好奇心などではない。これくらいの仕事ならやって当然という、『隣の席の人が消しゴムを落としたから拾う』くらいの、なんて事はない心持ちだった。
(昔は妹の世話をよくやったもんだ。子どものあやし方は心得ているつもりさ)
自信満々にそう考えて、気合いを入れる。彼が再び立ち上がるのを見ると、ウィッチは嬉しそうに両手を握り合わせた。
「それでこそ私の奴隷ですわ! さあ、そうと決まれば、早速子ども部屋へ行きしょうか!」
「そうは言うけど僕、奴隷みたいな扱いをされたこと、一度もないんだよなぁ……」
苦笑してこぼす和也。
(まだイズさんの方が目上の人って印象がある。ウィッチは話した感じだと、優しいお姉さんみたいなイメージだ。何故かやたらと構ってくるし)
それは彼女なりの気遣いなのだろうか。いくら考えても答えは出てこない。
扉を開けてウィッチが待っている。和也は少しだけ早足になって彼女に追いついた。
全ての子どもを寝かしつけるのには、予想していた以上に時間を使った。覚悟はしていたが、それを上回る数の児童がいたのだ。
(各々の特徴を上手く掴んで大人しく眠らせるのって難しいな。改めて保育士さんって凄いわ……)
初めこそ見慣れぬ獣耳や尻尾に興奮していた和也も、途中からは楽しむ余裕が無くなっていた。今も耳の奥で甲高い泣き声がリピート再生されている。
(あと、レイチェルが子どもの世話において、まるで役に立っていなかったからってのもあるなぁ。料理や掃除なんかは的確に、かつ素早くこなしてるんだけど。メイド長っていっても苦手な分野はあるんだね)
逆にウィッチは意外にも手慣れた様子だった。見たところ、全員の名前も覚えているようだったし、数人をまとめて寝かしつけていた。彼女の母性は底知れないレベルのようだ。
「あ、そうそう。ウィッチに聞きたい事があるんだけど」
一階に向かう途中で、先導するご主人に声をかける。
あとの見回りはレイチェル達がやるそうなので、二人で部屋に戻っていたところなのだ。
「何ですの?」
「レイチェルはウィッチに拾われたんだよね? 彼女の御家族はどうして亡くなられたの?」
聞くと、意外そうな顔をされる。彼がレイチェルの事情を知っていたことに驚いたのだろう。
一階へ続く階段に差し掛かる。ウィッチは声のトーンを落とすと、いつになく真面目な顔で答えを寄越した。
「そうですわ、私が拾いましたの。発見した時は危ないところでした。……二つ目の質問に答えるのは、今はやめておきます。貴方がもう少しあの子と仲良くなったら、私から教えて差しあげますわ」
ヒールの鳴る音がやけに重く聞こえた。彼女は数歩先を行っているため、顔を視認できない。
(うーん、気になる……。だけど人の過去を根掘り葉掘り聞くべきではないよね。ましてや、まだ僕はレイチェルのことをあまり知らないんだ。いくらなんでも図々しい発言だったな)
反省してから口を一度ギュッと結ぶ。
次の瞬間、彼はとびきりの笑顔を作ると、ウィッチの隣に追いついて応えた。
「分かった。ウィッチってレイチェルには特別優しいよね。子ども達にもだけどさ」
「……当たり前ですわ。私はあの子達の母親であり、姉であろうとしていますから!」
そう言って、彼女はその豊満な胸を惜しげもなく張ってみせる。
二人の間に訪れかけた不穏は、一旦その姿を隠してしまったようだった。
ウィッチの部屋まで彼女を送ってあげる和也。
特に意味はないが、なんとなくそうした方が良いと思ったのだ。召し使いの性だろうか。
(送るのはいいんだけど、帰りにボーッとしてたら迷いそうになるんだよねぇ)
独り言のような思考をしながら歩いていると、突然ある事を思い出した。「あっ!」と意図せず大声をあげてしまう。
「う、うるさいですわね! いきなりどうしましたの?」
「いや、その、ごめん! あのさ、ウィッチ。あともう一つ気になっていた事があるんだけどさっ」
「はい?」
立ち止まった和也に合わせてウィッチも足を止める。そこはちょうど彼女の部屋の扉の前だった。
(そうだ、なんで今まで忘れていたんだろう。レイヴンの事に気をとられすぎていたのかもしれない。今のうちに、一番重要な事を解決しておかないと)
勇者と魔王の戦いを防ぐ上で最も重要な情報。それはレイヴンや商人の秘密でも、ヴィーレが体験した時間遡行の真実でもない。
魔王がどういった目的で化け物どもに人間を襲わせているのか。その一点のみなのである。
「どうしてサタンは魔物たちに人間を攻撃させているの? それを止めさせれば、人間達も侵攻してこないんじゃない?」
核心に迫ろうとしている事に緊張しつつも尋ねると、ウィッチは不可解そうに眉をひそめた。
「何を言っているんですの? 今度の勇者はここに遊びにくるんじゃ……」
言葉は途中で萎んでしまう。離れていた薄紅色の唇は徐々に閉じていき、やがて彼女は完全に閉口した。
そして、数秒間に及ぶ沈黙の後――――
「あぁ、またですのね……」
ウィッチはとても悲しそうな声でそうこぼした。
「勇者達の冒険の一部をサタンが私に見せなかった理由が、今になってようやく分かりましたわ」
部屋の扉を開き、その中へ一歩踏み入るウィッチ。
彼女の背中からは、何者も寄せ付けないような張りつめた空気が放たれていた。
「人間達には心底失望しました。サタンは、魔物の王ではないんですのよ」
こちらを振り返ってそう続ける。彼女の手は内側のドアノブを握っていた。
「えっ。どういう事? サタンは魔王でしょ?」
「そうですわね……。はぁ、今日はもう遅いですわ。貴方はもう寝なさい。詳しい事は今度ゆっくり話してあげますから」
一方的に話を切ると、ウィッチは扉を引き始める。
「ちょっと! 待ってよ!」
和也はドアの隙間に慌てて両手を差し込み、無理矢理それを止めた。
こっちは全然話が見えていないんだ。ここで終わらせてもらいたくはないと、彼も半ば意地になっていた。
「僕にはさっぱり意味が分からない! 別に今から話してくれてもいいじゃないか!」
「……和也」
扉のわずかな隙間からこちらを睨みつける双眸が見えた瞬間、体が石のように固まる。
「命令ですわよ。今日はもう帰りなさい」
自分自身のものなのに、手足が思うように動かせない。狼狽や動揺の声すらもろくに漏れ出てくれなかった。
扉の間に差し込んだ手が徐々に、徐々に離れていく。上半身がぎこちなく後ろを向こうとしている。両足が独りでに踵を返そうとしていた。
「おやすみなさい、私の奴隷」
彼女が扉を閉めた瞬間、和也の体は、自分の意思とは裏腹に、自室への道を辿り始めていた。




