6話「おかえり」
和也は手紙をベッドの枕元に隠して、そっとヴィーレ達の眠る宿を出た。荷物を背負って、徒歩のままヨーン村からも脱出する。
九日目を終え、日付が十日目に切り替わった頃、彼は暗がりが支配する果てしない平原を、重い足取りで真っ直ぐに進んでいた。
まるで家出をしているかのような心地だった。罪悪感や後ろめたさは当然あったが、あのまま彼らと一緒にいるだけじゃきっと何も解決しない。
ここ数日で、新たな疑問がいくつか湧いてきた。レイヴンが迎えに来るまでは、それらについての考えをまとめておこうと、脳内の片っ端から解決していない謎を手繰り寄せる。
(まず、人間側の意見と魔王達との意見に大きな差異があるよね)
イズは『魔物が何の前触れもなく、共通の意思を持ったかのように、群れとなって人間を襲ってきた』と教えてくれた。
しかし、レイヴンによると『人間とは仲良くしたいけれど、彼らは自分達を殺しに来ようとしている』とのこと。主張が綺麗に正反対だ。
(それに、ヴィーレのことも気になる。何だったんだ、あのレベルは。僕達の魔力量の上がり方を見るに、普通に生きていたらあの若さであんな数値になることなんて不可能なんじゃないのか?)
和也が初めの方にヴィーレの魔力レベルをチェックした時、彼は特に強い意志を抱いている風でもなかった。
だのにどうして数値が文字通り『桁外れに』高かったのか。時間の巻き戻りについて何も知らない和也には、正確な推測などできるはずがない。
(ヴィーレが嘘を吐いていたとか? ……いや、でも彼はそんな事をしないはずだ。する意味だって無いだろう)
いつからか彼の中には『勇者達のことも信じたい』という気持ちが芽生えていた。
彼らと育んだ友情だけは、決して演技によるものではない。『カズヤ』というキャラだけのものではないのだ。
(また一方で、レイヴンの事も考えなければならない)
ヴィーレは魔王城への総攻撃について、和也が伝えるまでは本当に知らなかったようだった。
裏でアルルや他の兵士、村人にも探りを入れてみたが、大半は作戦自体も聞いたことがなかったという。
知っていた者も、それを初めて知ったのは最高で五日前だった。レイヴンは少なくとも九日前にはその情報を手に入れていたというのに。
(一体彼は何者なんだ? 心当たりはあるけど……まだ断定はできない。でも、もしかしたら、本当にレイヴンは『あの人』なのかもしれないな)
今はそう考えるに止めておく。いずれ本人に尋ねれば分かることだろう。
そして最後、ある意味最も怪しい存在、商人の女の子だ。未だに素性どころか、顔すらもろくに見せない。
度々不自然なほど良いタイミングで、その時々に必要な商品を売りつけてくる。商品の中には日本にしかないような物もあった。
大猿退治の後、馬車に乗せてもらった時はヴィーレ達の手前であまり問い詰められなかったが、彼女が和也のいた世界へ戻る鍵を握っているのかもしれない。
(今度現れたら正体を暴いてやる。まあ、日本に戻るのが僕にとっての幸せなのか、僕自身にすら分からないけれど)
思考はやがて失速していく。よりにもよって肝心の最終目標がボヤけてしまっていた。
当然、帰りたい気持ちはある。家族や友人にもまた会いたいし、アニメや漫画の続きだって見たい。やり残した事がまだまだあるのだ。
だがしかし、もし元の世界に戻れたとしても、和也は『他者と同じ時間を生きられない』という悩みと、永遠に付き合っていかなければならなくなるだろう。彼にとってはそれが唯一最大のネックであった。
「……はぁ」
自然と溜め息がこぼれ落ちる。
(問題だらけだなぁ。これ本当にどうしよ。ヴィーレ達がいたら相談もできるんだろうけど)
生温い風を浴びながらそこまで考えたところで、和也はハッと我に返った。
(何を都合の良いことを考えているんだ、僕は。自分から抜け出してきておいてぬけぬけと)
すぐさま自省する。懸念していた通り、勇者側に情が湧き、未練たらしい態度になってしまっていた。
ふと空を見上げてみる。夜空は彼の心のように曇りきり、遠くから野獣の遠吠えと思われる鳴き声が聞こえてきた。
深夜は魔物が活発になる時間帯だ。迎えが来るまで襲われずに済むだろうかと、直近の問題を不安に感じることもなく、和也は靄のかかった頭で足を前に進ませる。
(とにかく、一つずつ謎を解き明かしていこう。ひょっとすると、僕は何か重大な勘違いをしてしまっているのかもしれない)
そう結論づけ、ある程度の整理を済ます。
勇者一行が魔王城に襲いくるまで残り数日。それすなわち彼のタイムリミットである。
来る決戦の日までに以上の謎をすべて推理して、真実に辿り着き、勇者と魔王の戦いを未然に防ぐこと。それが次なる和也の目標だった。
しばらく歩いていると、曇天を割って、空から赤い電流に身を包んだ大男が落下してきた。レイヴンだ。
重力に身を任せ、ズガァンッとけたたましい音を立てて、雷のように着地する。その衝撃で草原に引かれた道に大きく地割れが走った。
俯きながら屈んで立て膝をついている。彼は不意に顔を上げると、渋い声で台詞を読んだ。
「待たせたな」
「格好良いけど無駄だよね、その派手さ」
冷めたテンションで返す和也。もう眠気が限界まできてしまっているのだろう。今日は色々ありすぎた。
「ふむ、サプライズをしたら喜んでもらえると思ったんだが……。もうこんな事では驚かないか。すっかり異世界に馴染んでしまったみたいだな」
レイヴンは特に動じず、膝下に付いた砂埃を叩いて落としながら立ち上がった。
「まあね、存外大変な仕事だったよ。……本当に戦いが済んだらすぐに迎えに来てくれたね」
「当然だとも。約束は守るさ」
「防衛は成功したの?」
「ああ。互いにほぼ無傷で、全員を撃退することができた」
「ハハッ。さらっと言ってるけど、化け物じみてるね」
「ウィッチやレイチェルのおかげだ。さあ、俺達の家へ帰るぞ」
彼が丸太のような腕を差し出す。和也は一瞬だけ掴むべきか悩む素振りを見せたが、すぐに迷いを振り切り、レイヴンの手をとった。
すると瞬く間に体を引かれ、足下を払われてから軽々と持ち上げられてしまう。横抱きにされた和也が下からレイヴンの顔を覗くと、彼とバッチリ目が合った。
「行くぞ?」
そう言うや否や、魔王の側近は疲れを感じさせぬ速度で跳んでいった。そしてやはり、数時間足らずで和也を魔王城まで運んでしまう。
ちなみに、少年が酔い止めを飲み忘れた事に気が付いたのは、胸に吐き気が込み上げてきてからであった。
胃酸の味がする口内を水で数回濯ぎ、よろめきながらも男子トイレを出る。いつしか眠気は完全に覚めてしまっていた。
都会の駅もビックリな迷宮っぷりを誇る城内を歩き回り、ようやく魔王の間の前へと辿り着いた和也は、見上げるほどに大きな両開きの扉を両手でゆっくりと押し開く。
「信じられませんわ! 帰ってくるや、初めに全力疾走で会いに行くのが、愛しい主人たる私ではなく、薄汚い便器だなんてッ!」
すると、中ではウィッチが嘆かわしいといった様子で頭を抱えていた。
サタンは玉座の上でウサギ型のリンゴをポリポリ食べている。幸せそうだ。
「落ち込まないで、ウィッチ! うちのトイレはいつでもピッカピカだよっ!」
「そういう事じゃありませんわよ!」
魔王のどこかズレた発言に鋭くツッコミを入れるウィッチ。
和也が二人に近付いていくと、後ろで自動的に扉の閉まる音がした。
「……ていうかさ、なんで知ってるの? 見てた?」
「ええ、初めからずっと監視していましたわ。でも流石に吐くところは見ていませんわよ。そういえば、随分彼らと仲良くなったようですわね?」
「ねっ! いいな~、私も早く勇者君たちと遊びたーい! 個性的な子が揃ってるみたいだし!」
サタンは駄々をこねるように脚をバタつかせている。地面に足がついてない。サイズの発注を間違えたようだ。
「勇者と呼ばれているくらいだから、希望に満ち溢れた顔でもしているのかと思えば、ひどい仏頂面ですのね。それに、とんだ女たらしですわ! サタンが口説かれなければいいですけれど」
ウィッチは顎に手をやり、見当違いな心配をしている。自分達が命を狙われているだなんて想像だにしていないらしい。
(どうしてこんなに詳しいんだ? 二人の口ぶりからすると、本当に僕らの旅をすべて見てきたみたいだ)
だが、そうだとすれば彼女達がここまで楽観的に事態を受け止めている事に理由がつけられない。
ならば尋ねてみればいい。が、和也はどういうわけかこの時、変な気紛れを発揮させてしまったようだ。
まったくもってどうでもよい事に話題をシフトさせる。
「ねえ、ところで二人はどうしてこんな時間に起きているの? ここの住人はみんな夜行性なの?」
「あははっ! 違う、違うよ~」
その疑問をサタンは闊達に笑い飛ばした。
「なら、どうして?」
和也の疑問へ先に答えるのは、サタンの隣で偉そうに髪をかきあげるウィッチだ。
「決まっているでしょう。貴方を待っていたのですわ」
「そうだよっ! ……うん、そろそろ用意できたかな? おーい、お料理かもーん!」
魔王が掠れた指笛を鳴らすと、レイチェル率いるメイドと執事の集団が大量の料理を持ってきた。
彼らの体には猫の耳や狼の尻尾、黒い羽や羊の角など、人間にはあり得ないような部位がそれぞれ見受けられる。肌が爬虫類のような者や、目が一つしかないような者もいた。
初めて見る人種に和也は息を飲む。人と呼ぶべきか、それとも否か。彼にはいよいよ分からなかったが、限りなく人間に近い異形らには、確かに各々の意思があるようであった。
(彼らも……魔物なのか……?)
そこで初めて思い至った可能性。『彼ら』と『魔物』は同じなのではないかという閃き。
そもそも魔物とはどこから生まれるのだろうか。人々は一般的な動物とは別にカテゴライズしていたが、そこにある基準は『謎の進化を遂げた怪物達』という曖昧なものである。
突然変異? だとしても、人形や岩石が生命を宿して人間を襲うに至るわけがない。
何か作為的なものを感じる。そしてそれは、目の前の亜人や魔物に共通して影響を及ぼしたように思えた。
和也の推測が深くなっていく間にも、食事の準備は滞りなく進んでいく。
使用人たちは洗練された動きと連携でテーブルや椅子をセッティングすると、その上に料理と食器を綺麗に配置し、一陣の風みたく去っていった。
「レイチェル、貴方は残りなさい」
するとそこで、出ていこうとするメイド長をウィッチが呼び止めた。レイチェルは蚊の鳴くような声で返事をしてからこちらに近付いてくる。
「せっかくですし、一緒に食べましょう?」
「……はい」
何かと思えば、食事のお誘いだった。
(てっきり雑用でもさせるために残したのかと。優しい世界や……)
思考の海から帰ってきた和也は、密かに『ウィッチ×レイチェル』という新たなカップリングに可能性を見いだす。
しかし、次の瞬間には別の事実に緩んだ顔を緊張させる事になった。
「でもさ、四人いても多分これ、食べきれないよね?」
そう言って、和也は目の前のテーブルを指差す。
もう明け方だ。食欲が無いこともないが、食卓に並べられている料理はバカにならない数だった。
「大丈夫! その時はレイヴン呼ぶからっ!」
サタンがサムズアップに舌をペロリと出して返答する。
(えっ。でも確か、彼は帰った後に『ずっと気を張ってて疲れたからもう寝る』と言っていたはず……。このためだけに起こされるのか、可哀想。側近って不憫ポジションだよね……)
「さささっ! まずは乾杯でもしよっか」
サタンがそう言って席への移動を始めると、レイチェルが手際よく皆のグラスに飲み物を注いだ。
種類はバラバラだ。サタンがアップルジュースで、ウィッチがカルアミルク、レイチェルはただの氷水。
メイド長たる者、主の好みまでちゃんと把握しているのである。
ちなみに、和也のドリンクは薬草ジュースだった。
(おいこれこっちにも流通しとんのかーい! どうしてレイチェルはこれが僕の好みだと思ったんだ……ッ!)
注がれた深緑の飲み物に視線を落とす。和也の食欲がさらに減退した。
けれど、彼の異変に気付いてくれる者はいない。和也は仕方なくドブ色の飲み物を受け取った。
「それじゃあ……」
全員が席についたのを確認するや、サタンはグラスを高く持ち上げる。
「和也の帰りを祝って! かんぱーい!」
「「「乾杯!」」」
そうして四人は微妙に距離感のある会話をしながらも、それぞれが楽しんで食事を進めた。
和也にとって、それは一週間ほどしか経っていないのに、とても懐かしく感じる光景だった。




